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水害防備林の機能 堤防は、壊れてはいけないのですが、絶対大丈夫というわけでもありません。人の技術力は自然には勝てないからです。 だからといって、何もしないというのが良いわけはありません。私たちが安心して生活するためには、自然の脅威に立ち向かい、技術開発するしか無いのです。しかし、それでもダメな場合のために、次の手を考えておく必要があります。堤防の横に木を植える、樹林帯を造るというのは土地の無駄遣いに見えるでしょう。でも、無駄を忘れ、効率一辺倒になった社会は、何かがおこるとあっけなく崩壊します。洪水対策としてのスーパー堤防(高規格堤防)も洗掘を避けるため、裏法面(陸地側)を3%という緩やかな傾斜にした堤防です。被害を如何に抑えるかが鍵なんです。 樹林帯がないと、洗掘で堤防の崩壊が大きくなります。 流速が早いため、洗掘の一種である落掘(おちぼれ)が大きくなり、堤防の基盤をも削ります。 堤防復旧にも時間がかかります。 樹林帯があることで、洗掘を防ぎます。堤防の横に樹林帯があるだけでも違ってきます。 樹林帯は、流木や岩を防いでくれます。 樹林帯がなければ、決壊後、さらに堤防は壊れ、大量の土砂や流木が人家や田んぼをおそうことになります。 樹林帯があることで、流れ込む水量が抑制されます。この結果、落掘(おちぼれ)を抑制し、復旧しやすくします。 一般に、水害防備林は、河川の出水時に水流の勢力を弱め、水害防備林内への土砂の堆積を促すことで、河川沿い及び地域の水害緩和として働いていた森林となっています。 |
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木流し(竹流し) 堤防に植えられている樹木は、何も堤防の強化だけに使われているのではありません。万が一、堤防に危機が迫れば、切り倒して、川に投げ込みます。もちろん、流されてはいけませんので、杭(留杭)から土嚢で固定させ、伐採木にも重りを付けて流します。 場所によっては、木では無く竹の場合もあります。その場所にある資材で対応します。 |
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一つの水制工法「聖牛」 なぜ、聖牛なのか。それは、夏王朝の創始者の禹が鉄牛を黄河に沈め、水害を鎮めた故事に由来しています。洪水を制御する牛だから、制止する牛=>制牛=>聖牛かと思います。 本当は、組み上げられた木枠の上の部分が、洪水時に角のように見えたからかもしれません。 古代中国では、鉄牛を沈める=重たい物を沈めて、水流を弱めるという意味と、わざわざ高価な鉄を民のために使うという姿勢が後世まで伝えられたのだと思います。さて、それに比べると、予算も安上がりになりますが、洪水対策として、戦国時代、武田信玄が導入したのが始まりといわれています。原型は、もっと古くからあったと思いますが、改良を重ねながら、ここに至ったと思います。その後、江戸中期以降に全国の急流河川で多く用いられるようになりました。 これは、一つのの水制工法です。武田信玄絡みで、富士川でよく使われてきた経緯があります。分類的には、牛類となるそうです。この他に、杭工、柵工、枠類など、多種多様な地方の知恵があります。 基本は、三角錐となります。この資材は、身近なものでなくてはなりません。すぐに作って洪水に対応しないといけないからです。水害防備林は、場所によっては、用材備蓄林としての機能も持っていたのです。特に、アカマツやクロマツ、スギなどの高木です。堤防蕎麦に植えられたのは、すぐに伐ることが出来る、備えだったのです。 写真は、明治32年(1899年)北アルプスに源を発する高瀬川の氾濫時に、村へ侵入を食い止めるのに用いられた聖牛。 |
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水除林 普段は何気ない川ですが、増水時に木があると無いとでは違う結果になります。 木がなければ、激しい水流が直接、堤防にあたり、場合によっては、破堤します。 ごろごろと転がってきた岩や、流木も直接堤防に当たれば、大きなダメージを受けます。 しかし、樹林帯があれば、直接堤防に水流はぶつかりません。水の勢いを削いでくれます。 結果、堤防が守られます。破堤の可能性が、何も無い状態より低くなるんです。 参考写真:よみがえる国土 ―写真で見る治山事業100年の歩み― これは、311の津波から集落を守ってくれた海岸林です。このようなイメージですが、水害防備林も洪水時に漂流物を捕捉してくれます。仮に、堤防を乗り越えて越水しても、堤防の外側が冠水しても、流木や岩を食い止めてくれるので、車や家が流されたり壊される確率が低くなります。この様な緑の壁がなければ、堤防の決壊に続き、激しい水流が堤防の外側を襲い、車も家も流されます。 |
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霞堤と通常堤防の違い 霞堤は、武田信玄が考案したとも言われる治水法です。通常だと、堤防を築いて洪水から田畑や、住居地を守るのですが、越水するような場所では、越水後の水は田畑や住居で滞水します。これは、農作物を腐らせるほか、家も腐りますし、病気も広がります。だから、早く滞水を解決する必要があります。 また、堤防が壊れれば、越水以上に水が入ってきます。破堤した箇所を強化すれば、それ以外の場所が破堤して、同じ事の繰り返しになります。 一方、霞堤は、不連続の堤防ですので、増水時には、水を逃がす役目を果たします。一度勢いを弱めて、上(遊水池)に水を流すので、制水にもなります。水嵩が下がれば、上に行った水も重力には逆らえませんので、下流に流れます。 もちろん、一時的に滞水することが判っているため、住居や畑を作りません。レンコンなんかは栽培できると思いますが。 また、霞堤の上流域で堤防が破堤しても、霞堤があれば、再び川に合流できます。 |
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水害防備林は、防災0を目指す森林では無く、あくまでも減災目的の森林です。治水対策として、洪水調整ダムの設置や堤防の強化は必須です。自然の力を活用した治水はあっても、環境に配慮した治水は、頭を強く打った人の妄想です。ましてや洪水と共存なんて、高台に住んでいる人の戯言です。昔の人は、洪水は当たり前。では、どうやって洪水後を生かすかを考えていました。そんな余裕は、今の日本社会にはありません。 洪水対策で川幅を広げようとすれば、地域が壊れると叫ぶ人たちがいます。貯水池を造ろう地面を掘れば、自然破壊と叫びます。住民の声を聞けと言います。そんな人たちは洪水が起きて、財産が奪われても良いと思っています。もしかしたら、普段の行いが良ければ災害に遭うわけは無いと確信しているんでしょう。洪水は起きないと信じれば洪水が起きないと思っているようです。 水害防備林は、治水施設を補助する役目、補完する立場です。自然界に対して、絶対大丈夫はありません。だからこそ、ダムや堤防だけでなく、もう少し広い視野で災害による被害を少なく出来ればと思っています。 江戸時代の知恵をもう一度見直せる機会であればと思っています。 |
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■ 河川伝統技術データベース 河川伝統技術データベース:分類別リスト【水防】 ■ 西江小プラザ (海津市立西江小学校) 水防 ■ 古賀河川図書館 http://koga.mymy.jp/ ■ 日本の川と災害 http://www.kasen.net ■ 日本河川協会 http://www.japanriver.or.jp/ ■ 河川財団 http://www.kasen.or.jp/ 災害の防備録(記録誌) 色々な報告書が、公的機関から公開されています。災害の原因(素因・誘因)、被害額、対応、そして対策へと、次に引き継ぐための重要な情報源です。悲しいことに沢山の災害が毎年日本各地で発生します。しかし、この災害大国日本とずっと付き合う必要があります。そのためには、誰もが理解できる情報が不可欠です。 都道府県毎・市町村毎・官庁毎に報告書を整理してみました。 |
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