雲南省 北京 山西省 トイレ  
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雲南省昆明(クンミン)という所
芒市に消えた日本軍
芒市のタイ人の農家風景
無くなってほしい田舎・いえ中国の風習
過橋米線は涙涙のお話
ショボかった博物館と対照的な動物園
景洪(シーサンパンナ)
蝶々でランで森を守り、豊かな生活を
日本人のささやかな協力
結婚式に飛び入り
クジャクの飛び降り
レストラン
思茅という街
ここの近郊の村のこと

雲南省昆明(クンミン)という所
かつて、第二次世界大戦中に日本軍を攻撃したアメリカ軍の拠点。軟弱な中国軍を戦えるように訓練し、また飛行場から飛び立っては、香港やベトナム にいた日本軍を空から攻撃。そういった意味で軍事的拠点。
空港には、ミグがズラッと並んでいます。

そんな昆明(クンミン)は中国で最初に万博のあった街。口の悪い人がいうには、中国三大ブスの街とか

雲南省は少数民族の多い州として知られ、かつて三国志時代はあの有名な軍師孔明ですら手を焼いたという土地。民族が違うと、戦略も通じないというのは過去の話。中国の端の端に位置する所なんです。

総数民族の多いといわれる雲南省ですが、省都クンミンは漢民族がサトウキビやゴムの生産のために全土から移住しており、都市ではほとんど少数民族を見ることが出来ないんです。

こんな雲南省から世界的に有名な人物もいます。
もしかしたら世界一周をした人といわれる鄭和。明の時代の人です。

標高1891メートルの盆地に位置し、人口370万人、絶えず風が吹くということで住みやすいところ

昆明名物は・・・・・食べ物なら「過橋米線」といって熱いスープに小皿に盛られた具と麺(もちろん字の通り米:ビーフン)を入れて食べる麺で、5元、10元、20元と色々値段設定があって、具の種類が違うのですが、人曰く、5元で十分とのこと。
あとは、プアール茶で有名なので、お茶屋さんがいっぱい。
芒市に消えた日本軍
ここでちょっと歴史の勉強
雲南省は、大東亜戦争における激戦地の一つ。
アメリカ軍は、中国戦線に物資を届けるため、インドのアッサムから雲南省のクンミ ン経由の重慶行きのルート(レド公路:通称スティルウェル道路)の確保が必要に迫 られました。もちろん、日本を中国大陸から追い出し、巨大市場としていただこうと いう意図がありましたから。インドから流れる物資を断ち切るために派遣されたのが「龍」部隊。

1941 年(昭和16年)福岡県久留米で編成された部隊です。福岡、長崎、佐賀の出身者で構成。怒江(中国一冷たい川:ミャンマー名サルウィン川)を渡って来る重 慶軍と戦った軍隊なんです。芒市を占領したのが1942年(昭和17年)5月2日のこと。蒋介石ルートを寸断が目的のこの作戦、蛸壺の陣地を作って敵を待 つこと2年間、本当にのんびり平和だったとか。

1944年(昭和19年)6月2日、アメリカ軍中将スティルウェル率いる雲南遠征軍20万の中国兵(インドで訓練されたアメリカ軍の最新装備を持った中国兵)が物量作戦でおそったのです。それに対する「龍部隊」はたったの1280名。少なくとも勝つには、 1人で200人以上殺さないとダメ。20万の軍隊の後ろにさらに30万の予備兵が。

日本軍は、なんだかんだといっても強かった?9月7日の玉砕まで戦い続けたのですから。物量的な支援もなくです。9月13日にもう少し北の騰冲でも玉砕、計3225名が雲南の地でアメリカ軍の物量の下で亡くなったのです。
ちゃんと、抗日戦線の記念碑があり、また観光案内の冊子にも載っていますが、アメ リカ軍のことは、これっぽっちも書かれていません。歴史は怖いですな。

アメリカ兵、中国兵、そして日本兵に合掌

ちなみに、この日本軍と戦った中国人は、朝鮮半島でアメリカ軍を中心とした国連軍に襲いかかったそうです。何のための援助だったんでしょうかね。

芒市のタイ人の農家風景
ここには多くのタイ族が住んでいます。少数民族の多い雲南省。タイ族の農家をちょっとお邪魔

家の壁には、くり抜かれた丸太が置いてあるんです。
どの家庭にも。もちろん、これは蜜を取るため。蜂の巣箱なんです。

無くなってほしい田舎・いえ中国の風習
遠方から来た客人をもてなすこと
これは、洋の東西問わず当たり前のこと。

特に東南アジア・東アジアでは、酒でもって歓待。日本の田舎もすごいけど、中国もすごい。酒宴です。しかも一気飲み。海に近いところだと海鮮料理で紹興酒らしいのですが、雲南省は山の中、白酒とよばれる焼酎のたぐいが主な飲み物。

移動移動の出張は、迎える側からすれば久しぶりの客、いえ宴会の機会。だから張り切るんです。酒が飲めるぞと普段、家ではほとんど酒を飲むことはないんだそうで、この時ばかりと・・・

最初は、カード遊びで負けると飲む。負けると飲む。飲みたいがためにわざと負けるのかといいたくなるような遊びを彼らはします。ついてゆけない。

乾杯、乾杯が続く中、宴が終わったとこまでは覚えていたのですが、次の瞬間から記憶が・・・・ない

次の朝は、胃の中からっぽ。起きあがる気力さえない状態。挙げ句の果てに、午前の仕事はキャンセル。午後は次の街まで移動ということで、窓からゴホゴホ。街についても起きあがる元気が無く、なんと点滴を、二日酔いで元気がないときに、良く中国人は点滴をするらしい。

結局3日酔いということで、次の日までただ寝て、車に乗って揺られるという信じら れない時間が過ぎてゆく。
でも、酒で死んだおかげで、次の日から相手側の中国人と の間にあった隙間に異変が。そうなんです。うち解けた空気が生まれたんです。ホント、日本の田舎と一緒。飲んだことで迎えるという点ではでも、白酒は喉が焼けるほど強い酒です。泡盛の一気飲みという感じでしょうかね。
過橋米線は涙涙のお話
科挙の試験に向けて一生懸命勉強している旦那のもとに昼ご飯を食べてもらいたいと いうことで、お弁当を持っていっても、勉強に熱心なのか、まずかったのか。ほとんど 口を付けないでいたそうです。そして、だんだんやせ細っていきました。そこで、美味しい料理、温かい料理ということで、鳥のだし(鳥の脂たっぷり)なら スープが冷めない、油の幕で保護された温かいスープを運び、夫の好きなビーフンと 下茹でした具を持っていって、夫の食べたいときに食べれるよう工夫したのです。
妻の愛(アイデア)は夫を支え、ついには科挙に合格しめでたしめでたし、橋を渡って運んだビーフンというのがこの料理の由来なんです。
一種のつけ麺ですね
5元、10元、15元、20元・・・・といろいろ値段があって、のせる具が違うみたいです。
でも、5元でたぶん十分でしょう
量が多いですから
ショボかった博物館と対照的な動物園
雲南省博物館、ガイドブックでは色々書いてあったのに、期待していってガックリ
展示期間が不運だったのか、展示内容がいまいちでした。
しょうがないのかも
ただ、青銅器の銅鑼の展示は面白かったけど・・・
あと、売店のやる気のなさ
売れなくても売れても給与が同じなのか、他の東南アジアでは見られない売り子の態度。
まあ、数年後には大きく様変わりするんでしょうけど

一方、昆明動物園ではちょうどサクラ(雲南サクラ)の満開時期。花見を楽しむ人々でごっちゃごちゃ。
サクラの木の下で宴会では、じゃらじゃら麻雀。あとはカードゲーム
賭博しているんでしょうかね





景洪(シーサンパンナ)
シーサンパンナは、中国でただ一箇所象のいるところ。
タイ族1/3、漢族1/3、 その他の民族1/3の人口構成で、約80万人。シーサンパンナタイ族自治州としてタイ語から来た名前。
でも1953年にゴムのために多くの漢民族が移住してきたんです。

母なるメコン川はここを流れてラオス、タイ、ベトナムと流れてゆくのです。

貴重な熱帯林があるということで、モンロウと呼ばれる地に、いったのですが、空中 回廊が設置されているんです。あまり長くなく、高くもないのですが、日本にはない施設。木を上からみたり、木の樹冠部分を見ることが出来る観察施設なんです。
熱帯では、動物や昆虫の中まで、生まれてから死ぬまで地上に降りることなく死んでいく生き物もあり、熱帯研究では未知の世界なんです。

蝶々でランで森を守り、豊かな生活を
森林を守ることは観光にも繋がる非常に大切なこと
でも、もともと人々が生活するためには森から農地へ土地を切り開きました。
医療や衛生概念の発達とともに人口が増え、農地が足りず森を伐ることに。
森に人が入らなければよい→といっても生活をしなくちゃならない農民。違う形で生活が出来ればよいわけで、現金収入の新しい方法がお土産品
蝶々を栽培して、その標本を売ったり、羽を利用して細工絵(と言っていいのかな) を作って観光客に販売しています。
また、ラン好きは東洋問わずいっぱいいるということで、
バイテクを使って組織培養 したランも販売
結構良い収入になります。
組織培養されたランが大量に出荷されれば、無理して違法に山に入って貴重なランを採ることも減りますでの、生態系にも、住民の懐にも良いということ。
これは、オランダの援助が入っていました。



日本人のささやかな協力
シーサンパンナのタイ族の村にある日本人をたたえる碑がどっかの会長さんだったけど、村にバイオガスのタンクを作って、薪に頼らない燃料 を作った功績の紹介だったんですけど。各家々に、パイプがついていて糞尿など発行して作ったメタンガスを供給。
台所に明 かりとガスを利用しているんです。

家屋の保全、無視を近づけないという意味で、すすの効果は非常に大きいのですが、 すすの出にくいガスで大丈夫か心配ですが、薪を取るための山仕事や森林減少が止まっていることは、
キット良いことなんでしょうね。

村の入り口には、タイ族のというか、水田農民の大事な仲間、水牛の角がかけられて いました。

結婚式に飛び入り
途中の村で結婚式があるということ
お店で、ビールを8ケース購入して参加

元々山にすんでいた人たち。中国政府のゴムを自国でという政策のために、彼らの土地は取り上げられ、ゴム園に変身。彼ら自身は、そこの従業員に住まいは、なんと立派なこと。人民解放軍(というか中国軍)の宿舎がそのまま割り当てられたんです。

結婚式は3日続くそうで、飲めや歌え。
新郎のすることは、まずブタを用意して、お金を貯めて3日分の宴会費用を工面すること。
金がないと誰にも祝福されない?のかどうかは分からないが、多数の人をもてなさないといけないかと思うと、ホント人生の一大イベント

で、宴会場では、飲めや食べる。そしてジャラジャラ麻雀にトランプで、新郎新婦をそっちのけで楽しむんです。

ちなみに私たちからのお祝いは、ビール3ダースでした。

   
クジャクの飛び降
クジャクは、空を飛ぶんです。(知らなかった)
あるテーマパークでは、クジャクを放し飼いにしているのですが、時間がくると丘の 上まで連れて行くのです。
そして、テラスみたいなところから落とすのです。
でも、クジャクも鳥ですから空を飛びます。
結構、優雅でした。

それを見ている観光客は、カメラを持って降りてきたクジャクに群がるのです。
クジャクも慣れたもので、カメラの前でポーズを決めていました。
   


飛んできたクジャク

少数民族の女の子が
竹の船に乗ってモデルに

空中回廊
象がみれます。
家みたいな建物はホテル

この公園のホテル

     
     
     

レストラン

移動途中で出会った食堂
メニューリストはなく、食材を指定すれば、それで料理が作られます。


注文はケースを見てから
調理方法は、??
リクエストは聞いてくれますが期待はしない方が
豚の脂身を茹でています
スープに使うバナナ
叩いてほぐします。
料理のできあがり


思茅という街
ここはかつては、マラリアの巣窟
車が来てから排気ガスのせいかどうかは別にして死ぬ人が減って、人口の増えている ところ。
一面の茶畑(プアール茶の本場)と、松(ケシアマツ)の山。雲南省でも一二の木材 集積の場でもあるんです。
何故木材資源が豊富かについては、マラリアのおかげで人が容易に住めなかったから、
伐る作業が出来なかったからなんでしょうか。
だから森林地帯に多くの人が入っていけなかったのでは??
雲南省の4割40万m3が産出されたとか。
自然保存プロジェクトが始まった、1/3 まで減ったというが中国を代表する森林・林業地帯でもあるんです。
この街の名の由来は、諸剋亮孔明、バタバタとマラリアで死んでいく部下を見て、自分の故郷であった茅でも多くの人が死んでいったのを思い出し、茅を思い出すという ことで、思茅(スーマオ:シマオ)と名付けたとか

   
ここの近郊の村のこと
農村の実態
ポンカン1キロが普通だと1〜2元(15〜30円)端境期には4元になるとゆうことで 地下にしまって値が上がると売るということをしているとか。
山から木を切ることが許されないということで、海外の援助機関が1家族あたり800元 の補助金を支給。
燃料はかつては薪(年間8m3)だったのが1から2m3に使用量 が減少。その背景には、資源の活用ということでメタンガスを利用した装置を設置し たから。
自留地と呼ばれる自分の山から今までとっていた薪は不要となり、換金作物を植えた りしています。
といっても、文革後の話だからいつ取り上げられるか分からないとい うことで、収穫が早く得られるミカンやタケを積極的に植えているのです。
日本のよ うな植林は気が長い話で、いつ政変が起きるか分からない中国では長期投資が出来ないといわれているが、森林世界も同じあったんです。
森作りには政治の安定が不可欠 なんですよね

1月の始めに種まきして、4月の始めに田植え、7月に収穫、田んぼはその後トウモ ロコシ畑に変身、3月に収穫、これで大体600から700元の収入
(15000円程度: 物価水準だと日本の場合10倍と見て15万円??)、
この他に自留地からのタケ(タケ ノコ)、キノコにミカンなどの収入が1000元、2から3ヶ月ので稼ぎで1000元の2700 元ぐらいを稼ぎます。
でも手元に残るのは800元程度とか松脂が注目で1キロ1.6元、これは全て日本に流れているとか。それから、かつてはなめしようにタンニンが重要とのことで、オリーブの樹皮が良い 収入源だったそうですが、金になるから全ての樹皮をはぐ→木が枯れるという無茶なことをしたせいで木がなくなってしまったとか。合掌

子供の、かつては子沢山が良かったけれど、国の一人っ子運動以上に金が全て。教育費が結構かかるということで、子沢山になれない状況に。かつては教科書はただだったのに今は金は取る時代。2人まで認められている(少数民族対策?)けど産め ないという現実があるんです。まあ、それはそれでいいことなんでしょうね。
どっかの国と同じですよね
金になるなら、マッタケを日本に売りたいとのこと。
雲南松やケシアマツなど松が多 いのでマッタケの可能性がないわけでもないが・・・・
世界中から輸入しているので国際競争に勝てるのだろうか。そのうち、味に慣れだしたら、輸入物のマッタケはダメになりそうな気がしないでも ないが
   
     

外国の援助ポスター