県木:モミジ Acer palmatum |
県花:シャクナゲ Rhododendron metternichii |
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日本の林産業の基礎を築いた人々 1 | 市町村花見 | |||||
ウサギを見ちゃダメ | ||||||
大仏作って禿げ山出来る | ||||||
日本の林産業の基礎を築いた人々 2 | ||||||
財産を守る森からの恵み 隣も持っているからウチも |
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日本の林産業の基礎を築いた人々 1 日本の山々を移動し、様々な技術を伝えた人々。惟喬親王を業祖とした誇り高き技術屋の集団。通称、木地師とか轆轤師と呼ばれる人々。 天皇家の縁があるということで、江戸時代でもどこにでも行けたことから、天皇家の諜報機関と噂されるのですが、情報収集能力を考えると納得してしまいますが、真相はどうなんでしょうか。 それまで、日本の森林は、トチやナラの実は食べましたが、それ以外の広葉樹の利用はほとんど使われなかったそうです。 昔は、スギ、ヒノキ、ヒバを使うぐらいだったそうで、彼らの技術で、轆轤を使った皿や、椀、盆、杓等々。またウルシを使う事による漆器や、木蝋等のロウソク。東北に行けば、こけし。今ある木工品を作っては売って生計を立てていました。 広葉樹を切ることが除伐とつながり、有名林業地を育て広葉樹を使うことによって木製品が貨幣収入のなかった山村に産業を育てることにつながっていきます。 あまり、木地師達のことは林学の授業でも社会科の授業でも習いませんが、基礎を築いた人々なのです。 |
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ウサギを見ちゃダメ 白ウサギは山の神さまの乗り物 近江地方では、山の神の祭りの時に山でウサギを見ると良くないことが起きると信じているんです。 春に木の種を植え、秋に落ちた種を拾う。山の神さまは、シャイなのか見られるのがイヤみたいなんです。 山の祭りは1月と11月9日 その日に、登山口の林の中にあるケヤキの木を神木に木の下に祠を作って、モチと御幣、木製の農耕道具。スキ、ナタ、斧(ヨキ)、長包丁、鎌とオコゼの絵馬を供えるんです。 |
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大仏作って禿げ山出来る 田上山 林業では有名な禿げ山。木がないので、土砂を止めるため植林が続いています。その原因は、人々の幸福を願った大仏。奈良の大仏のせいなんです。 天平19年(747年)から3年間かけて作られた大仏 銅を溶かし、水銀を利用。そのために大量の木炭が必要。燃料として。 16000石の炭が使われたとか。8万石の原木が必要だったとか。膨大な量です。 さて、観光で儲かっている奈良の東大寺 田上山に植林はしているんでしょうか どうなんでしょうね |
こんなに禿げ山だったんです。白いのが禿げていた証 |
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今ではこんな立派な森に |
デレーケの作った砂防ダム |
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これが、明治44年(1911年)の滋賀県の山の様子です。 当時は、こんな森林というより荒れ山だったんです。 その結果、天井川も多く、洪水多発地帯です。 |
平成21年(2009年)の立石国有林の様子 | ||
参考写真:よみがえる国土 ―写真で見る治山事業100年の歩み― | |||
大戸川ですが、貞享年間(1684年)から、元禄年間(1704年)にかけてが、結構ひどかったそうです。河床が上がっているので、洪水時に、排水が出来ない。結果、水田の稲は立ち腐れ。住宅地は湿地状態になりました。宝永7年(1710年)に、なんとか、土砂奉行所に願い出て、河川改修および、高台への移住が出来たそうです。 近くの屋棟川では、天井川にトンネルを作ろうとしたら、河庄の下から寛永通宝がたくさん見つかったそうです。昔は、人の住処があったと言うことで、それだけ、多くの土砂が流れ出していたんです。 |
日本の林産業の基礎を築いた人々 2 木地師の仕事
作業場に運んだ木材を、轆轤で挽いて大まかな形に整えて、乾燥させます。狂いを出してから、使っても割れないようにします。樹種によっては、川の水につけて、灰汁を取ることもあります。 数ヶ月後、仕上げに轆轤を使って、製品化します。最後は藁で磨いてピッカピカに。 |
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財産を守る森からの恵み 滋賀県高島の名産「高島扇骨」の材料はタケ。高島扇骨は、その後、京扇子として販売されます。最近は、近江扇子としても販売されています。扇子の骨を作ってきたんです。 材料のタケは、安曇川の堤防を強化しているタケ。水害防備林のタケなんです。タケは、毎年毎年タケノコを生み出してくれます。食べなければすぐに大きくなります。 自動的に資源が確保できるというメリット付き。300年以上の歴史があります。 |
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隣も持っているからウチも 悲しい森の話です。その森は、列島改造で国中が沸いていたとき、過疎化が進み、村の将来をどうするか悩んでいました。昭和47年頃の話です。かつては、薪炭として燃料を提供したり、落ち葉を肥料として提供していました。しかし、社会変化、経済状況の変化で、経済的な価値を無くしてしまった森になってしまいました。そこに、隣の人が持っているので、自分もゴルフ場を持ちたいという会社が札束を持って現れました。 そして、約150ヘクタールの土地を購入したんです。結構安値で。売る方も、ゴルフ場が出来れば、雇用の場も出来、村の活性化になると信じていました。税収もありますからね。 しかし、オイルショックも重なり、ゴルフ場計画は頓挫。そういえば、隣は多摩の方に遊園地を持っているよね。自分もほしいとレジャーランドにしようとしたそうです。あいつが持っているんだから、自分も持っていて当たり前。無いのは恥ずかしいということでしょう。しかし、資金難?のためか、放置しました。手を付けずに。 結果、研修所とキャンプ場を造ってお茶を濁します。朽木村人からすれば、裏切られたと思います。雇用の場にもなりません。お金も落ちてきませんでしたので。 世間体が悪いのか、「いつも木を細かく砕いて煮立てて伸ばした物を使っているからこそ、木を供給してくれる森林・材木に恩返しをしよう」という趣旨で説明していました。 でも、結局きちんと運営できなかったようで、市町村合併の時にドサクサに地元の村に売っ払ったそうです。一連の流れの中で、自社の天下り先だけは、公益財団法人としてしっかり残っています。 「どうして日本の林業がだめになったのか」にも書きましたが、この時、色々と対立していた林野庁に土地を買ったけどどうすれば良いか泣きついたみたいです。結果、財団法人が出来ました。だからかもしれませんが、林野行政に従事した人たちから嫌われているのかもしれません。 一番かわいそうなのは、嘘の目的で利用された山かもしれません。虚栄心のために。 |
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