教科書には載っていない、生き証人の話をもとに、書いてみました。ちょっと過激な表現が多々ありますが、気にしないでください。国有林(林野庁)の話が多いですが、林業のなかで国有林の占める割合は大きいのです。
林業関係者からは、よくぞ書いてくれたという声をもらっています。多分(勝手に思っていますが)多くの林業関係者も同様のことを思っているみたいです。まあ、過激に書いています。色々誤解を招くこともあるみたいですが、これを機に、興味のある人は、さらに、独自で調べてみてください。もっと色々見えてくると思います。
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戦後の引き上げ
日本が戦争に負けたこと。
海外の領地であった台湾、樺太、朝鮮半島、および満州国。軍事用として、民需用として多くの人が林業に従事していたのです。敗戦によって、すべてパァ。日本に戻ってきても働くところがありません。
また、石油のための大東亜戦争(中国市場の取り合いというのもありましたが)であったので、負けたことによって燃料の確保は、薪に頼るしかなく、戦後の復興に住宅や橋に必要な建築用材も、外からの供給はなし。せっかく台湾や樺太、朝鮮半島に作った森は取り上げられるという事態に。
そういった背景のもと、失業した人々を山で従事することによって、社会不安を防いだのです。また、このときの木を伐った売り上げが貧窮する国家財政を陰から支えたのです。だから、特別会計という形だったのです。
沢山の木を切っては薪や炭にして、専用の船で大都市に運ぶといったことが各地で行われました。山で従事した人々も食べ物が供給されたため、飢え死にすることはなかったそうです。昭和30年ぐらいまでは山仕事の方が都会で働くより収入が良かったそうです。
このときの営林署長の仕事は、闇米を集めることだったそうで、相当苦労されたとか。余談ですが、このとき、飯にありつきたい一心で絵描きの人が絵と引き替えに来たとか。ちょっと前まで、有名な画家の絵があちこちの営林署にあったそうです。このときに沢山雇った人々を首にすることが出来なかったのが、日本の林業(国有林)が、ダメになる最初の1歩です。
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洞爺丸台風
足寄営林署の被害
振内営林署の被害
参考写真:よみがえる国土 ―写真で見る治山事業100年の歩み―
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昭和29年9月26日に起きた洞爺丸台風。その惨劇は、北海道で起こりました。このときの災害を繰り返さないために出来たモノの一つが青函トンネル。
死者1,361名、行方不明者400名、負傷者1,601名、住家全壊8,396棟、半壊21,771棟、床上浸水17,569棟、床下浸水85,964棟などの被害。
交通機関だけの被害ではなかったのです。一夜にして、当時の日本の1年間の伐採量がなぎ倒されたのです。風倒木の後に起こるのが、枯れた木に住み着く病害虫の発生という悪夢。こいつの大発生は、健康な生き残った木まで襲います。
風倒木の処理が一刻を争うことに。さもないと、健康な木まで枯れてしまいます。
全国から人を動員して、処理に当たるのですが、一息つくまでに10年モノ歳月がかかったそうです。さらに雇用しなければならない事態に陥りました。
台風ネタで、伊勢湾台風もあります。昭和34年(1959年)9月26日に和歌山県の潮岬に上陸し、三重県に横断することで、犠牲者5,098人を出す大災害でした。この被害を大きくしたのが、木材でした。高潮によって、家屋が壊され、流木を発生。この流木がさらに家屋を壊し、被害を拡大します。このため、コンクリート業界からは、木造建築は駄目という流れを作ります。それまで家は、木造だったところを、コンクリートの方が良いという事です。災害にも強いからと、水害復興住宅は、コンクリート製です。まぁ、木材が高かったというのありましたが、一気にコンクリートの家、住居が増えるのです。構造計算も楽ですし、木より扱いが楽。その後、構造材としての木材の利用は低迷していくのです。
この一方で、鉄筋コンクリートには、耐久性という爆弾があります。地震大国日本では、地震のたびに建物が揺れ、亀裂がコンクリートに入ります。そこに水分が浸透してくると、鉄筋がもろくなります。寒暖差の激しいところでは、膨張と縮小の繰り返しもあります。残念なことに、鉄筋の状態を外から簡単に判定することは、無理なのです。木なら腐っているとか、見れば判るのですが。このため、コンクリート製の建物と木造の建物とでは、実は耐久年数がものすごく違ってきます。法隆寺並みにコンクリートは持たないのです。江戸時代の古民家と比べても同じです。何が良いのか、耐久性はどっちの良いのか、メンテナンスのしやすさは、色々経験知を高めていくことが重要なんだと思います。それぞれの用途に合わせて使う材料を決めなければなりません。
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勘違い政党
この一連の流れでふくらんだ従業員。しかし、朝鮮戦争による特需のおかげで、社会構造に変化が生まれ工業へ発展する中、山の従業員が減ることはなかったそうです。一つは、労働運動のおかげで、首切りが出来なかったこと。何かしようとしても、国会を始め、あちこちで社会党や共産党によって阻まれるという事態が。
そんでもって、賃金は上げさせられるということで、膨らんだ雇用を維持しなければならないと、木を伐ることに対する圧力が高まってきたのです。お給料は滞りなく払わないといけないから。
持続可能な森林経営とは、成長する量を伐るということで、資源量を落とさないこと。これを忠実に守るには、人減らしか給与の削減による人件費を削ることしかなかったのです。ただでさえ増えすぎていたのですから、スリムにならないといけなかったのです。高度経済成長という時代に突入しようとしている時代だったので、雇用の確保は、十分あったと思うのですが、社会正義(?)を主張して、票田を確保したい政党によって、今はやりのリストラが出来なかったのです。
国有林という国の経営ではあるのですが、国会で、共産党や社会党にいじめられれば、林野庁も仰せの通りといって、逆らえなかったそうです。「反対のための反対」という実にくだらない見栄のために、国土を維持している森林をダメにしたんです。
一部の営林署では、従業員が共産党の傘下に入っていて、何も出来なかったそうです。何かすると、命がなくなる可能性があったとの噂も聞いています。何もしないで、給与やボーナスは頂く、そして組合費を上納するというシステムが、できあがっていたとのことです。目を覚ませ労働者よ!っていいたいっすねぇ。本当の搾取者は誰なんだぁぁ?
人民のためといって、幹部は結構いい家に住んでいたり、議員になって名誉を得ようとしていたんですから、何も後のことは考えていなかったんでしょうね。労働貴族と呼ばれる人達です。社会党に社民党と消えて無くなるかと思えば、民主党民進党に寄生しているからねぇ。_| ̄|○
このときに始まった賃金の上昇は未だに、停滞する林業の一番の原因になっているのです。人件費という化け物のせいで。
とある営林署の話
賭博の現行犯でつかまってしまった現場の作業員、担当者はコスト削減のノルマのため、首を切るちょうどいい口実が出来たと思ったそうです。でもそこに国会議員(野党)が地方の営林署のちょっとした雇用問題に口を出したんだそうです。そこには、政党の違いはなかったとか。国会議員の仕事なのかと思いますが、労働組合の票がほしいという欲望の前には、理念も何もないんでしょうね。
働く組合・働かない組合
2つの流れの組合、それは社会党系と共産党系
これには次の点で違いが
共産党系は、働きながら権利を要求
社会党系は、権利だけを要求(すなわち働かず)
ということがあったそうです。
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販売量をのばすためのマスコミ
そろそろ使命が終わりを迎えていると思われる新聞社。
インターネットでペーパレス、色々な情報のチャンネルが広がっているので、そろそろ幕を引いてもらいたいです。(非道徳的な勧誘が嫌いなせいもあって)。自分たちの価値が全てでないことを理解できていない悲しい集団です。多様性をうたいつつ、自分たちの価値観に合わないのは排除しようとする集団です。
ここも、日本の森林をダメにした一つなんです。社会正義という言葉を使って、伐れる許容範囲以上の木を伐らせたのです。高度経済成長によって、住宅需要が生まれてくるのですが、何せ、木材の供給は、一定量以上は不可能なんです。一定の面積の生長量が、1年間に8立方メートルとなれば、8立方メートル以上伐らなければ、資源は守れます。だからこそ、持続した経営が出来るのですが。その結果、木材価格が急上昇、家を買いたくても買えないようなことはなかったのですが、何せ、価格が上がるということで、新聞社としてはラッキーなネタ。飯の種だったんです。材木価格の高騰は庶民の敵(読者に正義面するちょうど良い機会だったから)として紙面を有効利用できるからです。
当時の新聞社は、「林野庁は木を売り惜しみしている」と、痛烈なしかし的はずれなキャンペーンを始めたのです。特に朝日新聞はひどかったとか。当時の林野行政でがんばっていた人の話を聞くと、朝日新聞に対する怒り(恨みかな)はすごいモノです。
まあ、新聞は見出しで売れれば内容なんてどうでもいいわけですから(次の日には忘れるので)、売り言葉に買い言葉、かどうかは分かりませんが、国会でも問題になり、林業の本来の姿を放棄し、伐る羽目になりました。ちなみに、持続的に経営しようと過伐に反対した営林署長は左遷されたとか。
ここで、日本(国有林)の持続可能な森林経営は死んだのだと思います。
歴史にIFはないのですが、ここで毅然な態度をとっていれば、今も切れる木が供給されていたのでしょう。結果的には、足りない分を輸入するということで、自由化されたのです。海外から、次々と木材が入ってきました。
ある資料によると(ワリバシ讃歌―資源ムダづかい論を切る!:湯川順浩:都市文化社:ISBN4-924720-16-Xより抜粋)
昭和44年3月21日の読売新聞では、「明治30年に制定された森林法は、治山を重視してきており、木材を生産し、商品流通という経済面を軽視しており、森林政策はあって林業政策はなかったといえる。林業を軽視し、木材の需要逼迫に対して、資産保有的観念があり、国有林の増伐を渋っている姿勢は問題がある。木を切って木材市価の抑制をするべきである。」
昭和43年3月20日の朝日新聞では、「国際通貨危機の中で深刻化した国際収支の不安は、その改善を至上の命題とする。当面はあらゆる手を打って国産材の供給を増やし、外材輸入の外貨を節約すべきである。まずは国有林の伐採制限の大幅緩和だ。円防衛のために一時的処置として、この伐採制限を大幅に緩和し、供給を増やすべきではないか」
昭和40年3月3日の毎日新聞では、「国有林は資源政策面が強かった。そのため奥地未開発林が多い。したがって、林道を開発し、老齢林の多い天然林を伐って人工林にする余地が大きい。逼迫する木材事情を考慮するともっと国有林を開発するべきである。」
昭和41年2月19日の毎日新聞では、「木材需要の逼迫については、我が国の林業の基盤が弱いことである。老齢過熟な天然林を持て余らしているのは感心できない。だからこそ、林業の基盤である林道の整備を急ぐべきである。」というようなことが言われていたんです。
銀座を木材を乗せたトラックが走ったそうです。林野庁はちゃんと木を伐って売っていますって。売り惜しみはしていませんというアピールをした、させられた?
これが時間をたつとコロッと変わるんです。
昭和46年4月4日の読売新聞では、「公益的機能を強調している林野庁自身、森林破壊を行っているのはどうしたことだろうか。現に皆伐方式による伐採跡地が造林されないままで放っておかれ、山崩れを起こしている事例が建設省などから指摘されている。白書によって国有林の年々の造林面積と伐採面積を比較してただけでも、過伐傾向である。国有林経営の悪化を増伐によって埋めようとしたからではないか」
昭和46年4月5日の朝日新聞では、「高度成長経済が日本林業に暗い変化を強いた。しかし、その同じ高度経済成長が森林に新しい機能を要求し始めた。経済的機能とは別の、いわゆる公益的能「国民生活への緑の効用」がそれである。この10年間に都市の生活環境は激変した。国民一般の緑と自然を求める声は膨れあがっている。森林に対する国民のイメージは、「木を育てて切るところ」から「その中で人が休息し遊ぶところ」へと急傾斜しつつある。2,3年前から今日を予測して準備してほしかった。」
昭和46年4月3日の毎日新聞では、「最近の公害問題に対する強い関心から、森林資源への国民的関心もようやく高まった。国有林を自然休養林として、国民の利用に供するなどの試みが行われている反面、国有林の乱伐は各地で自然保護に反すると国民の強い批判を巻き起こしている。林業政策も古い殻を破るべきときにきているのだ」
昭和47年4月1日では、「経済の高度成長期には大量の需要に応ずるために自然の生長量を大幅に上回る伐採が行われ批判の的になったことも少なくない。林業の合理化を図るため、立木を広い地域にわたって皆伐したり、亜高山帯の自然林を人工林に変えるなど、自然保護への配慮に欠いていた点が少なくなかった。」
別の資料ですが、比治山大学教授だった島津邦弘著の「山里からの伝言―中国山地2010〜2012」 では、1960年代半ばの中国山地の山を、「秋の紅葉と冬の灰色の山。この風景は山林資源に関する限り、貧しさの象徴だ。・・・たたら、放牧、木炭と自然利用にまかせた歴史が、山の近代化をいちじるしく遅らせた」と新聞に紹介したと書いています。筆者は、中国山間部の歴史を追い求めた中国新聞の元記者です。そして、20年後には、「私たちは『人工林化はもういい』というつもりはない。ただ、人工林にもおのずと限界があるのでは無いか。広葉樹も、それはそれで生かす道があり、」と新聞のコーナーで書かれています。すなわち、社会的使命を負っている新聞様の正しい意見に従えと。まぁ、時には広葉樹からスギ・ヒノキへ、時にはスギ・ヒノキから広葉樹へ無責任な意見を社会に垂れ流してきただけですけどね。
このように、時がたつと、従業員の退職金のために木を切れば自然破壊と呼ばれ、木を切ることが悪となり、戦後の荒廃を緑化で守ったスギを花粉症の原因として。ディーゼルエンジンからの排気ガスや都市のアスファルト・コンクリートによる花粉の吸収する場の減少、スギ以外の花粉のことはあまり触れず、ふいんき(雰囲気)で記事を書いているような気がしますが、自動車メーカーや道路関連業者からは、たっぷり広告料をもらっているでしょうから書けないんでしょう。
そんな記事はクライアントを怒らせてはいけませんからね。お陰で林野庁の借金3兆円。
噂では、ある政治家(河野一郎:自民党←紅之傭兵、江沢民之傭兵こと河野洋平の父親←指摘より悪口の河野太郎の爺さん:3代続けて無責任政治家かよorz)がマスコミを通じて木を伐らせたとか。こんな会話かは分かりませんが、秋田上空から視察中の会話「畑と山の造林地の間は何だね?」「里山ですね。薪炭林利用はしていません。」「使っていないのか?」「化学肥料も使っているので落ち葉掻きも少なくなりました。」「だったら、杉の値段高いから杉を植えさせろ」「大臣分かりました。」
開発することが正しいと思われていた時代だったのかもしれませんが、法正林思想はいずこへ。そしてこのあとに起こったのは、不足している木材を海外から調達するということに木材の自由化が起こったのです。徐々に入ってきた木材、主にアメリカやカナダですが、次第にその割合は大きくなってきました。マスコミの攻撃のあとには、国際マーケットという攻撃が。しかも、日本という国の価値が上がるに従って、森の価値は減っていきました。すぐそこの利益に目を奪われ、目の前の問題を回避することだけを考え、未来を見ることが出来ない政治家がいたことも悲劇です。それを支えたのも酷民なんですよね。
酷民じゃだめなんです。何はともあれ、選挙に行きましょう!林業の悲劇を繰り返してはいけません!
マスコミが、仕事をしないため、マスゴミへ
以上のような事情から、林業そのものが厳しくなっていきました。特に国有林です。収穫量を持続的に確保するための林業から、従業員の給料を持続的に支払うための、お金を作るための林業に変わってしまったのです。無理な伐採が各地で起こりました。持続可能な森林経営をするには、コストダウンに人員の再配置。でも、組合の反対などで進みませんでした。このような問題点を暴き、社会を正しい方向に向かわせるのが第3の権力と呼ばれるジャーナリズムの存在なんですけど。これが機能しませんでした。
ターニングポイントになったかもしれない知床問題。嘘つき記者のバカな行動が、その後の自然保護運動をおかしな行動に導いた?ともいわれる森林行政にも大きな影響を与えた一大イベント。知床の原生林を守れという運動がありました。もし、その時にその問題点を理解できれば、そしてそれを記事に書ければ、日本の森林行政も違う方向に向かったともいわれています。
結局、思いこみ記事(先に記事を書いて、それにあうように実情をあわせるという行為)のせいで、おかしくしたんです。最大の成果?は、木を伐ることは行けないことというのを一般の国民に刷り込んだんです。
嘘つき記者は、何をしたかというと、伐採を止めさせるために、記者章を新聞記者ではない自分の息子につけさせて現場に行かせたり、シベリアで魂を売った狂産主義者のカメラマンと、林道反対、林道を使うなと、反対している林道を車で走って、先端で雄叫びをあげていたとか。
宮本常一著の林道行政論でも呼んでいれば良かったんですけどね。
もし、何故国有林で強行してまで木を伐る必要があるのか、その背景には過疎地の雇用の場の確保、膨らんでしまった人件費の確保、そこには社会党や共産党の息のかかった者の暗躍等があったというのに。何故、分からなかったんでしょうね。取材能力が無いというか、推察力が無いというか、モノを見る目が無いというか、ある意味祭り上げられて可哀相ですけどね。(人を一面だけ取り上げるのも、本当は良くないんですけどね)
まぁ、原生林の破壊といって知床伐採を世に広めたその記者は、原生林を切り開いて作ったスキー場での接待を喜んで受けたという話です。そして、カンボジアにおいて、中国共産党の支援をうけたクメール・ルージュの国民の5人に1人、約200万人の大量虐殺は存在せず、存在すら疑わしい30万人の南京大虐殺はあったと言い張っている人ですから。朝日新聞の本多勝一記者の事ですけどね。
また、白蝋病という職業病があります。チェーンソーを長時間使うことに因る指先の毛細血管が切れて白い蝋のようになる恐ろしい病気なんです。治療も簡単ではなく、壊死することもある本当に恐ろしい病気なんです。これが一旦労災に認められると、急に患者が増えたりしたんです。誰かの入れ知恵なんですけど、手数料といいつつピンハネすることで生きている弁護士と呼ばれる人たちのようです。その結果、不正に申請して、労災認定してもらって、悠々自適の生活をおくるようになった人が続出したんだそうです。白い杖を持って、人混みの中を自転車でスイスイ走るような生活保護を受けている人のことです。こういった方面には、切り込まないんですよね。こんなんがいると、真面目に仕事をする気は起きなくなりますよね。士気の低下もあったのではないでしょうかね。マスゴミは、こういったことを暴かなければいけないというのに。まぁ、社会派弁護士というはいるんでしょうけど、大部分はカネカネ寄こせですからね。生活がかかっているとはいえね、許される限度ぐらい分かるでしょうに。国が負ければ誰がお金払うの?私たちの税金が出るんですよ。キックバックが美味しいからか、そんなに嘘つきに金を渡したんですかね。
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売れなくなった薪・そして木材
途上国の森林減少の原因の一つに燃料問題。日本でも昭和30年代までは都市部でも燃料は薪や炭だったんです。都市ガス、プロパンガスの登場が薪炭林という燃料供給の場としての森林の存在意義を奪ったのです。あちこちの広葉樹の森が薪として炭として利用されていたんです。
しかし、もう薪として炭として売れなくなったら、広葉樹(コナラなど)がある意味がないんです。木があっても、それらの木からはお金を生み出さないのです。だから、広葉樹を切ってスギやヒノキを植えました。炭にするために伐った以上は、何もしないわけにはいけません。山持、林業に従事する人にある職業病で、「伐ったら植える」病というのがあります。せっかく植えるのなら、お金になる木(当たり前ですが)=スギ・ヒノキになったんです。江戸時代からの積み重ねで、育種技術、造林技術が確立されていましたから。安心して植えられる木だったのです。そして、40年とか50年後に売れることを夢見て。21世紀には伐れると思っていました。なぜなら当時は木材価格が高騰していたから。しかし、結果は、ご存じの通りです。
ヒノキの場合は、利回り0.6%、スギの場合は-1.2%といわれています。ヒノキなら銀行に預けるのと同じようなもの。スギは変な投資信託にお金を預けた用のもの。なんだかねぇ。
広葉樹の森から針葉樹の森へ。雑木林からスギ・ヒノキの山へ。これにかみつく人がいます。自然の森に返せと。で、自然な森とはどんな森を言うんでしょうか。まさか、コナラやシイ、カシの森(落葉照葉樹)のことでしょうか。里山といわれるような森をイメージしているんでしょうか。でも、落葉広葉樹(秋に葉を落とす)の森は、人によって作られた森だったんですよ。一つは薪のため。広葉樹はぼう芽更新がし易いので、伐っても伐っても再生して大きくなるんです。これは針葉樹は出来ない。このほかにも、身近な山は焼畑で利用。針葉樹が大きくなる前に切られて燃やされるから、明るい落葉広葉樹の森だったんです。狩猟採集の時代は針葉樹や照葉樹(冬でも葉の落ちない広葉樹)で覆われていた暗い森だったそうです。栽培行為が始まってから、明るい広葉樹の森に変わっていったんです。だから、自然に戻すならモミやツガ、スギ、ヒノキといった針葉樹、タブやクスノキ、椿といった照葉樹にすることなんです。
自然の森と言っても、実は良く分からないけど針葉樹以外の森であって欲しいという思いこみからの発言が多いんです。ちゃんと知識の裏付けがあっての発言ならいいんですけどね。
あと、木材そのものが使われなくなったのも大きな原因です。今、家の窓はアルミサッシ、柱は鉄筋等々、学校はコンクリート、木造校舎は姿を消し、木そのものが使われなくなったのです。高騰した木材価格に対抗するため代替品開発が起こったのです。軽くて丈夫なモノの開発とか。挙げ句の果てには、まな板までがプラスチックに
工事現場も激変しました。それまで、建物を建てるときの足場は丸太だったのです。小径木という短伐期で生産していた丸太ですが、アルミパイプの登場で、退場です。江戸、東京の工事現場を支えていた青梅林業は、用無しになります。今、足場を丸太で行っているところはありません。アルミパイプの方が規格品で、軽いし、丈夫だし、パイプクランプや鉄筋クランプを使えば誰がやっても安全です。丸太の場合は、技能に差が出てしまいますので。
コンクリートの学校、荒れた生徒、おかしな先生を生み出す羽目に。荒れた教育現場をなんとかしようという割には、議論がトンチンカンのような気がします。まぁ、国歌が斉唱できない、国旗を知らないような先生や、思考停止した先生達が教育の場にいるうちは、どんな対策もダメでしょうが。昔と何が違うのか。木造校舎が無くなったことに気付かないんでしょうかね??あと教育勅語もか。
木という自然の暖かみを感じる必要があると思うのですが。転んでも大丈夫なわけはないがな木造校舎が
森林というか、身近な森に関心が無くなった理由の一つに、農業の革命もあります。それは化学肥料の普及。それまでは、堆肥として落ち葉を集めていたんですけど、化学肥料が森林の意義を、経済的価値を急激に落としたんです。これも森の経済的価値を落とし、より経済的価値を上げるために植林が行われたんです。スギ、ヒノキといった針葉樹にです
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トドメがバブルの遠因 プラザ合意
プラザ合意
バブルという金余り現象を引き起こすのですが、この合意のおかげで、日本の円は強くなるのです。1ドル360円という時代から、80円までとドルの価値が落ちるのです。海外旅行は万々歳。国の経済力が上がるという意味では、すばらしいことなのですが、日本の林業にとってはマイナスでした。ドルの価値が、1/4になったおかげで、日本の林業全体が死んでしまったのです。木材価格の下落という目に。
国産材が3万円、外国材100ドル(1ドル360円なら3万6千円)なら国産材が売れるでしょう
国産材が3万円、外国材100ドル(1ドル80円なら8千円)なら外国材が売れるでしょう
円が強くなるというのはこういうことなのです。ただ単に外国産がいっぱい入っているんじゃないんです。為替レートで日本の企業(消費者)からみて、安いからなんです。木材を提供している国では、100ドルの価値なので損も得もないんです。安いから入ってくるのは、日本から見ての話なんです。
伐るだけで、造林しなくてすむところからの輸入。カナダやアメリカは、天然更新が容易で、造林コストがほとんどかからない。独立してお金が必要な途上国(熱帯)は、伐るだけ。また、チリ、ニュージーランドからは造林費(人件費)のかからない平地を利用した機械導入の林業で、輸出攻勢。
ドルから見れば、3倍(4倍)になった木材を好きこのんで、買う人はよほどの愛国者か馬鹿。エコノミックアニマルと呼ばれる中、林業は確実に売れない時代へ。そして、今に至っているのです。
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社会正義という化け物
国有林の莫大な借金。戦後は金のない国家予算を支えた国有林経営。
国有林の木材を大企業(ハウスメーカー)に優先的に卸せなかったのも、木が売れない大きな原因の一つとか。大企業の多くは今、海外(北欧や北米)から直輸入。木の家が売れても、その木はカナダやアメリカからの木。
国(国有林)が大企業と一緒に商品開発をすると叩かれるという恐怖心が林野庁にあったとか。「大企業優遇で中小企業を無視していると」。だから、中小規模の、地域に根ざした企業と取り引きすることに。大都市は輸入材でまかなわれるということで、国内で木材が消費されても、国産材は売れない時代になってしまったんです。もし、大企業が国産材を利用していれば事態は変わったかも。でも、昭和30年代に大企業と一緒に何かをしたら、自称左翼やマスコミに叩かれていたんでしょうね。
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失った信用
木材価格の上昇は、売り手市場。
売れれば、仕入れさえ出来ればOKということで、参入してきた業者が結構あったんです。玉石混合という状態。そうなると、規格に合わない・使えない木材を紛れ込ませて、売りつける行為が横行したんです。
買い手は、まとまった量が欲しい。しかも規格通りで。そうでなければ、大量にまとめて効率的な製品を作ることが出来ないからです。混ぜ物をつかまされた企業は、対策をとります。規格通り出せる所からの購入を考えます。
結果、大量の木材が必要な大企業は、国産材をあきらめ、海外から買い付けることになりました。理由は簡単。船に積む段階で、また荷を下ろす段階で、チェックできるから。
地方の小規模(技術のある)な工務店や建築会社は、ちょっとずつ需要に合わせて購入。しかも、買った木ですぐに家を造るのではなく、ストックしてある木(十分に乾燥した木材)から家を造るので、乾燥も十分行われていて、問題もない状態。
結局、大企業は国産市場から撤退し、木材の大口購入者を逃すことになったんです。
一度失った信用は、なかなか元に戻りません。これも、国産材が売れ無くなくなった一つの要因なんです。
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番外 こんなはずじゃなかった電柱&石炭&海苔栽培
それから、見通しを大きく誤ってしまった話。
木が大きくなるのに40年はかかります。高度経済成長に伴い、インフラが充実、しかし電柱が足りない。電柱を作ろうと一生懸命植林しました。電柱を目標に計画を作ったんです。今、見渡せば、まわりに木の電柱はありません。
全部コンクリートです。
私が小学校の時は、シロアリに襲われていた電柱を見た記憶があります。1980年代の話です。
せっかく作った木も電柱用だったので、40年で売れるはずだったのに、売る市場が無くなっていたんです。あと、40年待たないと木が売れません。40年(80年で伐るので)も待つ気力が無くなったのもの林業がダメになった要因の一つです。
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また、長野県を中心に植えられたカラマツ。これも無用になってしまいました。もともとは、炭坑の坑木目的に植えられたんです。戦後の復興を支えた石炭。石炭増産には、より深く掘る必要があったんです。その為には、坑木が必要だったのですが、需要に供給が追いつかない。曲がった木は、パルプ用に使われたため、真っ直ぐの小径木が必要だったんです。昭和26年の国会では、経済の混乱を招きかねない坑木不足に対して、持続可能な森林経営を目的とした森林法を止めて、坑木の値段を下げて、増産しろという話があったくらいです。坑木が足りなくなるから、持続的に収穫できるようにしなければならない。ということで、カラマツを植えたんです。しかもバカみたいに大量に。
しかし、日本の復興と共に、重工業へのシフト、海外からの原材料の輸入へとシフトする中で日本の炭坑は閉鎖へ。それに伴って坑木も不要に。不要になれば木を伐ることもなく、というより木を伐る機会を逸してしまったのです。
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気がつけば、坑木に必要な太さを超えて、大きくなる一方。しかし使い道は無し。(最近は科学の発展で利用方法が見つかってきたけれども)しかも、安い木ということで坑木候補に採用されたカラマツだったというオチ。
海苔栽培の変化も、森林の劣化に拍車をかけました。海苔栽培には、粗朶(そだ)という海苔の胞子を付着させる足場が必要です。昔は、木の枝を海に入れていたそうです。木ヒビといって、ナラやカシ、シイノキを枝ごと海中に沈めていたんです。その後、タケに置き換わりました。竹ヒビと呼び、木ヒビは1年で使用できなくなるのですが、数年使えると言うことで重宝されました。それなりにタケの利用があり、毎年生えてくるタケも伐っては使うというサイクルが成り立っていました。今は、網になりました。タケの利用も急激に減り、タケが毎年生えてきても伐らなくなりました。今では、タケが繁茂し、山が荒れています。プラスチックなどの新素材の登場もタケの利用を極端に減らしたのです。
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死ぬに死ねない相続税問題
相続税問題
人が死ぬと、罰金として相続税がかかります。
山持ちは土地持ち
それなりの相続税が課されたんです。
今はだいぶよくなったそうですが、せっかく育てた山を売り払うことが、あちこちで起こりました。現金を用意するために予定以上の木を伐ったりと、相続税の発生と共に林業を辞めたところも結構あるとか。
そうすると、山の管理はしませんから、山が災害に弱くなるというか、不健康になります。税金が公益性に、もう少し配慮があってもよかったのにと思います。だって、どんなに良い山を作っても、評価してくれなければ、虚しいだけですからね。
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かすかな希望も消えたシイタケ
今、スーパーで売っているシイタケ
国内産もありますが、中国産も目に映ります。シイタケの栽培技術は本当は国外に持ちだし禁止。椎茸を持ち込んでもダメなはずなのに。江戸時代なら即打ち首モノの犯罪行為。スーパーの野菜担当者は、その場で打ち首ですよ(江戸時代なら)
なぜか、金儲けのために商社(多分中小の商社)が菌を持ち出して、栽培を国外で始めました。いけないことという意識を持たずに(タネ屋さんも儲けのために売りまくっているのも問題です)。群馬のキノコ会社は意図的だったようですが。
ただでさえ木材価格が落ち込んで収入の見込みの無い山村。残された希望がシイタケ栽培だったのです。しかし、安い海外産のシイタケがスーパーで出回ることによって収入のアテがはずれてしまったんです。収入がなければ森の手入れが出来ない諸費用が捻出することが出来ないんです。手入れが入らない森は不健康になります。運が悪いことに望みを掛けて椎茸栽培に投資したのがバブル経済の最中。バブル経済がはじけて、投資金額を回収できなくなった人も多かったとか。海外から入らなければ、痛手も小さくてすんだだろうし、海外から入るのが分かっていれば投資しなかったかもしれません。
そんな中、昔植えたスギは、せまい中で(間伐:間引きがされていないので)何とか、生き残ろうとします。遺伝子を残そうとします。その結果が大量の花粉なんです。
「好きな木・嫌いな木」でもスギが嫌い、花粉症なんです。そんな声をたくさん聞きますが、そのような状況に追い込んでしまったのは普通の人の買い物行動だったのです。輸入物を買わなければ、もっと山の手入れが行われ、花粉も少なくなったかもしれません。今となってはもう手遅れかもしれません。安い椎茸を買った報いが花粉症と思ってあきらめてください。
加えて、今、途上国の貧しい人たちの生活の向上を目指したNGOの活動があります。個人的には自助論でも配ればいいと思うのですが、そんなNGOの活動の中にシイタケ栽培があります。ブーメラン効果ということを考えているのか。シイタケを高値で食べるの日本人ぐらい(最近では中華料理でも使われるようになりつつありますが)
日本への輸出を考えているかどうか分かりませんが、そうであれば、善意が人を殺すのです。日本の森を殺すのです。
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柔軟でなかった森林所有者
昭和50年(1975年)のヒノキ1立方が、66,200円だったのです。これは、大卒銀行員の初任給の1.5倍に相当しました。しかし、平成25年(2013年)では、17,800円です。12立方で大卒銀行員の初任給になります。ざっと18倍の差が付きました。
ドルで換算すると、昭和50年(1975年)で1$300円で、220ドル、平成25年(2013年)で1$100円で、178ドルです。200ドル前後ですから、それほどドル建てで見ると下落していません。40年という時間の結果です。
問題は、1975年のことを覚えている山持ちは、「いつかまた」という思いが強く、意識改革、スイッチを切り替えることが出来ないのです。燃料源や構造材が木しか無かった時期は、木の価値はあったのです。しかし、化石資源の登場で、社会環境は一変しました。アルミやプラスチック、ガスの登場で、従来通りの木の機能は、無くなったことに気づいていない、認めないのです。
バブル景気をまともだと思い、あれでなければ景気回復では無いと思っていると同じです。
逆に、金儲けにならないと諦めがつけば、別の道が開けたのかもしれません。
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潰された水源税
水源税という新税が潰れたのも大きな要因です。また、復活するという動きが地方で起きつつありますが、1985年(昭和60年)に林野庁が提起した水源税。流域ごとに特定の費用負担を受益者に求めるモノ。1立方メートル(水1トン)使うことに1円の税金。1986年(昭和61年)には、水源整備河川利用税。でも、どっちにしてもダメだったんです。産業界の強い圧力があったというのが一般的な説明ですが税金を入れることが怖かったんだと思います。
消費税を導入したら自民党は大敗しましたから。
まあ、山にお金が流れないんです。管理、手入れのお金が無いというのは、無惨です。
2000年になってから県レベルで水源税が検討され、高知県をはじめ、北海道、愛知県、島根県、岡山県等で動いて、都道府県レベルで森林環境税が導入されました。多くは、県民のために森林整備として使われています。
そして、国民一人1000円という形で、森林環境税・森林環境譲与税が森林整備のため、国土保全のために使われることになりました。しかし、森林の沢山あるところで使われるのではなく、森林は0なのに、人口が多いだけで都内で一番多くもらう世田谷区(1.2億円)と、都内最大の森林を持つ奥多摩町は、その半分以下(0.45億円)となっています。試算段階ですが、江戸川区(0.9億円)、練馬区(0.9億円)、杉並区(0.7億円)、大田区(0.9億円)です。
都内23区が、日本の森林のために、正しく(?)お金を使うとは思えません。環境教育とかにお金を使って、山に直接還元することはほとんど無いでしょう。国産材を高値で購入して木造の公共建築物を作ることはないでしょう。もし木造建築物を作るとしても、入札で買い叩くのが落ちです。木材を市価の2倍で直接森林所有者から購入するとかすれば、すごいと思いますが、ないでしょうね。木質燃料を公共施設の熱源に使うとかもすごいと思いますが、森林所有者により良い管理をしてもらうためのお金を生み出すことには繋がらないでしょう。。
とはいえ、一歩前進です。何処まで整備できるか、人財の問題、所有者と連絡方法等、課題は山積ですが。
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バカな自称環境保護団体&自称自然保護団体
木を使わなければ森が守れると信じ込んでいる集団。洗脳された集団を正常にするのは簡単なことではありません。例えば、日本環境報告という本をバイブル扱いにしている人には、手の施し用はありません。相手にしないことが一番正しい方法でしょう。
例えば、牛乳の紙パック。これは資源保護の観点から良くないと言っている人達がいます。で、どうするかというと、瓶を使えと。(個人的には、瓶の方が紙パックより好きです。理由は臭くなくて美味しいから)
その理由は、紙は木を殺すから、森を殺すから。でも、本当はどうなんでしょうか。紙パック牛乳1トンを1台のトラックで運ぶことが出来たら、牛乳瓶の場合、3台必要になるとか。その訳は、瓶を入れるための、固定するための容器が必要。その容器の重量や容積を換算すると、車3台ということで。そして、洗浄するために水や洗剤が必要等々。さらには、資源的、エネルギー的にどうなんでしょうか。
ちょっと冷静になって計算すれば良いんですけど。表面しかみれない人達が多いので、困りものです。
ちゃんと計算したらビンの方が良かったりして(^^:
あと、冬の大雪で食べ物に困った鹿の話があります。
鹿の頭数を左右するのは雪の量。ある一定以上雪が積もると鹿は身動きできず自然界で淘汰されるんです。悲しいですが、これが自然の摂理。でも、それでは可哀相と鹿を保護したんです。で春先に鹿を野に返しました。山に返したんです。すると、春先の植林した苗(新芽を美味しいから)を食べるんです。立木に背中(かゆいですから)を当ててこするんです。若木は曲がったり折れたりします。木を伐ったら植える林業。植林するんですけどシカが、カモシカが葉や芽を食べれば木は育ちません。曲がってしまった木は仮に育っても売れない木になります。植林した意味がありません。金をどぶに捨てる、いえ、シカやカモシカの胃袋に。
テレビや雑誌のインタビューに答える環境保護団体は、これは自然を破壊してスギやヒノキを植林するからだ。自業自得だといいます。針葉樹を植えるからだと。鬱蒼とした天然林なら問題ないと。・・・・でも鬱蒼とした天然林は下草が生えず、低木が育ちにくいので大型ほ乳類であるシカやカモシカには住みにくいんです。植物も淘汰されているので、花や実が少なく、食餌が乏しいから昆虫も小鳥もいなければ、その捕食者もいません。植林地では、いろいろな植物が我が意を得たりといっせいに生長します。だから、草刈りや除伐といった作業があるんです。広葉樹を残せといえば、シカやカモシカの餌場はありません。シカやカモシカを殺すといけないといいます。生かすためには餌場として植えた木を食べさせなければなりません。
何のために、木を植えるんでしょうか。林業家は。そしてその土地は誰の土地?なんでしょうか
ボランティアじゃないちゅうねん
緑が大事だから、木を伐ったあとに木を植えるんです。でもいつまでもシカやカモシカを守れと言えば、木を伐ったあと、誰も森作りなんてしません。あほらしいですから。そして、増えすぎて里まで荒らすようになっても、前例がないということで、駆除すること、頭数を管理することすら反対します。
あと笑い話で、山の手入れにまつわる話があります。山の手入れは、重要なことなんです。健全な自然の状態、健康な状態にする上で。その作業の一つに蔓切りというのがあります。ツル切りとは植栽木にまとわりつく蔓を切ること。理由は木に傷が付くというのではなく、秋に枯れた蔓が残っていると、山火事が起きた場合、その枯れた部分を伝って火が木の上に移るから。上に上がった火は、大規模山林火災に発展するんです。だから蔓を切らないといけないんです。で、その蔓を切りに行こうとした林業家は、鉈を持って伐りに行ったのです。すると何も知らない都会の人(?)が警察に通報したそうです。蔓が殺されると・・・・
一部では、植栽後に行う除伐間伐も生物多様性を壊すとわめいている人もいます。(知り合いにいました)。
多分、可哀相という優しい気持ちから何でしょうが。。。。。。。そこで生活している人はどうでも良いんでしょうかね。本心で可哀想だと思っているのなら、お金を出して山を買ってフェンスして外に出れなくすれば良いんです。
それだけではありません。とある海岸林の話です。そこの海岸林は一般的なクロマツの森なんです。ということで大敵松食い虫との戦いのさなか、材腺虫の駆除、カミキリムシの駆除、抵抗性の高いクロマツの植栽等、いろいろな手を駆使して対処しているんです。その中で殺虫剤を撒くというのがあります。これをしないと松の木が枯れるから、森が無くなるからです。森が無くなるとその海岸林の背後にある農地に被害が生まれます。農薬を撒くことで、松林が塩の害や風の害を防いでくれているんです。で、ある農家が、ブームに乗って無農薬野菜にチャレンジしたんです。すると散布された農薬(殺虫剤)がそこの農家の農地に届くんです。すると無農薬野菜として売ることが出来ない。だから農薬の散布はやめてくれと。
じゃ、松林を枯らしていいんですかと、あなたの個人的な欲望のために、他の人が苦しんでもいいんですかと。
別の海岸林では、木がないために、そこに住む人が貧乏を強いられ、つい最近海岸林造成の成功で緑が戻り、魚が戻り海産物が戻ったところがあります。でも、森はまだまだ作っている段階、やっと根付いた段階なんです。これからなんです。でも、ある狂信グループは、そこに植えられている木が単純で生態系が脆弱とわめいているんです。豊かな生態系にするために、海岸林でマツの木だから花がないというので花を植えてくれと。マツだって目立たないけど花が咲くんですよ。だからマツポックリが出来るんですけどね。一歩松林の中に入れば、たくさんの植物が侵入していて、キノコも生え土壌が戻ってきているんですけどね。
海岸林の意味、存在する意義が分かっていないのに、生態系を守れとか、多様な植生にしろとかいうんです。耳を傾けないと、住民を無視しているというんです。住民ではなく獣民なんでしょうね。こういった生き物にはちゃんと説明しても、理解できないから、こっちの質問をはぐらかせているとか、きちんと説明しないとかいって抗議するんです。どっかの国会議員と一緒なんです。私が担当者なら、「おっしゃることはもっともです。花を植えましょう。でも、花を植えるのはあと300年ほど待ってください。成林する時間をくださいと。」と真面目に返事するんでしょうけどね。こんな答えをしたら、多分同じ文面のFaxやメールがジャンジャン事務所に来るんでしょうが。
花さえあれば豊かな生活が出来るんですかね。見た目は悪いけど、目立たないけど、緑の松林という縁の下の力持ちがいるおかげで、豊かな生活が出来るんではないのでしょうか。
発言する人達も一時的な感情で物をいうのではなく、推敲してから発言してくれればいいんですけどね。
まぁ、昔の人はいいました。バカに付ける薬はないと。
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高騰した人件費、円が強くなったことによる海外(特にカナダやアメリカ)の木材の輸入。伐っても植え直さなくて良い林業や植えることをしなかった海外の林業の圧力。雑草がすぐ生え、下刈りをしなければならい日本の林業、この後どんな道に行くのでしょうかね。林野庁3兆円の借金、その一方で森林の持つ機能の経済的価値は75兆円以上(年間)。3兆円の借金で毎年75兆円の黒字を生んでいるのに???不思議な世界です。でも、林野庁が元気にならないと、日本の林業全体も元気になりません。
そして、もし資源を海外から頼ることが出来なくなっても、木質資源だけは供給出来るように、投資した金額を回収出来ないかも知れないけど、3代先のことを考えながら木を植えています。農業は1年、工場は数年先をみて経営しています。でも林業は70年、100年先をバカみたいに、木を植えて、草を刈って、間伐してと手入れをしています。将来、資源不足になって困らないようにと
林業を環境破壊という人がいます。自然破壊と、生き物を殺すと。ダメな産業という人もいます。邪魔な産業とか、採算に合わないとか、花粉をまき散らす病原菌とかいう人もいます。花粉症のために伐ってしまえと広葉樹にかえせと。でも、数少ない、もしかしたら唯一の再生可能な資源です。私たちは生きていること自体が業なのにねぇ。自然界に支えられているからこそ今があるのに、それを否定して良いんでしょうかね。そしてコスト優先、効率優先が豊かな社会を作るんでしょうかね。無駄が文化を育むと言いますけど。
日本は、森の文明とか木の文化というのに、木を使うこと、森を利用することをダメだという。文明・文化とは利用してこそ成熟していくモノなのに、森の文明や木の文化を放棄した方が良いのでしょうか。その根本に位置するのが林業であり、林産業なのです。
日本の林業を悪くいう人は、歴史を知らずして、背景を知らずして語ってはダメだと思います。自然は守るものではなく、作るものと何かで読んだことがあります。今の日本の自然があるのは、林業という生産の場として木々があるから、林業が作ってきた自然というのはちょっと言い過ぎかもしれません。でも、林業としての経済的価値が無くなれば、確実に住宅地や工業団地、ゴルフ場にリゾート。緑の色から別の色に変えられてきました。今の林業は、環境に配慮するという新しい視点を取り入れつつあります。今まで無かったわけではないのですが、昨今の環境意識を取り入れています。本当は、地道にしていたけど誰も振り向かなかった。そんなところかもしれません。
山の動物が里に下りてきて農作物を荒らす。
自然破壊の林業のせいと書くマスコミがあります。でも、本当なんでしょうか。美味しいモンがあれば、それを食べるのは動物も人間も同じでは。グルメになった野生動物、質素な山の食事では満足できなくなったのでは、そんな気がするのですが。六甲山のイノシシはスーパーの買い物袋めがけて突進してくるんですよ。北海道のヒグマは、冷蔵庫のハムを食べるんですよ。野生の猿や熊が仏壇のお供え物を食べるんですよ。これってグルメ以外の何もんでもないですよね。
ステレオ的な報道はもうそろそろやめたらと思うのは私だけでしょうか。
たぶん、これも林業をダメにするやる気を落とす一つでしょう
木を伐ることに反対するなら、口だけでなく懐も出してください。山そのものを買ってしまえば良いんですよ。
その前に、日本の林業がたどってきた歴史を是非勉強してください。調べてみてください。それから、発言してください。なぜ、今のような状態なのかを、知ってからです。お願いします。恥をかきますからね。言うは易しなんです。
意見がありましたらメールをください。
「国の宝は山であり、山の衰えは国衰である」
秋田藩祖佐竹義宣の言葉(ゴーストライターは家老の渋江政光)です。
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