県木:ヒノキ Chamaecyparis obtusa |
県花:雲仙ツツジ Rhododendron serpyllifolium |
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ユズリハでハッピーハッピー | 市町村花見 | |||
対馬の焼き畑 | ||||
幻のうどんと椿 | ||||
対馬は、日本ミツバチの楽園 | ||||
佐世保はシャシャンボの街 | ||||
妄想梅干しで城攻め | ||||
長崎県壱岐島 ユズリハでハッピーパッピー 語源は、若葉が出ると、古葉が落脱するということで、席を譲るからきたユズリハ(Daphniphyllum macropodum)。子が成長し、親が譲るということで世代交代を意図するんです。 絶えることがなく世代が継承される聖なる木ということで、壱岐では正月2日にユズリハの葉を2枚神棚に供えるそうです。 世代交代したい人に何気なく、ユズリハを贈るのは如何でしょうか |
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対馬の焼き畑 対馬の焼き畑「木庭作(こばさく)」 前回の焼き畑から15〜25年たった広葉樹の森を伐採します。伐採後、この木々を利用して猪囲い、(イノシシやシカ除け)を作り残りを燃やして灰にします。 灰をかきならして、2〜3年間しか、利用できないんですけど。夏作に、アワ、ヒエ、ソバ、マメを植え、地味の良いところでは冬にムギを植えます。 猪囲いが壊れるまでの3年間が利用時期、囲いの木が朽ちるまでが勝負。 焼き畑は、地力の低下と雑草との戦いを良く聞きますが、ここでは、野生の動物との戦いだったんです。 |
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幻のうどんと椿油 日本3大うどんの一つ長崎五島列島の五島手延べうどん。うどん通に重宝されているとか(って書いていました) 1690年(元禄3年)に今の東京(江戸)に行った島民が帰り道でうどんの製法を覚えて、帰ってきたのがそもそもの始まりだそうです。 その後、一般的に知られることはなかったのですが、捕鯨船で南氷洋に繰り出したときに、船内の食事でアウトブレイク。五島列島出身者のコックさんが作るうどんを、他地域の人が食べて大感激。帰国後、取り寄せてから口コミで全国に広がったんだそうです。 うどん粉をこねるときに、油を差すのですが、この油が、椿油。五島列島では、椿が沢山あり、また油が良質ということ。また、手延べの麺を乾燥するのに良い潮風が吹くということ。これらが相まって美味しいうどんを作っているんだそうです。 |
長崎県五島手延うどん振興協議会 http://www.goto-tenobeudon.jp/ |
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対馬は、日本ミツバチの楽園 天敵の熊がいないために、昔から生き続けているのが、対馬の日本ミツバチ。 蜜洞という樹皮を剥がした杉や檜の丸太を刳り抜いた巣箱を作って、野生の蜜蜂を呼び込む方法です。 採蜜は、ソバの花が咲いた後の10月下旬から11月上旬の年1回。収穫は、すべて採るのではなく、蜜蜂分は残します。来年も頑張ってもらうためです。 |
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佐世保はシャシャンボの街 佐世保市は、元々小さな村だったのを、天然の良港を生かして海軍の拠点、鎮守府が出来たから発展した都市です。 その、佐世保は、「サセブ」が語源とか(一説です) サセブという木がたくさんある場所ということなのですが、サセブとは、シャシャンボ(小小坊 Vaccinium bracteatum)のこと。 シャセンボとも言います。なんだか佐世保に近い音? |
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妄想梅干しで城攻め 戦国時代の天正14年(1586年)、長与純一は、主君の大村純忠に、反旗を翻します。浜城は名前と異なり、山城であるため、攻め込む大村軍は、苦戦します。山城であるため、登ると息を切らす羽目になります。 ここで、大村彦衛門という家臣が、突然「梅干し」「梅干し」と連呼します。それを聞いた周りの喉が渇いた兵達は、思わずゴクリと唾を飲み込みます。結果、喉の渇きを忘れるのです。そのまま、城を攻め落とします。 浜城はこれ以降「唾飲城(つのみじょう)」と言われるようになりました。 三国志の曹操の故事「梅林止渇」にならったかは、不明です。 |
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