三重県  
  県木:神宮スギ
Cryptomeria japonica
県花:ハナショウブ
Iris ensata
 
杜(森)の話    
杜(森)の話森を作った人・守った人 杜(森)のリンク どうでもいい話 戻る
         
  伊勢神宮の遷宮       
  尾鷲林業      
  太郎と花子      
  ウバメガシの鰹節      
  三重の植物利用      
  ハゼノキ対策      
  ヒノキは火事の木      
  伊豆大島の家は熊野産木材      
       
伊勢神宮の遷宮
伊勢神宮は、20年ごとに遷宮しています。
技術の継承という意味でも大変重要なことです。それと同様に造営するための木材の供給を五十鈴川上流に人工林(スギとヒノキ)として植林しています。

水のきれいなところで、山ヒルに血を吸われましたが気持ちのいい山でした。


 

尾鷲林業
三重県の南部に位置する尾鷲。
1624年(寛永元年)に人工植林が始まったと伝えられています。土井家の祖新助が造林技術の発達に貢献したといわれています。

尾鷲地方は、紀州藩の奥熊野尾鷲組と呼ばれており、紀州藩は私的所有林として、公認しており、木炭生産とともに用材生産も行ってきたのです。

尾鷲林業にとって山地として確立するきっかけは、江戸の火事と切っても切り離せない関係でした。

江戸が火事で燃えるたびに儲かって儲かってしょうがなかったそうです。

その歴史

年号 西暦 記事
古代 素戔嗚尊、五十猛命が木種を分布して、紀の国(木の国)
天正11年 1583 大阪城築城に熊野材を使用して、名声を上げる
慶応10年
  12年
  14年
1605
1607
1609
江戸城増築に熊野材を使用
駿府城本丸再建に熊野材を使用
方広寺大仏殿の用材に使用
寛永年間

1624
 ↓
1643
土井家の祖新助、尾鷲に移住し、杉、ヒノキを植栽、人工造林を始める

寛永13年 1636 奥熊野山林定書を公布し、山林の保護を強制
明暦3年 1657 紀州藩「御仕入方」という役所を創設、林業の奨励をはかる
元禄15年 1702 御仕入方の木炭の生産を奨励し、熊野炭の成果が上がる
宝永年間

1704
 ↓
1710
土井八郎兵衛が、小原野を拓き、植林に努める
宝暦年間

1751
 ↓
1759
製炭業が盛んになる。
土井氏、江南竹を薩摩から持ってきて造成する。
明和年間

1764
 ↓
1771
海運の便が開け、林産物の販路が拡大する。
製炭植林事業が盛んになり、伐期60〜70年に設定した大経木(杉)を目標として疎植
寛永年間

1850
 ↓
1853
木材需要の増加に対処し杉40〜50年生の物まで伐採。
スギ、ヒノキの混植に移行し、密植経営を始める。
明治年間

1912
 ↓
1925
スギ林が次第にヒノキ林に変わる。
ヘクタールあたり1万本内外の密植
明治38年 1905 土井八郎兵衛による柳ノ谷における釣瓶式架線の架設

(三重県の資料より)

尾鷲林業の特徴は、
・ヒノキの密植(6000〜8000本/ヘクタール)
・下刈りは、手鎌を用いて、植えて8年まで綿密に丁寧に行う
・2〜4年は年2回下刈り
・除間伐は、8〜50年までの間、10回ほど行い、最終的にヘクタール1100本程度にします。


太郎と花子
鈴鹿市土師町(はぜ)の話。12月7日(第1土曜日)に新嘗祭的な祭りで、「山の神のどんと」といいます。子供達がムシロがけのワラ小屋を作って籠もります。

今は夜更けに、昔は翌朝に小屋を燃やします。ここの山の神さまは「太郎様」「花子様」の夫婦。藁細工で作った嫁入り道具で花子が太郎に嫁入りする形式をとっていたとか。
今でも、新米を炊いて子供同士が会食します。それから、小屋の外で大火を焚きます。

火に当たると厄よけになるとのこと

冬至が近いので、たき火で火に太陽に活力をという意味なんでしょうか。燃やすことで、煙が上に行くので里にいた神を天に戻す意味があるんですかね


美杉村では、モチを盗んだ神さまが、海に放り込まれてずぶ濡れになって帰ってきたので、体を温めるため大火を焚いて迎えるとか


●●に××
美杉村に伝わる牛蒡に感謝するお祭り。牛蒡祭は、
ウバメガシの鰹節
伊勢神宮に奉納する鰹節は、三重県産です。歴史は古く、江戸時代の番付では、行司役という位置づけ

奈良時代から、朝廷に献上していた歴史のある鰹節ですが、特徴は、材料がウバメガシ(Quercus phillyraeoides)であること。照葉樹林帯の代表的な樹種ですが、普通は、備長炭に利用されます。しかし、三重県では、燻すのに使われるのが、ウバメガシなのです。

鰹は、沖合の黒潮に乗ってくる鰹を使います。


三重の植物利用
・シラミにアセビ
 アセビの葉の煮出し液をシラミ駆除に使用。アセビのことを、アセンボ、ハゴモリともいう。

・甘茶で蛇避け
 花祭りで飲む甘茶、ヤマアジサイ・コアマチャを、家の周りや鶏小屋周辺に振り撒く。

・柏餅はサルトリイバラ
 柏餅の柏の葉の代わりに、サルトリイバラの葉を代用。申酉ビラのことを、イビツ、エベツ、エビツバラともいう。
 このため、場所によっては、柏餅と呼ばずに、おさすりという。

・柿渋にアカメガシワ
 樽漬法にアカメガシワの新出葉を継ぎ足すことで、渋の抜け具合が良いとのこと。干したり、お湯につけたり、アルコール漬け、炭酸ガスを使って渋抜きをするのですが、アカメガシワも持っているタンニンがあるので、より早く、より多くのアセトアルデヒドが出来やすくなるのだろうか? アセトアルデヒドとタンニンがくっつくことで、渋みが無くなります。
 アカメガシワのことを、カシャバ、ソモソモノキとも言う。

・鯨にアカメガシワ
 熊野市遊木町での鯨供養の時の供花は、アカメガシワを使用

・椿葉という煙草
 椿葉と書いて、”しば”と言います。紀伊半島では、刻み煙草を椿の葉で巻いて吸うことが行われていたそうです。椿の葉をメガホン状に巻いて、刻み煙草を詰めて吸うということから、シバマキタバコとも呼んだようです。

・山桃
 材は、複雑に捻れているため、非常に割れにくいという性格から、漁船の陸に上げる際の盤木材として利用。
 樹皮は、漁網染めに利用。年2〜3回染めることで、漁網の耐久性を高めると同時に、水中で目立たなくする効果があった。この染め方は、しんが染めと言うが、本来は、シイノキで染める事であるが、山桃の方が質が良かった。

ハゼノキ対策
触れなくてもかぶれてしまうハゼノキに負けてしまう人には、色々な民間療法がありました。

・油揚げを付ける
・菜種油を塗る
・エゴマの葉を揉んで付ける
・患部を栗の煮出し汁で蒸す。


ヒノキは火事の木
ヒノキは、火の木ということで、火事に結びつくと言うことで、熊野地方では、個人の住宅の棟木に使うことはいけないとされています。

多分、寺社仏閣に使う大事な木なので、資源保護の観点から使用制限したと思われます。

伊豆大島の家は熊野産木材
 江戸時代の話ですが、伊豆大島の家は、三重・和歌山産の熊野材で出来ていたんです。
理由は、大雨で山が崩れたり、増水して丸太が流され、その後、黒潮に乗って流れ着いたから。

 通常は、熊野林業で生まれた木材は、筏師によって、新宮の川原で伐出業者や問屋、山持ちの木主に渡されるのです。でも、増水の結果、流木とか、流難材と呼ばれる人の手から逃げていくのです。

 江戸時代は、勝手に処分することは許されておらず、村役人に届けて処分していました。明治時代は、地元の材木業者、昭和に入ると木材協同組合や、地元の流木防止協会が対応したとのこと。川の湾局部に、富士蔓と丸太を長く繋いで、材木を留めていたそうです。その後は、ワイヤーロープになるのですが。

 丸太には、刻印が打っているので、そこで確認していたのです。しかし、海に流れた丸太は回収できずに流れるのですが、木主の名を受けた担当者は、刻印を持って伊豆大島に渡ります。

 海岸に流れ着いた丸太にある刻印を確認して、現場で売却していたのです。経費はかかるので、利益は通常の3〜5割ほどだったそうです。

 流木を拾って家を建てていたんです。もちろん、お金を払ってです。もちろん、刻印のないのは、持ち主が証明できないので、無料で使うことにはなるんですけど。