神奈川県    
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Lilium auratum
 
杜(森)の話    
杜(森)の話
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  ウルシin神奈川      
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ウルシin神奈川
鎌倉彫
鎌倉時代、仏師がアルバイトで始めた彫刻、漆芸が、発祥とされています。明治元年「神仏混淆禁止令」を機に、ご飯を食べていくため、日常生活に必要な漆器の生産に変更しました。

カツラやホオノキを原木に彫刻後、蒔錆、下地付け、下地研ぎ等。これでもかと堅牢な処理を行って朱塗り、堆烏塗り仕上げなどを行なう。

小田原漆器
15世紀初めに箱根山で木地挽された器物に漆(相模漆)を塗ったのが始まり。天然木材の木目を生かす木地呂塗、摺漆塗を主な技法に、彩漆塗を併用する技法が特徴。
そして北条氏康によって塗師を城下町に招き、産業化し、東海道が交通の要所となり利用者が増えるにつれて盆、椀、鉢、皿等実用的な使われ方がされていったのです。

横浜芝山漆器
1772〜1781年の安永年間に芝山専蔵によって発明された漆器。貝や珊瑚、牛骨を使った象嵌細工の漆器として有名。







●鎌倉彫のすべて
  http://www.kamakuraborikaikan.jp/

●小田原漆器
  http://www.ishikawa-shikki.com/
 



出典:IPA「教育用画像素材集サイト」
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/


地元では、御林(おはやし)と呼びます。


真鶴町のWEBサイト
http://www.town-manazuru.jp/
魚付き林in真鍋
鶴の首に似ているという理由だけで真鶴半島と呼ばれる小田原と熱海の中間付近に位置する半島です。箱根火山の外輪山なんだそうです。ここに、神奈川県で唯一の37haの魚付き保安林(大正9年(1920年)指定)があります。
明治37年(1904年)にも一部指定されたそうです。

江戸幕府が「江戸の華は火事と喧嘩」対策として、いつでも火事の跡に家が再建できるように、木材資源の確保のためを政策を推し進めたんです。おかげで、三重の尾鷲林業や埼玉の西川林業など古い林業地が誕生するのですが、小田原藩でも例外ではありませんでした。市場に近い利便もあったのでしょう。寛文12年(1672年)頃に、各村に植林するよう要請したのです。真鶴半島でも、15万本の松を植林する事になったのです。(各村に15万本植えさせたとも?)

元々用材目的での植林が、落葉から溶け出したミネラル分が海に注がれるだけでなく、海面に影(落葉)を落とすことによって、プランクトンの発生→小魚の集合→中型・大型魚の登場→漁師ウハウハ→小田原かまぼこの誕生となったかは分かりませんが、村持山への植林が、藩有林「御林(おはやし?)」に、そして禁伐対象の「藩御留山」となって、今に至っています。(正確には、御料林→国有林になった後、昭和27年に村有林に払い下げられたそうです)

一応、クロマツの林ということで、海上からもよく見えるため、漁場のポイントとして「山あて」としても、利用され、船の航行にも役立っています。

箱根生まれ1
箱根のお土産で有名な寄せ木細工。
旧街道沿いの畑宿が発祥の地。元々は、平安時代から木工細工はあったそうですが、江戸時代に入って、温泉場や街道の茶屋のお土産品として発展したそうです。

畑宿に住んでいた石川仁兵衛という寛政2年(1790年)生まれ、嘉永3年(1850年)に没の人が技法・技術を確立。

主な樹種
白色系 アオハダ Ilex macropoda
マユミ Euonymus sieboldianus
ミズキ Swida controversa
黄色系 ニガキ Picrasma quassioides
ハゼノキ Rhus succedanea
ウルシ Rhus verniciflua
茶色系 クルミ Juglans mandshurica
エンジュ Styphnolobium japonicum
サクラ Prunus jamasakura
ケヤキ Zelkova serrata
褐色系 ケヤキ神代 Zelkova serrata 
灰色系 ホオノキ Magnolia hypoleuca
黒色系  カツラ神代 Cercidiphyllum japonicum
赤色 レンガス Gluta spp.
ナトー Palaquium sp. 
紫色 パープルハート Tradescantia pallida


箱根生まれ2
箱根生まれで有名なお土産の一つが、挽物細工。
天保15年(1844)に、「十二玉子」という、開けても開けても玉子(入れ子)という細工物が、湯本茶屋にあった信濃屋亀吉によって作成・販売。これが出発点として、三十六玉子まで発展。
様々な細工物が生まれて、七福神のタイプも登場。
これを、箱根塔ノ沢のロシア正教の保養所に来ていたロシア修道士がお土産にロシアに持って帰って生まれたのが、マトリョーシカと言われています。


小田原の梅干し
梅干しは、紀州、熱海と有名処のある中、小田原も有名な一つ。その理由は、古いから。

その起源は、北条早雲以前から城内や武士の屋敷に梅を植えさせたこと。梅の花を愛で、平和のありがたみを感じるためかは分かりませんが、戦時中は、携帯用食品として梅干しの需要がありました。梅干しの需要をまかなうために、植えられたのが起源だそうです。

江戸時代に入ると東海道箱根を越える旅人のために、お弁当の腐敗を防ぐ役目として、活躍するようになったのです。

「梅漬けの名物とてや留め女口を酸くして旅人を呼ぶ」と東海道中膝栗毛で弥次郎兵衛が詠んでいます。





ヤナギin神奈川
薬効成分があり、細工物にも使われる柳ですが、場所によっていろいろな伝承があります。

◎屋敷内に柳の木を、植えるのは縁起が悪いと忌み嫌っている。(場所不明)


集落を守った杉
江戸時代、スギ(Cryptomeria japonica)、ヒノキ(Chamaecyparis obtusa)、ケヤキ(Zelkova serrata)、モミ(Abies firma)、ツガ(Tsuga sieboldii)、カヤ(Torreya nucifera)が禁木指定で、備蓄林としていざという時のために取っておいたため、大径木がゴロゴロあったことから宝木沢と呼ばれていたそうです。なので、箒杉ではなく宝木杉なのですが、箒に樹形が似ているから箒杉と呼んでいる?らしいです。
樹齢2000年と推定されており、胸高直径12m、根回り18m、樹高45m

明治37年(1904年)の大火では、集落まで火を進めることなく食い止めた歴史があります。この時の焦げ目が今なお根に残っています。また、昭和47年7月12日には、昭和47年7月豪雨と呼ばれる豪雨災害で土砂崩れが周囲でも起きる中、生き残った歴史もあります。そういう意味では、集落の守り神的存在として、7月12日と秋祭りの10月13日に地区の人は参拝しています。

逆に言えば、明治維新までは、箒杉のような大径木がゴロゴロあったと言うこと。




これが明治の大火の跡





茶畑は、土砂崩壊地跡
門入道
西丹沢の山間部に伝わる守り神
勝の木と呼ばれるウルシ科のヌルデ(Rhus javanica)を利用します。毎年、1月4日の仕事始めに、山に入って木を伐採し、製作します。家の玄関の両側に対で置くのですが、19日には片付けなければならないこと。このため、囲炉裏や小正月のどんと焼きで燃やします。
理由は、20日の恵比須講に恵比寿様が来るため、怖い顔の門入道があっては、来てくれないからだとか。

勝ちの木とは、聖徳太子が蘇我馬子と物部守屋の紛争の際、ヌルデで仏像を作り、蘇我馬子の戦勝を祈願したとの伝承によります。

静岡県東部にも同じような風習があるとのこと。


三椏の里
西丹沢のある山北町では、ミツマタの里として売り出しています。
小田原にある印刷工場で万札を刷るために必要だった三椏(Edgeworthia chrysantha)を供給するために栽培されたときの名残。昭和20年頃まで、盛んに栽培されていたとか。

元々、中国原産の木であり、江戸時代に、丹沢や箱根で植林された経緯から、今では、これらの地域の山中に生えている。






奉納植栽が行われており、「杉の苗1万2千本 東京日本橋区堀江町二丁目陸軍歩兵」の碑もあり。

天狗と杉林
大雄山最乗寺は、天狗の山
宗教的には、福井の永平寺、鶴見の総持寺に次ぐ格式の高い曹洞宗のお寺です。応永元年(1394年)に創立され、その創立に貢献した道了というお坊さんが、寺の完成と共に天狗になった場所です。このため、世界最大の下駄が奉納されているほか、仁王門からの3キロの参道には、樹齢500年以上の杉並木になっています。

所有する森林は、約130haあり、この中に約17万本のスギ。このうち、26haは神奈川県の天然記念物に指定。

奥の院から見た杉並木