県木:ツツジ Rhododendron spp. |
県花:ウメ Prunus mume |
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ウルシin福岡 | 市町村花見 | |||||
ヤナギin福岡 | ||||||
ハゼの木並木 | ||||||
木が無くなった! | ||||||
雑煮は栗の箸< | ||||||
厄除け+長生きの葉 | ||||||
鹿の恩返し | ||||||
ウルシin福岡 籃胎漆器 明治18年に、川崎峰二郎が竹籠に堅地漆器の技法を利用して塗り上げたのが始まり。 産地である久留米地方は良質の竹がとれるため、多くの竹細工業者のいたことから、明治20年頃から産業として成立していきました。 網代編みの網目を下地で埋めて、黒、朱、黄漆を塗り重ねます。そこに、透き漆をかけて、網目を研ぎ出して凹凸を際立たせ、最後に透き漆で仕上げるのが特徴。 |
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ヤナギin福岡 ヤナギにまつわる迷信(?) ◎歯痛にはヤナギの楊枝を使う |
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ハゼの木並木 江戸時代、九州諸藩では油糧としてハゼを植えたのです。 ちぎってハゼの実を採るのが「てぼちぎり法」。下に敷物をひいてその上に落とすのが「ちぎり落とし法」 |
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木が無くなった! 最初に石炭を使ったのは製塩のためとか。 文書上の情報では、津屋崎あたりで元禄13年(1700)頃には製塩用の薪になる木が姿を消していたとか 石炭の使用が始まったのはそれより前の1661年頃(寛文・延宝)の頃から 徐々に、瀬戸内海の森が無くっていくにつれて石炭が次々と使用されることにだいたい1800年初め(文化・文政)には瀬戸内海一円に広まったんです。 製塩業が盛んなところの森は姿を消したんです。 |
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雑煮は栗の箸 商売の都市、博多の風習 何事もやりくりが大事ということで、1年のはじめのお正月の雑煮は栗配箸で 金繰りが順調でありますようにという、そんな願いがあるとか そのお家の家長が、注連縄を作る時に一緒に栗の枝を削って作ったそうです。 ちなみに、お正月の祝膳だけに使って使ったあとは、火に納めるということで燃やすんだそうです。 |
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厄除け+長生きの葉 本庄の大楠は、巨木ランク全国4位という位置づけ。樹高が25.8m、DBHが20.6mの楠です。 このためか、この楠の葉を、懐やポケットに入れておくと、色々な災害から免れ、長生きできるとのこと。 このご利益のおかげ?で、大正時代に国指定天然記念物に指定されています。 大楠神社 築上郡築上町大字本庄1641 |
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鹿の恩返し 築上町の女鹿清水観音堂は、湧水を飲むとお乳の出が良くなることで有名な水です。 この観音堂には、次のような言い伝えがあります。 昔、炭焼き職人が、森の中から聞こえる鳴き声、近くの村人に射られて、傷ついた母鹿と乳呑み児の子鹿を見つけます。傷口を洗うため、湧き水で手当てしたあと、親子鹿と炭焼き職人は別れます。 炭焼きは結構過酷な労働で、貧しい人、最貧層の人の仕事です。日本の昔話的には、真面目、正直で馬鹿を見る人たちなのです。 そんな炭焼き職人は、クタクタになり、そのまま疲れて寝ているところに、観音菩薩が現れたのです。 「傷ついたところを助けてくれてありがとう」と炭焼き職人に礼を言ったのです。びっくりした炭焼き職人は、観音様の化身だったのことにビックリすると同時に、祠を建てたそうです。この観音様は、「乳の観音」といわれ、乳の出、子授かり、疫病平癒のほか、何故か雨乞いに御利益があります。 当時は、鹿は貴重な食料であり、資源保護の観点からも、雌鹿と子供は、乱獲で資源不足になりやすかった状況を改善するために生まれた話かもしれません。 |
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奉納杉 朝倉郡東峰村大字小石原には、英彦山に入る際に修験者は、挿し穂をして入山したんです。このため、行者杉と呼ばれることに。 この中で、大王杉は、樹高55m、DBH8.3mの大きさ。推定樹齢は600年超えです。このほかに、霊験杉、鬼杉、境目杉等があります。大小併せて、200〜600年生の杉林4.68haがあります。 |
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