県木:ツツジ Rhododendron spp. |
県花:ウメ Prunus mume |
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田尻総馬 | ||||
俵屋清三郎 | ||||
竹森清左衛門 | ||||
塚本直次・鹿毛鉄四郎・増田三治・豊島幹生 | ||||
黒田長政 | ||||
鬼奉行と呼ばれた天才技術者 田尻総馬 矢部川の水害防備林として「狐林」と呼ばれるクスノキの森を作った人。 筑後市の船小屋と山門郡瀬高町の新船小屋との境を流れる矢部川のほとりで、「中の島」という台地を「狐林」と呼びます。ここには鬱蒼たるクスノキの森がひろがっている。この森 が国指定の天然記念物となったのは、1974年(昭和49年)のことだそうです。この上流は、野林といいます。 胸高直径3m以上のクスノキの巨木が170本あまり、それに続く1.5m以上が300本 から成り立っており、1695年に植林されたことが記されている。 「木六、竹八、葦九月、総馬の首は今が切りどき」。当時、柳川藩で流行った歌。田尻総馬の洪水防止のための植林が、如何に厳しかったかを物語っています。 クスノキの根で堤防をがっしり固め、タケが、溢れる水の勢いを和らげる機能を 果たしました。 田尻総馬は寝食を忘れて工事を急がしたので、人夫たちからは不評を買っており、木は、6月に、竹は、8月、葦なら9月が切るのに最適で、田尻総馬の首なら 今であるという、ある意味とんでもない歌であるけど、やはり、そこまでしないと身の安全は保障できないと言うことなんでしょう。 ガイドブックで、ここが公園として紹介されていました。 公園はいいのですが、人が入ると、根が踏みつけられ、木が弱ってしまいます。まさか、そんなふうに人が入れるようにしているのでしょうかね。そしたら、先人の遺業を台無しにすることになると思いますが、地元の方、どんなふうになっているか、教えてください。 ガイドブックを見る限りでは、危惧するような事態になっているようですが・・ 自然とのつきあいは、人間関係以上に難しいです。 市民にこびる行政ではなく、市民の利用を排除しても、不評を買ってしまっても守るべきモノを守るのが行政および政治家の務めと思いますが さて、この水防林の背景には、久留米藩と柳川藩の境であった矢部川で、久留米藩は財力も人もいて、立派な堤防で田畑を守ってきました。一方の柳川藩は、貧しく経費のかかる堤防を作ることが出来ず、常に洪水の被害に悩まされ続けていたそうです。柳川藩主立花宗重は、護岸と国防の100年の大計としてクスノキを川岸に植えるのですがうまくいかなかったです。洪水の度に無に帰すの繰り返しでした。 片方の堤防が頑丈になれば、溢れた水は弱い箇所を襲い、決壊に繋がります。相手より強い堤防を、護岸工事をすることが求められました。 田尻相馬は、久留米藩の妨害を受けつつも、悟られぬように植栽をしたそうです。土俵に竹の苗を入れて並べたり、千間土居という堤防を築いたとのこと。 |
弧林の中の様子 |
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俵屋清三郎 酒屋 1736年から1760年にかけて植林 |
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竹森清左衛門 1596年から1623年にかけて博多湾で植林 たぶん、藩主黒田長政の命令?のため それとも、藩主の心意気に打たれて? |
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ハゼ並木を守った人 塚本直次・鹿毛鉄四郎・ 増田三治・豊島幹生 久留米市の柳坂曽根のハゼ並木を守った人 |
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黒田長政 1568〜1623の戦国武将 農業の振興のため、防風林、防砂林が必要ということで、博多湾一帯の海岸に植林。 玄海町の5キロになるさつき松原 福岡ドームのある百道松原(ももちまつばら) 生の松原 等々 |
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生立八幡宮の大楠 |
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