イラン・イスラム共和国
Islamic Republic of Iran
         
  日本人は騎馬民族の末裔?
チューリップのふるさとイラン
ザクロのふるさと
森林官は命がけ
土壌保全の知恵 
薪を盗るためにヨーグルト
戦争の爪痕
街路樹は水路に
葉から石鹸
自然資源週間の一例
  こたつにミカンは無い
カスピ海は、緑の森
アーモンドの食べ方
唐草模様とアラベスク模様
イランのお正月飾りはナツメ
罰金代わりの植林
樹液のお菓子ギャズ(Gaz)
そんなお茶、いらんちゃ
イランのお茶文化
お茶とともにクルミも
  赤ちゃんにアーモンドミルク     
               
こたつにミカンは無い
イランの冬は、寒いです。雪は降りますし、スキー場もあるイランですから。寒い冬の過ごし方は、日本と同じ。

こたつです。遊牧民の場所では燃料は羊や山羊の乾燥した糞だったとか。畜舎で飼っているので、糞を家畜が踏んで水分を飛ばし(元々乾燥地)、臭くなる要素を排除して使うんだそうです。

そのコタツの上には、日本ではミカンが定番ですが、イランでは、ドライフルーツです。アフガニスタン等の高地でのスタイルです。

もちろん、イランでは、これに紅茶です。







カスピ海は、緑の森
イランと言えば、砂漠。緑とは縁の無い国と思ってしまいます。しかし、イランにも濃い緑、日本と似た緑の場所があります。

それは、カスピ海沿岸です。カスピ海からの湿った風が山脈に当たって、豊かな雨をもたらすためで、山脈の反対側のテヘランはいつも乾燥状態です。

氷河期の生き残りのようで、主な樹種は、Albizia julibrissin, Zelkova carpinifolia, Parrotia persice, Quercus castaneifolia, Alnus subcordata, Gledistschia caspiaで、構成されています。




アーモンドの食べ方
アーモンド(Prunus dulcis)を生でイランの人は食べます。美味しいか美味しくないかでは無く、春先に食べるのです。

枝に着いているアーモンド

これがアーモンドです。普通は、この中の仁を食べているんです。

洗ったアーモンドに塩を振って塩気を楽しみながら食べるんです。春の正月(ノールーズ)明けの美味しいおやつです。



これ全部アーモンド


白いのが、いつも食べているところ。その周りの白いのが殻。桃の種の外側の部分です。桃の実にあたる場所は、ありません。



    唐草模様とアラベスク模様
唐草模様とは、唐=外国、草=植物ということです。唐=中国ではありません。
日本の伝統的デザインである唐草模様は、「四方八方に伸びる蔦=強い生命力から子孫繁栄や商売繁盛、長寿」等を意味しています。もともとは、古代エジプトとかギリシャが発祥かもと言われていますが、シルクロードを伝って、日本の奈良時代には届いていたそうです。

江戸時代に、銭湯が一般的に普及するに従い、風呂敷も大量生産されます。シンプルで分かりやすい文様、かつ反物の世界ですから、2本の反物を合わせても、3本、4本と大きい風呂敷が作れるようになったのです。引っ越しにも、泥棒にも欠かせないものになりました。

今なお、イランでは、唐草文様の曲線を持つ「アラベスク模様(arabesque)」があります。イスラムの社会では、紋様によって無限の唯一神の創造を象徴しているとのこと。まぁ、ブドウをイメージしていたそうですから、イスラム教が来るまでも、

もしかしたら、ここからシルクロードや古代の貿易の中で伝播していったのかもしれません。


イランのお正月飾りはナツメ
イランのお正月飾りです。緑の葉っぱは、小麦です。これを車のワイパーに挟んで走っています。日本で言うところのしめ縄をして車が走る間隔です。小麦が緑というのは、イランのお正月は、春分の日からなのです。

これは、テヘランの空港にあった飾りですが、右上の鉢に入っているのは、ナツメ(Ziziphus jujuba)です。ナツメヤシ(Phoenix dactylifera)では無くナツメです。

薬用植物であること、実がたくさん出来るので、子孫繁栄を意味しています。

このお正月は、3000年以上前からのゾロアスター教の流れをくみ、ラッキーセブンは、ここから来ているとか。正月としては、紀元前538年にキュロス第2王によって国の祭日、国民的行事に決定されたとのことで、長い長い歴史があります。

この飾りは、13日目に撤収です。13日は、SIZDAH BADAR(スィズダ・ベダール)といい、縁起の悪い日なので、家の外に出ます。




飾り物(ハフトスィン(HAFTSIN))の意味
すべてSから始まっています。
1 Sieb(りんご)
2 再生 Sabze(緑色の草)
3 豊かさ Samanu(小麦のお菓子)
4 Senjedの実(ナツメ)
5 清潔、健康 Seer(にんにく)
6 喜び、汚れをとる Serke (酢)
7 Sonbol (ヒヤシンス)
別バージョンは、
1 自らの心
2 生命 金魚
3 明るくする ロウソク
4 大地 水に浮いた柑橘類
5 豊か コイン
6 子孫繁栄 絵を描いた卵
7 豊作 いろいろなお菓子
これ以外も家によっていろいろあるそうです。

SIZDAH BADAR(スィズダ・ベダール)の様子。

これは、ピクニックです。まだ花がほとんど咲いていないので、花見までとはいきませんが、道沿いのちょっとした木の下は、人であふれていました。










レジャーシートでは無く、絨毯です。
勝手に、枝を簡易ブランコにして子供に遊ばせたりします。




罰金代わりの植林
鞭打ち、石投げなどの刑罰のあるイランですが、自然資源に対する犯罪に対し、木を植えさせることもあるそうです。裁判所判断です。

この写真は、渡り鳥の中継地として貴重な湿地でアヒルを捕ってしまった人が、裁判所の判定に従って行った植林地です。

このほかにも、ゴミ拾いなどもあるそうです。


樹液のお菓子ギャズ(Gaz)
イランを代表するお菓子の一つで、エスファハンに行くと嫌が上でも目に付くお菓子が、Gazです。エスファハン州西部とチャハールマハール・バフテヤーリ州の灌木に生えているタマリスクの樹液から作ります。
Tamarix gallicaの樹液とバラ水、卵白で練ったお菓子です。
Tamarix gallicaは、と呼ばれています。




そんなお茶、いらんちゃ
イランでは、紅茶無しではあり得ない世界です。多くの紅茶は、インド、スリランカやイギリス経由のもの。統計上の紅茶の輸入量より、実際に飲まれているお茶の方が数倍多いというデータがあるそうです。ということは、密輸?ということですね。

そんな、大事な紅茶を輸入だけでいいのかと言うことで、実はお茶を栽培しています。

場所は、カスピ海に面したギラン州のラヒジャン(Lahijan)。海と背後に山があるため、湿った空気が山に当たり、結構な降水量があります。カラカラのイランというイメージに合わない風景です。

この地で、紅茶が栽培されたのは、1900年頃のこと。1882年に種を入れてみたそうですが、失敗に終わります。
イランの外交官のKashef Al Saltanehが、インドからお茶の苗木3000本をこっそり持ち帰って植えたのが始まりだそうです。フランス語が出来たため、フランスの労働者として潜入し、技術を覚えたそうです。イギリス人が、中国から盗んだお茶の技術を他国に渡すわけありませんので。
植えてから試行錯誤の中、6年目に市場に出すまでに至りました。気候的に可能な、ギラン州とマザンダラン州で栽培しています。軌道に乗ったのが、1930年代とのこと。しかし、1万トン前後の生産量のため、国内消費のみとのこと。2009年でも6万トン止まりだそうです。

なお、彼のお墓(聖廟)は、国立紅茶博物館におかれているそうです。

イランのお茶文化
訪問先で出てくるものは、基本、紅茶です。しかも、ブラックティ。そして、同時に、砂糖の塊「ガンド」や、ゴマ入り砂糖、ココヤシ入り砂糖、サフラン入り砂糖の他、甘いお菓子が出てきます。

日本で言うところの抹茶と同じ。甘いお菓子の後に抹茶。違うところは、お茶を飲みながら、甘いものを口にする。そしてまた飲むのを繰り返すこと。

サモワールというヤカンで紅茶を煮詰めます。濃い場合は、お湯を足して、味を薄めます。決して温度を下げるためのものではありません。なので、一つの魔法瓶に、濃い紅茶を、もう一つの魔法瓶には、お湯だけ用意することもあります。

ガンドは、氷砂糖や角砂糖と違います。岩塩と同じように、地中に埋まっているところから掘り出している?という噂も

もちろん、紅茶に砂糖を溶かして甘い状態で提供されることもあります。

紅茶文化自体は、15世紀にはあったそうです。当時は、中国からの輸入です。それ以前は、コーヒー文化だったそうです。


    お茶とともにクルミも
お茶で有名なラヒジャン(Lahijan)は、クルミのクッキーでも有名