英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
     
  ロビンフッドは、森の妖精?
ロビンソンフットの背景には
イギリスの森の崩壊とは
植民地政策と林業
ストーンヘッジ?ウッドヘッジ
ケルトの3つの木
白い花は不幸の花?
オークの木は命の木
ビールの味付けに
国を守ったバルサ
  お茶の2種類
真の勇者はネルソンではなく
火事を境に
ブルーベリーで必中爆撃?
2トンは、ワイン2樽
船の速さは、木片から
倉庫番のポケット無しは常識
ナポレオンの柳(Napoleon's Willow)
 
お茶の2種類
18世紀の頃の話。
お茶が欲しかったイギリスは、中国か日本から輸入。まだインドやセイロン(スリランカ)、ケニアでは本格的な栽培は始まってなかったんです。

そのころは2種類しかお茶がなかったそうです。一つは、Green茶、もう一つはBohea茶(ボヘア茶、ボヒー茶)です。

Boheaとは、武夷山のことらしい。ということは烏龍茶こと青茶だった可能性が高いです。

でも、本当のところ、どんなお茶を飲んでいたかは不明なんだそうです。青茶で輸出しても発酵が進めば、味や香りが変わってしまいますからね。

真の勇者はネルソンではなく
「Thank God, I have done my duty. 神よ感謝します、私は義務を果たすことができました」というセリフを残したネルソン提督(Horatio Nelson)。でも、彼が感謝したのは神様だけではありませんでした。

イギリス海軍がフランス革命軍(ナポレオン)と戦うことが出来たのは、軍艦を作り続けることが出来たからなんです。その立役者が、1620年生まれ、1706年に没した日記作家ジョン・イーヴリンの存在でした。1664年に出したSilva(森林)の中で、地主達に植林を、特に船用のオークの植林を説いたのでした。一般的に80〜130年生のオークで軍艦を作っていたので、海軍の維持のためにも船材になる木は重要だったのでした。

フランスとの戦いが避けられなくなった1793年1月にアガメムノンの艦長になったのがネルソン。その船材がイーヴリンが植えたオークの木々(2000本あまり)だったのです。

紳士たる者植林する義務ありと説いていたために、紳士なる人々は自分の土地に植林したのでした。このたm、え海軍は船を造り続けることが出来たのでした。

このやり方は、明治時代の日本でも行われたのでした。それは、海軍の将校は家の庭にケヤキを植えたのでした。


火事を境に
1666年に起きたロンドンの大火。
3日3晩燃え続けて13,200戸、当時のロンドン市内の家屋の8割が消失するという事態に。シティーの中にあったパン屋からの出火がこれほどまでの大惨事に発展。それまで、木造建築(オーク材を利用)だったのですが、火事以降は石造もしくは煉瓦に変更されました。

大きな木材需要先が無くなったため、同時期に大きく発展したフランスとは対照的に林業が衰退していきます。火事がなければ、林業が発展した?可能性もあったかもしれない。そうなれば資源管理というか植民地から持続的搾取に優れたイギリス人のことであるから、また違った林学が発展したんでしょうね。ドイツ(ベースはフランス)林学とは違った法正林思想が生まれたかも。

日本の林業を支えたのは、江戸の火事。江戸の華である火事というイベント火発生する木材需要に応えるため、各地で植林が盛んになりました。石積みに出来なかったのは地震があったためともいわれます。石積みだと被害が甚大ですからね。
地震の被害>火事の被害

ちなみにフランス林業も日本林業もワイン、日本酒の酒樽不足から資源管理が本格的に産業として発展。ウイスキーの樽は使い回しが出来るということなのか?それとも、生産量がワインや日本酒ほど出来なかったということなのか。


ブルーベリーで必中爆撃?
諸説いろいろあるんですが、第二次大戦中、英国空軍の爆撃隊の一つが、定期的に敵地を攻撃していたとき、ある一人のパイロットの実績だけが、それも月に一日だけ、爆撃必中が判明。原因を解明したら、母親から送られてくるブルーベリージャムを食べていたとのこと。北米原産のブルーベリー(Vaccinium corymbosum)ではなく、ビルベリー(欧州ブルーベリーVaccinium myrtitllus)と呼ばれるもの。(こっちは爆撃隊)

また、夜間戦闘で多数のドイツ空軍機を撃墜したイギリス空軍のJ・カニンガム中佐は別名キャッツアイ(猫目)のカニンガム(でも実は猫嫌い)。この人はイギリス産のブルーベリーを食べて出撃したから、夜間の視力が上がったのだと情報省がデマを敵国ドイツに流したんです。別の説では、ニンジンを食べたから。本当は極秘開発されたレーダーを搭載した戦闘機で撃ち落としていたんだけど。(こっちは要撃隊)

まぁ、ヨーロッパでは古くからビルベリーの実や葉は壊血病、泌尿器病、糖尿病などの治療に利用。紫の食べ物に含まれるアントシアニンが目に良いだけなんです。紫芋でもOK

で、デマに引っかかったドイツ軍はバイエルン製薬に命じてイギリスに勝つためにブルーベリーよりも効果のある食べ物を研究させたんです。ブルーベリーをいくら研究しても、イギリスの言うような効果が得られなかったそうです。(当たり前ですが)
ドイツの科学力を集結した結果、マリーゴールド(Calendula officinalis)の花から抽出したキサントフィル脂肪酸エステル混合物が効果を発揮することを突き止めたんです。暗順応改善薬「アダプチノール(ヘレニエン製剤)Adaptinol」がそれです。こっちは、目の疲れた時にハーブティーとして飲むと良いんです。

まだデマを引きずって宣伝しているサプリメント会社に(^_^)

ガムのブルーべリー味だけは好きになれません。
フィンランドの片田舎で食べさせていただいた温かいミルクの中で泳いでいたブルーべーリーのデザートが美味しかったのを思い出します。また食べたいな。



2トンは、ワイン2樽
トンの語源は、トントンと樽を叩く音からだそうです。フランス産のボルドーワインをイギリスに樽を運ぶ船の大きさを、船の積載能力、載荷能力として15世紀頃に表したのです。ワイン樽をトンと一つ叩くと、1トン、2樽で、トントンという具合です。
この船には、25トンの能力がある=25樽詰めるという具合です。当時の酒樽は、約40立方フィート。ワインを詰めた状態で2,240ポンドの重さです。1,016キロになります。
メートル法が適用されることにより、1,000キロ=1トンになりました。


船の速さは、木片から
船の速力や航程を計測する装置を測程儀と言います。別名「ログ」。このログとは、Logのことで、丸太や木片を意味します。もともとは、海面に木片を投入して、船の横をどのくらいの時間で通過するかを計算していた名残なんだそうです。原始的な方法を、ハンドログといい、木片に紐をつけて海面に投下し、一定時間流れた紐の長さから計測する方法です。

倉庫番のポケット無しは常識
15世紀のロンドンの話。香辛料が高価な取引であったため、無用な疑いを避けるため、香辛料の倉庫に勤める番人の服には、ポケットが無い、もしくは縫い付けていたんです。
胡椒が一粒単位で取引されていたため、隠し持つことは、重大な犯罪でした。胡椒一粒のために、そこまでする必要があったほど、インドの胡椒は貴重だったんです。




ナポレオンの柳(Napoleon's Willow)
世界中に植えられているナポレオン柳は、しだれ柳(Salix babylonica)です。これは、英国領のセントヘレナ島で幽閉されていたとき、散歩と瞑想でよく立ち寄ったゼラニウムの谷にあった柳の木です。
柳の木自体は、ナポレオンが来る前からあったのではなく、ナポレオンに同行したイギリスの将軍が、イギリスから持ち込んだとか。
亡くなるまでの6年という幽閉期間には、結構な大きさになったようです。

1821年5月5日にナポレオンが亡くなると、この柳の木の側に埋葬されます。一説によると、ナポレオンが亡くなった夜に嵐が来て、木が倒れたとか。もちろん、倒れた木に残っていた柳の枝を切って、地面に刺すと、芽吹いて柳の木が再生したのこと。

ナポレオンの墓を訪れた者が、この柳の枝を切っては、水につけながら目的地まで行きます。目的地に着く頃には発根して、植えられる状態になっていたそうです。これが、ヨーロッパ中に広がり、また、フランス系移民達が、ニュージーランドやオーストラリアに運んだそうです。このため、ナポレオン柳(Napoleon's Willow)と呼ばれています。

ナポレオンが、フランスに戻るのには、19年後の1840年です。