県木:サクランボ Prunus avium |
県花:ベニバナ Carthamus tinctorius |
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市町村花見 | 清川だし | 倉庫を守るケヤキ類 | ||||
線香の材料はカツラ | ||||||
ハエと熊の関係 | ||||||
ヤナギin山形 | ||||||
生け垣は命綱 | ||||||
生き続ける松 | ||||||
ミイラになるには | ||||||
蚊を追い払うために | ||||||
税金で消えた森 波乗り発祥 |
清川だし 山形県の米所の庄内平野に吹く局地風。鳥海山と月山の間を、新庄盆地から吹く風のことです。 梅雨時期の6月に吹くそうで、乾燥しているため、田んぼに役立っているんです。乾燥のため、虫や病気が発生しにくく、葉が揺れるので全面に日光が当たり、光合成が効率的になるからです。 あとは、船を出すときこの風があると簡単に出港できるんです。 台風なみ、またそれ以上の風ということで、農作業がまともに出来なかったということで、「清川には嫁に出すな」といわれたそうです。悪風として紹介されているみたいです。山形の方に教えてもらいました。 |
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線香の材料はカツラ 朝日村の話 日本あちこちに仏教の影響で、お線香の需要があります。そこで、身近な植物を利用するということで、ここでは、カツラ(Cercidiphyllum japonicum)の葉を材料として利用したとか。 作り方は、カツラの葉を乾燥させた後、臼でついて粉にし、保存します。 彼岸や盆などの線香が必要なときに、利用したそうです。 |
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ハエと熊の関係 これこそ自然と共に生きてきた知恵というのでしょう。これは、朝日連峰での知恵。 「青蝿が出る頃、熊が出る」 ツキノワグマが冬眠からさめる頃、アオバエがでると。 春の土用を待って熊狩りをするけれど、年によって気候が違うわけだから、どう見極めるか。自然観察がなくては出てこない知恵です。 これを知っていると、山菜取りで熊に遭遇しなくてすみ危険な目に遭わないでしょう。 |
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ヤナギin山形 ヤナギにまつわる迷信(?) ◎待ち人が来ないとき、ヤナギの枝を手に持って回しながら 「恋しき我が身を思いそめにしを、今さら見そめしかいのなきもの」 と三回詠むと来てくれる(新庄市) ◎ヤナギの葉が落ちると根雪になり、葉が落ちないうちは根雪にならない(米沢市) ◎河原のヤナギの葉が早く落ちると大雪、 なかなか落ちないと少雪 (飽海郡) ◎ヤナギの葉の中で白いのが多いときは豊作、少ないと不作(最上郡) |
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生け垣は命綱 米沢市の武家屋敷の生け垣はウコギ(Eleutherococcus spinosus もしくは. Acanthopanax spinosus)。米沢藩主上杉鷹山のアイデア。葉を茹でて灰汁抜きしてお米と一緒に炊いてカテメシ「ウコギ飯」の材料に・・・・ その他、庭にはクリ、クルミ、ウメ、サクランボ、アンズ、カキといった果樹などの成り木を、池も作ってコイを。 今、世界ではやりのホームガーデン 飢饉の対処法です。 今は、大丈夫なんだろうか ちなみに、みじん切りにした茹でたウコギの芽と焼き味噌を和えた料理は、強精剤として重宝しているとか |
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生き続ける松 松食い虫によって枯らされてしまった松 尾花沢市の八幡神社の老松が枯れたのですが、村のシンボルだった松 ということで、今その松は村の家々の表札になって今も生き続けています。 |
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ミイラになるには 木食(もくじき)の行 月山のある湯殿山では、人々のために生き仏になるためにミイラになる修行。 食べ物は、ドングリ、ブナ、ハシバミ、栗、クルミを食べることなんです。木の葉や皮も食べたんだそうです。 |
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蚊を追い払うために ぶぅぅんとうっとうしい蚊。血を吸うだけなら痒みも 農作業をする上でも、ヤブ蚊は特に邪魔です。真室川町ではヒノキの樹皮を叩いて叩いて、柔らかくして1.7m程の縄状にするんです。その樹皮の縄を頭に巻いて(丸くして載せて)火をつけたんだそうです。 火は縄を解いたところまでしかいかないので、髪の毛が燃えることはなかったそうです。 |
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税金で消えた森 今は、当たり前のように見える庄内平野の海岸林。江戸時代、明治時代、今に至っても脈々と森の手入れをしています。江戸時代に、海岸林が作られたのは、その切っ掛けを作ったのが、戦国時代の最上氏の存在です。 最上氏が塩を現物税にしたことが、砂丘の森林を無くしたのです。製塩法は、釜で海水を煮詰めるため、燃料として伐採。被覆する物がなくなったので、動かなかった砂丘が移動砂丘となり、農業や生活に悪影響を与えるようになったのです。 「塩木」と呼ばれる薪が、山から送られてきます。山も劣化し、土砂流亡が増えます。海岸にはさらに砂が供給されるという悪循環。急速に砂丘が増えていったのです。 |
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波乗り発祥 日本初のサーフィンは、江戸時代の鶴岡の海から。 「瀬のし」と呼ばれる一枚板の上にのって波乗りを楽しんだんだそうです。文政4年(1821年)に酒田の俳人が湯野浜で湯治していた時につけていた日記に綴っていたそうです。 |