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県木:リュウキュウマツ Pinus luchuensis |
県花:デイゴ Erythrina variegata |
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蔡温 白川氏恵根 尚真 |
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努力の人 蔡温(さいおん) 沖縄というより琉球が生んだ立派な政治家(評価が分かれますが)だと思います。 薩摩の圧政というより暴政や、中国との板挟みの中で舵取りをし、琉球の発展に貢献した17世紀の政治家。 1682年生まれで、1762年没 沖縄本島北部の今帰仁村与那嶺の海岸線を取り巻くフクギや琉球松の防風・防潮林を作った人です。 1737年フクギの植林政策を導入。 本名は蔡温具志頭親方文若とか 農務帳は、貧困であえぐ琉球を自然の脅威を克服するために書かれた本です。この中に、防風・防潮林のことが書かれています。 この本のおかげか、1854年に琉球(沖縄)に着いたアメリカのペルー提督一行の公式報告書には、土壌の性質とその状態によって耕地の位置関係によって配慮された農業が行われていると。収量がこんなにあるのかと、驚きの報告をしていたんです。 世界を見てきた人たちが、最大の賛辞を贈っています。 悲しいかな、明治時代の近代化の過程で、西洋農学に毒され一時無視されるんですけど。 ↑ 悲劇があとで来るのですが、それは別の機会で 林業については林政八書 今に通じるものを感じます。いえ通じます 子供頃、勉強できなくてもこんな立派な人になるんです。(でも並大抵の努力ではなかったことでしょう) 沖縄発の情報といえば、戦争ネタがほとんど。でも、それ以上に伝えるべき情報があるのではと沖縄の大きな本屋において思いましたね。中国からお金をもらっているのか、薩摩憎しで大陸の領土になりたいという琉球王国の末裔的選民思考回路が、1945 年より前に進めないのかと。沖縄の抱えている問題は、反日親儒教圏者が居なくなれば、ある程度解決の目処になるのではそんな気がするのは、私だけでしょうか ペルーが日本占領をあきらめたのは伊能忠敬の正確な測量地図が良く挙げられます。でも、それと同じ功績は蔡温による土地利用。持続的な、しかも効率的な方法を目の前にして日本の底力を知ったからではと思います。 |
蔡温に関するHP ●沖縄文化アーカイブ http://museum.mm.pref.okinawa.jp/index.html http://museum.mm.pref.okinawa.jp/catego1.html 沖縄人物伝 http://museum.mm.pref.okinawa.jp/city-2001/person/index.html ●琉球風水のページ http://www.lares.dti.ne.jp/~nvirei/ http://www.lares.dti.ne.jp/~nvirei/saion.html ●ソフトビジネスサポート会社 http://www.sbs-net.co.jp/ フリーサイト(沖縄):沖縄・観光名所 http://www.sbs-net.co.jp/free_saito/oki_1_11hokubu_fra1.htm |
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白川氏恵根(しらかわうじ・けいこん) 宮古島に琉球松を植えた人。 1655年に沖縄本島から戻る際、琉球松を宮古島に持ち帰り、野原山(野原山)と島尻地区に植えたそうです。 さらに、1681年に、州鎌地区に2000本を植栽。 これは、沖縄本島から持ち帰った苗木。 時代背景を考えると、蔡温より先に生まれているので、沖縄初の植林をした人(記録上)になります。 当時の宮古島には、造船になるような木が無かったようで、そのために、松を植えた可能性もあります。高木になりそうな木が他になかったという事なんでしょうかね。 宮古島の公吏(公務員)として、10回以上、沖縄本島と宮古島を往復。出張の度に、農業技術(サツマイモ)等を持ち込んで、宮古島の発展に寄与したそうです。 1730年代に宮古平良の頭だった曾孫の恵通に植林は引き継がれたそうです。 恵通は、蔡温によって、1742年に多良間島でのフクギの植林を命じられたとのこと。 |
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尚真 1497年に、首里の松川地区に1000本植林させたとのこと。 |
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