南アジア・西アジアの場合
その1 医学の発達と人口の爆発
同じく、第二次世界大戦のおかげで死亡率が、大幅に減少し、急激な人口増加が起こったんです。
このため、食べ物を求めて、たくさんの人が山に入り、焼き畑をしたため森から畑に代わったんです。
子供の死亡率が下がったにもかかわらず、子だくさんは良いことだという意識が無くならないので。

マラリアに効く薬、蚊を撲滅したため、低地の熱帯林は医学の進歩と一緒に無くなっていきました。それまで、病気の巣であった低地熱帯林でも生活が出来ると科学の進歩が、森に対して悪影響を与えたのです。

ネパールのテライと呼ばれる熱帯林は、マラリアの克服と共に消えていき、そこにいた動物も消えていったんです。
そして、農民が増えました。



その2 人が一人死ぬと、木も一つ消滅
インドのヒンズー教徒は火葬をもってあの世に向かいます。インドの人口割合の内、どのくらいが火葬にしているかは不明ですが、13億人とも言われる人口。
毎年たくさんの人が亡くなります。

死ぬ間際に、あの木で焼いてほしいと指名するんだそうです。指名された木は、その人が死ぬと切り倒され、火葬に使われます。それだけ、木が失っていきます。

また、まだまだ薪で煮炊きをしています。

社会林業(Social Forestry)という考えが生まれたのは木、森が無くなり、燃材不足、土壌養分の低下等。森が無くなったことによって生活基盤が崩壊したから政策として木を植えることが始まったんです。

「住民の、住民による、住民のための植林」


その3 鉄道が・・・
ヨーロッパでは、鉄道の登場は、時間という概念を広めたとか。しかし、インドでは森が無くなることに。

イギリス植民地時代。資源を搾取するために、一番の輸送網として、鉄道を整備。橋を造ったり、枕木といったインフラのために木が使われ、そして燃材として、石炭の代わりに薪が燃やされて動かしたんだそうです。




その4 お茶がぁぁ
インド・スリランカ(セイロン)といえば紅茶
でも、もともとお茶を飲んでいたのは、中国人や日本人、そして、ベトナム人、ラオス人など

中国に銀を渡してお茶を輸入していたのがイギリス
しかし1840年頃にイギリスで午後の紅茶がブームに
一つは、1840年にベドフォード公爵夫人が、夕食(当時は夜9時)までの空腹を満たすために、ケーキを食べたたことが始まりとか。その時の飲み物が紅茶
そして、それが社交場に発展していくんです。

夕食が9時というのは、ガス燈の登場と、通勤時間が延びたことが理由とか

また、時の国王ジョージ4世は1840年に、ジョサイア・スポードに「ロイヤル・ウォラント(Royal Warrant)」を下賜したんです。これがお茶ブームに火をつけました。王室御用達が生まれたんです。ここにイギリスの紅茶文化が誕生し、紅茶の消費量が増えたんです。

この需要を賄うために、インドやスリランカで森を壊してお茶畑にしたんです。
インドやスリランカだけでなく、マレーシアやケニアでもお茶畑を造りました。(それだけ森が無くなったんです)



地域の細分 陸地面積 2000年の森林面積 1990-2000年間の
森林面積の変化
森林蓄積と地上の
バイオマスの量
天然林 植林地 森林計
千ha 千ha 千ha 千ha % ha/人口 千ha/年 m3/ha トン/ha
中央アジア 545,407 29,536 384 29,920 5.49 0.5 208 0.7 62 40
東アジア 992,309 146,254 557,665 703,919 70.94 0.1 1,805 0.9 62 62
南アジア 412,917 42,013 34,652 76,665 18.57 0.1 -98 -0.1 49 77
東南アジア 436,022 191,942 19,972 211,914 48.60 0.4 -2,329 -1.0 64 109
西アジア 698,091 22,202 5,073 27,275 3.91 0.1 48 0.2 101 87
アジア計 3,084,746 431,947 617,746 1,049,693 34.03 0.2 -364 -0.1 63 82
世界計 13,063,900 3,682,722 186,733 3,869,455 29.62 0.6 -9,391 -0.2 100 109
南アジア・西アジアの場合
きこりのホームページ http://www.kikori.org