奈良県    
  県木:スギ
Cryptomeria japonica
県花:ナラノヤエザクラ
Prunus verecunda
 
杜(森)の話        
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  酒飲みが森を作る   原始林でもない鎮守の森   
  焼き畑の風前の灯火、カリョウという命綱   ヤナギin奈良  
  鹿が森を作る      
  大仏殿の柱は寄り合い柱      
  土地争いの山焼き      
  山仕事、認めてもらうためには      
  義経を守った箸?      
  お月見と里芋      
  ビワの葉療法は鑑真和尚から?      
  紫の階級      
         
酒飲みが森を作る
酒飲みにろくな奴はいない。酒飲みは酔った勢いでけんかをしたり、モノを壊したり、挙げ句の果てには、体までこわします。

しかし、そんな酒飲みのおかげで、森が出来たんです。

日本三大酒所の一つ、灘(神戸市から西宮市)の酒造りに革命が起きました。それまでは、陶製の壺が主流で、輸送が大変。工場内での持ち運びも大変。永禄年間(1500年代半ば)に、短冊状の板を縦に並べ、タケのタガをはめて、円形の底板を入れて出来る樽が考案され、酒樽が使われるようになり、その供給基地と言うことで、スギ(Cryptomeria japonica)の人工造林が出来たんです。

文亀年間(1501年)にスギ(Cryptomeria japonica)の実生造林が始まったと言われていますが、造林に一番寄与したのは、灘の酒をこよなく愛した呑んべだったんでしょうね。

ちなみに、フランスのオーク(Quercus robur)の植林はワインのため。お酒のためなんです。こちらは200年かけて樽になるんです。200年待たないと立派な木にならないんです。やっぱり酒飲みが森作りを支えたんですね。フランス林業はドイツ林業の母。ヨーロッパ林業の確立も酒飲みのお陰なんです。


 
焼き畑の風前の灯火、カリョウという命綱
戦中戦後を食糧難を支えた森の話

戦中戦後の食糧難の時期、多くの山で行われた食糧増産のための焼畑。積極的に伐採跡地を焼いて、食糧を都市に提供。食糧生産のための森林の伐採跡地で行った焼き畑を奈良県吉野郡の小川村では「カリョウ」と呼んだそうです。

火糧ということだったんでしょうかね。昭和25年の朝鮮動乱を境に、米作の安定と発展が食糧事情を回復して、昭和30年には姿を消したそんな言葉です。

昭和の初め盛んだった焼畑も、戦前に衰えたんです。しかし、食糧難というか資源難の戦中・戦後。焼畑は息を吹き返したように、盛行。しかし、その後は急速に姿を消したんです。そして、次は植林のための地拵え的焼畑が目立つのです。


鹿が森を作る
奈良公園にいっぱいある木がアセビ(Pieris japonica)。馬酔木ともいい、葉を食べると馬がフラフラするという意味

実際、アセビには毒があるため、シカは食べないんです。ということで、食べない木は残るということで奈良公園の木はアセビだらけなんです。

もし、シカがアセビも食べたらハゲ坊主になる?


大仏殿の柱は寄り合い柱
奈良の大仏
天然痘や流行病で人が亡くなる中。仏の力で国をまとめようと聖武天皇の発案で作られたでっかい大仏。

この大仏を守る大仏殿。60本の柱が支えているとか。この柱は世界最古の技術?とか。太い大木を芯に、先っぽの細いところには、当て木。一本の柱のようにして鉄のタガで締めるんです。合材柱なんです。

いろいろな木をくっつけていったのです。


土地争いの山焼き
1月15日の若草山の山焼き
なぜ山を焼くのか

それは春日神社と東大寺の土地争いから。どっちの土地かわからなくならないように境界線に木を植えたんです。

でも、草が生え、灌木が進入すると見分けにくい。どっちかが、嘘をついてちょっとでも土地を取るというかどうかはわかりませんが、境界をハッキリさせるために、草や灌木を取り除くんです。

人を信じる宗教ですが、目の前の欲望には勝てないということでしょうか


山仕事、認めてもらうには
山仕事が一人前と認めてもらうためには箸が造れないとダメだったとか。もちろんお弁当を持って山には入りますが、箸は持っていかなかったとか。

その場で、木の枝を削って箸を造ってから食事するとか

そして使った箸は、折って人目のつかない藪の陰に、埋める習わしがあっととのこと。


義経を守った箸?
1189年、兄貴の源頼朝に追いつめられた義経が、吉野に逃げ込んだ時の話。

少ない手勢を追っ手に悟られないように上流から箸を流したそうです。その数、1000本。

追っ手はびびってしまい、追うのを諦めたとか。




大宇陀町のHP
http://www.town.ouda.nara.jp/






こんな感じです

星の民俗館
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/starlore/

お月見と里芋
新嘗祭がお米の収穫祭なら、中秋の名月は里芋の収穫祭。別名、芋名月。お米は、縄文後期に来日。
でも、その前までは、おいも様(里芋のこと)。南方系(東南アジアやオセアニア)の食文化の名残です。

奈良県の南部の山間部でも、里芋をお月様にお供えするんです。急峻な地形で、お米が採れず、主食はお芋サンだったそんな地域です(林業の盛んなところ)

そして、その日が、収穫開始日でもあるんです。

また、竹籤で十字に組んだ先にイモを突き刺し、それを竹竿の先につるして、満月に向けて庭先に飾るんです。月の恵みが四方に届くようにと意味を込めて。もちろんお団子ではなく、お芋様

もちろん、芋名月は、全国にある風習です。

ビワの葉療法は鑑真和尚から?
5度目の来日。視力まで失った鑑真和尚。天平勝宝5年(753年)のこと。しかし、日本の仏教にもたらした影響が大きいのは周知のこと。そして砂糖も。
そのほかに、ビワ(Eriobotrya japonica)の葉による療法を伝えたとのこと。

関連性は分かりませんが、光明皇后(聖武天皇の后=奈良の大仏を作った天皇の后)が730年に「施薬院」を創設し、そこでもビワの葉療法が行われていました。(こっちの方が先なんだけど)

もともとあったビワの葉療法が中国からの情報を追加して強化されたということなんでしょうかね。

濃い葉を患部に当てるといった方法。痛みや腫れが引くそうです。(試したことがないので)

お寺の境内に植えて、お坊さんが檀家さんの治療をしていたとか。お寺が病院の役目をしていたということですかね。(役所も兼ねていたりしたので)

ビワが庭木に良くないという話があります。一つは、実がなるまでに時間がかかるので植えた本人が実を食べることが出来ないため。2つ目は、生長が旺盛な木。なので庭木として植えると大きくなって陰が出来、日光が届きにくくなるんです。すると風通しも悪く湿気がこもることに。3つ目は、庭にビワを植えられるとお寺に来なくなるから。

さて、どれが本当なんでしょうかね

紫の階級
聖徳太子の冠位十二階の制。家柄ではなく能力で登用という画期的な制度。トップの色が紫

この紫を出すのに紫草(Lithospermum erythrorhizon)の根の外皮を用いるんです。5月か10月に根を掘り取って、日干しにして乾燥させます。そして黒紫色の根を水に浸して柔らかくした後、石臼で粉にします。これを麻の袋に入れ湯の中で揉み、色素を湯の中に溶かし込んで紫色の溶液を作ります。

この溶液に絹糸や布を入れ、色素を吸収させ、清水で余分な色素を落とし紫の糸・布を作ります。そして、ツバキ(Camellia japonica)の生木を燃やして得た灰に熱湯を入れ、その上澄み液の灰汁に入れます。椿の灰汁が発色剤の役目を担っているんです。

これを繰り返すこと8日で、濃い紫になるんです。

1 大徳 濃紫
2 小徳 薄紫
3 大仁 濃青
4 小仁 薄青
5 大礼 濃赤
6 小礼 薄赤
7 大信 濃黄
8 小信 薄黄
9 大義 濃白
10 小義 薄白
11 大智 濃黒
12 小智 薄黒

この紫根染は、遣隋使の小野妹子が、随から持ち帰った技術だとか。そして武蔵野が一大産地だったそうです。