網を使って木を育てる
ペルーの海岸地方は乾燥した砂漠です。そんなところでも、海岸から霧が発生します。その霧を利用して植林をしているのですが、その方法は、網を張るのです。 網に水滴がつき、その水滴を集めて木を育てています。
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鹿に教えてもらった焼畑 アマゾン流域にいるカシナワ族 乾期のはじめに森を切り開いて乾燥させます。そして雨期のちょっと前に火を放ちます。灰がいっぱいの大地にキャッサバ、トウモロコシ、インゲン豆を植えます。
そんな焼畑は鹿に教えてもらったとの神話があるんです。角の再生と大地の再生をかけているんですかね
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グッチャグッチャのゴム採集 インディオの文化の消失。 一番の原因はキリスト教による精神構造の改造。でも命は取らなかった。
インディオの文化を破壊するには担い手がいなくなること意図するしないは、多分意識すらしてなかったと思うが。
20世紀最初にチャールズ・グットイヤーによる硫黄を加える硫化法で自動車のタイヤ用にゴムの大需要が起きたのです。
そして、ゴムノキがあるのはアマゾン。ペルーでも同様にゴムの採集が1910年をピークにアジアのマレーシアでのゴム栽培。成功までの1914年まで続いたんです。
人手がほしいがためにゴム採取人として、無理矢理集めたんです。時には村を襲って、そして過酷な労働をさせたのです。過酷な労働は命を奪い、文化の伝達手段を奪ったんです。
このままでは殺されると言うことで、奥に奥に逃げた先住民グループがあったのですが、その時に従来の土地を離れ、他の部族と一緒になったり、移動に次ぐ移動でゴッチャゴッチャになったんです。
先住民のジェノサイトが起きなかったのは、マレーシアでゴムの人工栽培が始まったからとも言えるのかも知れません。
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ゴムブームの陰に
ある男によってもたらされた死。ボリビアのゴムの立役者だったアラーナ(Julio Cesar Arana)。しかしボリビアは地の利が悪いということで、コロンビアとペルーの国境付近にあるゴム林(300万ha)を手中に収めるんです。1905年のこと。
この地域には、5万人ほどのインディオ(ウイトト族、オカイナ族、ボラ族、アンドレ族等)がいたんです。でも、アラーナはカリブ海のアンティル諸島にいる屈強な男を軍隊として雇うんです。目的は奴隷狩り。 3万人のインディオが私兵の軍隊に連れてこられ、働かされたとか。で、5万人いたインディオは5年後には8000人に激減。ゴム1トンあたり7人の人間の命がなくなったそうです。
あまりにもアラーナの行いはひどい、町の名誉を汚すということで告発され、ロンドンでも話題になって報告される羽目に。報告書には森にはたくさんの骸骨があると記載されていたそうです。
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ワインになれなかったピスコ
ペルーを蹂躙したスペインは、さらに文化破壊のために、キリスト教を押しつけるため、スペイン本土からブドウを持ち込みます。ブドウからワインを作って、キリストの血をませるつもりだったのに、あまりにも美味しかったので、スペイン本土に環流されます。
すると、スペインワインの継続の危機に発展。ペルーでのワイン造りを禁止します。
せっかく植えたブドウを枯らすわけにもいかず、蒸留酒として再出発します。
ピスコ港から出すブドウの蒸留酒ということで、いつの間にか、ピスコと呼ばれるようになりました。
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