ナイジェリア連邦共和国
Federal Republic of Nigeria
     
  イボ族の地力回復方法
アフリカのシルク
不幸の始まりはオイルから
 
       
 
イボ族の地力回復方法
東部ナイジェリアの人口過剰地域での地力を回復させる方法。

この地域は焼畑による食糧生産を行っています。

この地にすむイボ族は、焼畑の際の休閑期間にバラ科の灌木を植えるのです。Acioa barteriという植物だそうです。日本でのハンノキを植えるようなこと。

他にも、フィジョンピーといわれるマメを放棄寸前に畑に播くんでそうです。そうすると窒素固定能力のあるマメのおかげで、地力が早く回復するのです。

   
    アフリカのシルク
シルクといえば、ナイジェリア?なんです。普通は中国を連想しますが、繭を作る生き物=蛾はアフリカにもいました。そしてその繭を利用してきたんです。

その昆虫はAnaphe infractaとAnaphe venata。前者は15センチほどの大きさの繭に、後者は小さな繭になります。蚕の時は、タマリンド(Tamarind sindica)とパルキア(Parkia biglobasa)の木にくっつくんです。どちらもマメ科の木。

これらの繭から布になるにはたくさんの民族の手を経て作られたのです。布を織るのはヨルバ族。絹の布を使うのはヨルバ族とハウサ族。
繭を集めるのはサバンナの遊牧民であるであるカヌリ族(Kanuri)とヌペ族(Nupe)。家畜を連れて歩く途中で見つけては集め、市で売って小金にするんです。サバンナで採集された繭が海岸近くで布になるというシステム。

不幸の始まりはオイルから
ナイジェリアがイギリスの植民地に何故なったのか。その理由はオイルなんです。ビアフラ戦争もオイルですけど。これは地下に眠るオイルの話。

東南アジアをはじめ、熱帯の至る所で植栽されているオイルパーム(Elaeis guineensis)。この原産地は西アフリカの海岸付近。ギニアという説もあり。このオイルパームは西アフリカ全域に分布していたんです。

で、ニジェール川のデルタ地帯にあったパームヤシが欲しくて欲しくて、手に入れたのです。それまでは余り価値がなかった?奴隷という資源より、動かない植物の方が重要になったから、資源を囲い込もうとしたんでしょうかね。