黄河文明は山の管理から 黄河文明の中にある夏と呼ばれた王朝 中国最古といわれる王朝で山西省の安邑に都を築き、殷の湯王に滅ぼされたとされる大昔の王朝
ここら辺から黄河文明が誕生となる背景は、小麦,、コウリャンをはじめとする農業の発達、余剰分が都市へと、文明へと発展、その農業を支えるのは、森林だったんです。 すでに、夏の時代には山を管理する役職があったとのこと。
しかし、文明の発達は戦争の歴史。戦争が新しい科学技術を生んでいった背景で動乱による森林管理の放棄が各地で起きました。明日分からないことのために植林森作りをしても敵にわたる可能性が。また、火攻めで焼失といった具合に、森が緑が無くなったんです。
今では、農地を壊して緑を回復中 退行還林、封山育林・・・・ このまま平和になるということでしょうか 森作りは次世代、三世代の先の話 政治の安定が鍵なのです。
|
|
|
|
|
割り箸が中国人を救う 中国に渡った割り箸という日本の文化。急速に普及したんです。屋台を含む飲食店で。 理由は洗わなくていいから。しかも汚い水で
衛生的にすごく良かったんです。 料理は火が入るので殺菌は大丈夫。でも食べる箸は使い回し。こんな事では寄生虫が体内に 感染する病気が割り箸のお陰で激減・使い捨てのワリバシは、中国人の健康を陰から支えています。
|
並木道、その真の目的は 道の両側にある木 空からみれば、並木が道を示しています。
その並木道の歴史は秦の始皇帝まで遡るとか。正確な地図を作ることが出来なかった時代。平原で道を示す方法を考えた末が並木道
その目的はもちろん軍事目的 一種のナビゲーションシステム
秦の始皇帝は、青松を植えさせ、晋の時代はエンジュを官道に、清の時代は楊柳(ようりゅう)を共産党による統一後はポプラを植えています。
どれだけの軍勢が並木道を進軍したんでしょうかね
|
|
甘粛省の並木。1876年(明治9年)の様子
|
|
|
城壁を支えるキウイ 国=都市であった中国 中国語では城市が都市のこと 軍事的脅威から身を守るためには、城壁がしっかりしていること
でないと、外敵に襲われ、略奪の目に
そのための城壁は黄土を突き固めて、その外側を焼いた黄土(せん:煉瓦のこと)でコーティングしたんです。 それを、石灰と餅米 そしてキウイのジュースで固定したんです。
キウイといえば、ニュージーランド
ニュージーランド政府の人が全国のケーキ屋を、回ってキウイを売り込みで、今に至っていますが、原産は福建省あたりとか
|
炭と墨 中国といえば、水墨画に書 墨なしでは語れません。
その墨の立派な発明品
時は周の時代。刑夷という人物が川で手を洗っているところに、炭が流れてきたんです。 そのまま見過ごせば、墨の誕生は???
その墨で石鹸代わりにゴシゴシすると手が真っ黒に 炭を研究をすることに没頭。妻の作った食事にも目もくれず没頭したとか 挙げ句の果てには、妻の作ったお粥に炭の粉をドボドボ入れてかき回し、その真っ黒な液体を壁に箸で線を引いて大はしゃぎ。この時まさに、墨汁の誕生だったんです。
そしてさらに研究を重ね、携帯用にしたのが墨なんです。墨汁を型に入れて、日干ししたのが墨なんです。
|
|
|
|
|
黄砂のふるさと 春の風物詩 中国から届く黄砂 その元は、ここ山西省から (イラクあたりからも飛んできているとか)
4000年前はまだ森があったそうで 夏の王朝は山の管理人を置いていたとか
戦乱に明け暮れた歴史の中国
|
|
|
|