県木:ユキツバキ Camellia japonica |
県花:チューリップ Tulipa gesneriana |
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今年の雪のつもり具合は | 森が水を蓄える | 市町村花見 | ||||
山の斜面の階段状のモノは | 鮭の為の森 | |||||
心優しいマタギ? | お粥と蓮華おろし | |||||
焼き畑の呼び名 | ||||||
稲架木 | ||||||
アンニンゴとアンニンゴ酒 | ||||||
ウルシin新潟 | ||||||
疲れを取るには | ||||||
500kg 2.3mの木で出来た巨根 | ||||||
しねり弁天には負けるけど | ||||||
森が水を蓄える 南魚沼市では、江戸時代に干魃で苦しんだ人々がとった行動が、水源涵養林の設置でした。天保7年(1836年)に一帯が大干ばつに襲われた結果、八海神社の参道を初め、杉の植林を始めます。 一の鳥居から二の鳥居までの参道約440メートルの両側に総本数256本の杉並木が、その名残です。 地元住民が、藩主にお願いして出来た水源涵養林とのことです。 |
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鮭の為の森 種川制度という鮭を持続的に確保するための村上藩が生み出した金儲け手段。この制度は、乱獲の結果、資源不足に陥って、幕府への献上金が確保できない事態に陥ったときに、生み出した制度なんです。 小藩村上藩は、鮭以外の現金確保の手段は難しく、如何にして鮭を増やすかが藩の存亡にかかっていたのです。 三面川に遡上する鮭を確保するため、宝暦年間(1751〜64年)から明和元年(1764年)に藩士青砥武平次が生み出した方法です。河口から4キロのところに、遡上する鮭を産卵しやすい環境に導いて、捕まえて、保護産卵させるのです。 その為には、御止川という玉石が敷き詰められた川床であること、川幅の1/3程度の幅のある小川を作ります。長さ30〜50間(約50〜90m)の場所を確保し、杭を打って、生柴や藤蔓で囲んだ種川を作るんです。籬(まがき)ともいいます。 この鮭が生育できる環境を守るには、種川が荒れないことが重要。土砂が流入しにくい環境を守るため、荒廃した森林は敵です。このため、河口付近の山は、御留山にして入山や伐採規制を引きます。加えて、積極的に緑化も行っていたとか。河口に位置する多岐神社の鎮守の杜は、伐採禁止の森。明治時代には、魚付き林に指定されます。 すべては、金のため。乱獲だったときは、17両2分だったのが、30年後には、30〜40両に、そして50年後には、1600両になったとか。50年で100倍に。インフレを加味しても、大きな収益になりました。 明治時代に入ってからは、鮭の利益を人財に投資します。たかが鮭ではないのです。人を生み出す鮭のためにも、魚付き林は重要だったのです。 |
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お粥と蓮華おろし 火事で有名な糸魚川は、地形上火事から避けることが出来ません。どんなに火災予防を他地域と同じようにしても、蓮華おろしという南風が吹くからです。 別名、「じもんの風」「地物風」「焼山おろし」と呼ばれ、太平洋から来た湿気を含んだか是が、糸魚川に着くまでに山脈で湿気を落としていき、軽く=乾燥した状態で、甲府盆地からは、赤岳の麓の中央本線沿いに諏訪湖上空を経由して、また、名古屋方面から中央アルプスと南アルプスの谷間、北アルプスと頸城山塊の間の姫川の上を駆け下りてくるんです。谷の地形が生む風なのです。 一度失火すれば、一気に燃え上がります。その時に何が困るかと言えば、食べ物。腹が減っては何も出来ません。このため、夜中にお米を炊いておくんです。 そして朝ご飯は、お粥。前の晩に炊いたお米をお粥にしたんです。それと、漬け菜を刻んだお味噌汁「おないれ」 これが、地元の災害対策の知恵だったのです。 |
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