県木:クスノキ Cinnamomum camphora |
県花:ノジギク Chrysanthemum japonense |
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笹部新太郎 | ||||
成田広吉&宮部継潤 | ||||
山脇延吉 | ||||
笹部新太郎 大阪生まれの芦屋の人 水上勉の小説「櫻守」の竹部のモデル 1887年生まれ 東大を卒業後、定職に就かず桜の研究に没頭。犬養毅の秘書をしたりもあったそうですが。 夙川公園や造幣局の通り抜けの桜、甲山周辺、1960年(昭和35年)に行った岐阜県の御母衣ダム建設で水没する樹齢400年の荘川桜の移植は、有名。 奈良公園の三社の森や大阪城公園、岡本南公園。 橿原街道沿いの桜並木・・・・・数知れず この桜の子供が 国鉄バス運転手の佐藤良二によって名古屋から金沢までの国道156線の太平洋と日本海を結ぶ桜街道につながります。 武田尾に桜の保存林を私費で作り遺伝資源の保護に努めた人。そんなすごい人なんです。 ソメイヨシノが桜じゃないと、関西ではおなじみの八重桜(山桜)はもちろん、たくさんの品種を植えて歩いたんです。 明治45年から演習林として桜の保存をした武田尾(福知山線)の桜の園「亦楽山荘」は日本の桜を語る上での聖地の一つと思います。 桜に関する書籍に、亦楽山荘が書かれているかどうか。書いてない本は潜りと言うことでしょう。桜100選には入っていないけど、この人の業績がなければ、こんなに桜は守れなかったと思うと、絶対載せるべき、そんな気がします。 しかし、恥ずかしながら知らなかったです。 実家(道場)のすぐ裏山にあったとは身近な桜の名所を作った人だったとは |
後継樹が植えられていないのが気がかりです。 辰馬本家酒造株式会社(白鹿) http://www.hakushika.co.jp/ 白鹿記念酒造博物館 http://www.hakushika.co.jp/museum/index.htm 笹部新太郎さくらコレクション http://www.hakushika.co.jp/museum/collect.htm 宝塚市国際観光協会 http://www.kanko-takarazuka.jp/ 桜の園 http://www.kanko-takarazuka.jp/spot/nature.html 日本放送協会:NHK http://www.nhk.or.jp/ プロジェクトX http://www.nhk.or.jp/projectx/projectx/projectx.html NHKのプロジェクトX 第89回 桜ロード 巨木輸送作戦 http://www.nhk.or.jp/projectx/89/ 電源開発のホームページ http://www.jpower.co.jp/ 荘川桜 J-POWER/電源開発 http://www.jpower.co.jp/sakura/index.html 岐阜県荘川村オフィシャルサイト http://www.vill.shokawa.gifu.jp/ |
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成田広吉&宮部継潤 1575年(天正3年)に豊岡で荒れ地にコリヤナギを植えたのが成田広吉という人物。江戸で武家奉公したときに、柳の枝で飯行李を作ったそうで地元に帰ったときに、ヤナギを荒れ地に植えてせっせと柳行李を作ったとか 柳行李は戦国時代、戦乱時に(?)庶民の財産を持ち運ぶ道具として使っていました。また、戦いに行く兵士の食料入れとして活用されました。 柳行李は、但馬の国の祖である天日槍命によって造技術が伝えられたという話もあり、昔から作られていたとか。天日槍命(あまのひばこのみこと)は新羅から帰化した王子。日本古来のものという説もありますけど その後、豊臣秀吉の部下であった宮部継潤 (みやべけいじゅん)が1580年(天正8年)豊岡に入り、ヤナギを産業として特産品にするべく生産から販売まで流通機構を作り上げ、原料となるヤナギの植林を進めました。 円山川に自生しているヤナギを使って多雪なこの地域の冬の現金収入として家で出来る仕事として特産品となっていきました。 宮部継潤は元々は近江出身で比叡山でお坊さんという名の僧兵をしていたそうで、仏本より兵法の本を読んでいたとか。時は戦国時代一国一城の主になるべく、寺を飛び出し浅井長政に仕えます。 織田信長と浅井長政との戦いの際、木下藤吉郎こと豊臣秀吉が、夜陰に彼の城に行き、信長側に寝返るよう工作をしその後秀吉のために働くことに 柳行李は、身分に関係なく大名から商人、富山の薬売りまで旅のスーツケースとして、また衣類の保存用として重宝しました。 戦争の際には軽く丈夫で、リュック代わりに重宝されたとか |
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山脇延吉 神戸電鉄の創始者 もっと有名なのは、この人のおかげで農民が大助かり、生活が苦しい農民は、税金のせいということで、農業の振興のためにも減税を働きかけたんです。 神戸市北区道場町出身。農業指導者というより、農業の基盤を築きあげた人。帝国農会の副会長にまでなっったとか 郷土の有馬川、武庫川流域に木を植え洪水対策 治山事業で植林をしたんです。 このほかにも円山川の河川改修も行ったそうです。 |
神戸電鉄ホームページ http://www.shintetsu.co.jp/ Web神鉄 http://www.shintetsu.jp/ HOME>鉄の部屋>神鉄歴史第3回 http://www.shintetsu.jp/iron/rensai3.html |
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