福島県    
  県木:ケヤキ
Zelkova serrata
県花:ネモトシャクナゲ
Rhododendron brachycarpum
var.nemotoanum 
森を作った人・守った人    
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  内藤政長       
  武藤茂平      
  遠藤十次郎、斎藤丹之丞、中村弥六、宮森太左衛門      
  菊池十郎兵衛      
  
 
内藤政長
いわき市(岩城市)の新舞子浜にクロマツ林を作った戦国武将。永禄11年(1568年)から寛永11年10月17日( 1634年12月7日)
元和8年(1622年)に磐城平藩主だった内藤政長が植林させた海岸林です。

地元ではクロマツ林を内藤政長の法名である悟真院殿養誉推安道山大居士に由来した道山林(どうさんばやし)と呼びます。


五霊神社のアカマツは、内藤政長時代に植えられたと言われ、樹齢は300年以上の立派な樹木です。
崖地崩壊防備として植栽された生き残りともいえるでしょう。
平鎌田字岸(鎌田山)東日本国際大学&いわき短大




塩屋崎灯台より新舞子浜を望む。


福島県道382号豊間四倉線 舞子の松林


 
武藤茂平
川俣町の酒屋さん
1860年頃(万延元年)に、「植林は不動の貯金」という信念のもとスギ、ヒノキの植林を始めた人

遠藤十次郎&斎藤丹之丞&
中村弥六&宮森太左衛門

明治21年(1888年)7月22日に大爆発した磐梯山
死者461名、秋元、細野、雄子沢の3集落を壊滅させた1000年ぶりの大噴火だったんです。

その荒廃した大地に緑を作ったのが、遠藤十次郎だったのです。遠藤現夢と後で名乗ることに。元治元年(1864年)に会津若松の商家、滝口太右衛門の12 男として誕生。米穀を商っている遠藤家に婿養子するんです。才能があったようで、味噌や醤油に手を広げ、運送業や鯉の養殖など手広く商売をしました。いわ ば地方の名士になったんです。

大正8年(1910年)に荒廃した土地(478町歩余り)を払い下げてもらい、アカマツ、スギ、漆を植林したんです。苗木は、新潟からも調達したそうで、 その数アカマツ5万本、スギ3万本、漆が2万本。約1340haの植林を行ったのです。払い下げには中村弥六が総理に働きかけたとか。

資金を出したのが、遠藤十次郎、現場で20年住み着いて森作りを監督したのが斉藤丹之丞。技術的なアドバイスが長野県高遠出身の林学博士中村弥六。また資金協力を側面からしたのが宮森太左衛門。

東洋のスイスにするんだという意気込みで荒廃した噴火の後を緑に変えていきました。最大の難点は、アカマツを根付かせることだったそうで、中村弥六と一緒に現場で技術開発したんだそうです。

明治41年には鶴ケ城にも桜を植えたんです。

今の裏磐梯山に豊かな緑を残したためか、家業は傾き、財産は尽きてしまったそうです。昭和10年(1935年)に没。

生前にお墓を植林地に建て、今そこに眠っています。また、沼の一つ「弥六沼」は中村博士にちなんで名付けたそうです。

菊池十郎兵衛
1641年から1847年にかけて浜通北岸に植林をした最初の人

あまり資料が無くてすみません。