千葉県    
  県木:イヌマキ
Podocarpus macrophylla
県花:菜の花
Brassica campestris
 
森を作った人・守った人    
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  蕨真一郎       
  川上右仲      
  常磐半兵衛      
  土井利勝      

蕨真一郎
 千葉といえば、山武杉 成田からの飛行機から見える杉林が山武杉です。
 「山武杉」の心臓部である埴谷に生まれ、その生涯の一部を「山武杉」の造林法の研究および普及に情熱を傾けました。

 一部って言うのは、その他にも色々と業績を残しているからです。明治44年、自己の所有地を校地や実習地に提供し、『睦岡農林学校』を創設。
 開校から大正7年まで、学校を運営するための経費として、6,600円もの多額の私財を寄付しています。


 

川上右仲
 下総富塚村出身だったとか。寛政(1789-1801頃) 
 クヌギの黒炭を藩の収入源とし江戸に売りましょうと提案。佐倉藩も、この案を良い金蔓と理解し、佐倉炭というブランド名で江戸に出荷した。

 ある意味、江戸の生活を支えた佐倉炭を作った人です。

 佐倉が、炭の集荷地になったため、佐倉炭と呼ばれるようになります。堀田家の領内あちこちで農民によって作られ、江戸に販売していました。

 しっかりした炭であったため、茶の湯の石で、西の池田炭、東の佐倉炭と呼ばれるほどでした。切ると放射状に広がり、菊のように見えるため、菊炭と呼ばれます。


白井市
http://city.shiroi.chiba.jp
指定文化財
http://city.shiroi.chiba.jp/bunkazai.htm


常磐半兵衛 
 久留里炭の生みの親です。ちなみに、生まれは伊豆の炭焼きの出。1750年頃の人

 炭焼きの木を求めて房総半島に定着したんだそうです。別名「どがま半兵衛」と呼ばれ、消し炭方法を改良し、土窯を作って、硬度と持続性のある白炭を作ったんです。

 小櫃川を筏で流し、木更津から江戸の町に提供していたんです。幕府の茶の湯用にも需要があり、ブランド炭だったとか.

 なお、1955年(昭和30年)まで作られ、東京に販売していたそうです。燃料革命という都市ガス、プロパンガスの登場で表舞台から消えました。


土井利勝
 元亀4 年(1573 年)3月18日、誕生。
 寛永21年(1644 年)7月10日、大老のまま没
 慶長年間に、経済的価値の低かった広葉樹林(薪炭林)を、収益がでるように、農民の暮らしが良くなるようにと針葉樹を植えさせたんです。小見川藩主だった頃の話。

 土井利勝植林指導地というのが、香取市仁良の仁良青年館周辺にあるそうです。

 茨城県古河の桃も利勝が古河藩主になった時に勧めた結果だそうです。街道の並木も利勝の業績です。