東南アジアの場合
 どうして森があるのか。森が無くなる問題は、森があるから発生する問題なのです。どうして森が今まであったのでしょうか。そのことについて書いてみます。

 人の歴史は自然の利用の歴史

 文明発祥地は農耕の発祥地。そこでは、土地を有効に利用しようとし、開墾して農業を始めたのです。 それは、森を切り開いて焼いて農業をしました。

 もともと、人類がこの地上で活動するまでは、この地球上には、森林、草原、砂漠、湿地といった土地だったのです。畑や田んぼ、牧場に住居はありませんでした。あたりまえですが。

 人は、生きてゆくために狩猟採集という段階に入りました。魚を捕ったり、木の実を食べたり、獣を捕っていたんです。そんな生活を続けるなかで、人間に都合の良い植物を家の周りで育て始めました。役に立つ動物を飼い慣らし始めました。栽培作物、家畜の始まりです。規模が大きくなるに従って、森を切り開くことになります。焼畑の始まりです。よく言われる焼畑移動耕作の誕生です。燃やした灰が肥料に、病虫害を死滅(熱で)させ、灌木や雑草が生えてくるまでの間の数年間、畑として利用したんです。それがだんだん繰り返すうちに、続けて農業が出来るように、常畑につながるよう(肥料の投入など)続けられたのです。安定した収量を得るため。安心して生きてゆくためです。

 森林から人が流れ、平野や草地に集まり、農耕が始まったのです。農耕の拡大は森林の減少。森林=農地の可能性のある場所

 でも、何らかの理由で、農耕が出来なかった人々。させてもらえなかった人々は、農耕出来るところの外側に移り住んだのです。力のある者達の外側にです。



傾斜のあるところまで(森のあるところ)部分的に、伐られています。森だったところを草(牧草地)に、その理由は今まで使っていなかった傾斜地を生きるために、切り開いた結果だと思われます。
 移り住んだところは、森や草原、海辺です。海辺の人は漁業を、草原の人は牧畜(遊牧)を、森の人は狩猟採集を生きてゆくために始めました。

 草原の人は馬を飼い慣らし、騎馬団を組んで国を作るまでにいたり、アジアやアフリカで活躍しました。海辺の人は船を操り、商船を組んで貿易や略奪など都市を造りました。

 しかし、森の人はそんな力をつけませんでした。常に農耕民の開発の圧力で奥地へ森林の奥地へ追いやられたのです。アマゾンの先住民は、アンデスから逃げてきた人達であったり、インドシナ半島の山々は、中国人の南下によって押し出された金族が平野を押さえたために山に逃げたのです。インドも農耕地から追い出された少数民族が住んでいます。インドネシアでも政争に負けた人々が低地の過酷な熱帯林のなかで生活しています。マレーシアでは、オランアスリと呼ばれる民族、フィリピンのアエタ族、縮れ毛の肌が褐色な人達、森の中で生活しています。
ホンジュラスにモスキート族と呼ばれる人達のいる場所があります。そこには豊富な森林資源があります。何故森があるのか。それはモスキート=蚊=マラリア。マラリアの巣窟なので森林を切り開きにいっても、返り討ちに会い生きて戻れないというか、病気が豊富にあったので、人が入れなかったのです。

 相手にされない人々の住んでいるところが森なのです。(力のある平野を押さえた人々から見て蔑視されているんです)ということで、相手にされていないところとして森があったのです。



先住民と呼ばれる人達のことを、「森に優しい暮らしをしている人々」というキャッチフレーズを見ます。でも、本当にそうなんでしょうか。何故、森にいるかを書いてみました。でも、もし、森にいる先住民に武器や知恵があれば、そのまま森で暮らしたんでしょうか。きっと暮らしやすい平地に進出すると思います。
誤解を恐れずに書くと、森無くしては生活できない人達ではなく、森の中でしか安心して生活できない人々なのかもしれません。キャッチフレーズが良いので、利用されているような気がします。

あまり書くと、差別とか、偏見を助長してしまいそうですが、先住民というのは、少数民族というのは、バカなんです。文明の遅れた野蛮人なんです。文字を持っていないんです。記録することが出来ないから歴史がないんです。(都市住民や農民、権力者から見て)。バーバリアン=野蛮人=森の民というのは、古代ギリシャやローマ帝国時代の話ではなく、今でも生きているんです。だから、見捨てられているといっても過言ではありません。蚊帳の外の存在、イヤ存在すら意識していないのかもしれません。様々な支援団体が、援助したりしていますが、なかなかうまくゆきません。

どうすれば、解決できるのでしょうか。多分解決方法は一つ。それは、戦争です。しかも外部からの占領。そしてその社会体制を滅茶苦茶にすることです。金持ちも貧乏人も一緒の収容所で同じ飯を食わせてしまえば解決できるかもしれません。それぐらい過激なことをしなければダメでしょう。ここまですれば、同じ人間だというのを体を持って理解できるからです。
 だから、今でも森が残っているところは、あまり人がいないところが多いのです。逆に人がいっぱいいるところに森はありません。

 森がある=人があまりいないのです。
 そして、森=農業が出来ないところ=安定した収入がない

 森があるというのはそういうことなのです。
 そして、貧しい貧困地帯なんです。
@漢民族の南下
A金族の南下
B少数民族は山へ

このように力無き民は、押し出されるように移動したんです。
農業するには豊かでなかった山へと移動。少数民族が山岳部にいるのはこのためなんです。
 先進国ではというと、やっぱり農業の出来ない場所が、森として残っているといえます。もちろん法律で規制している国もあります。フランスは自由のある国と思うでしょうが、林業の面では一定以上の森林を開発する時には、行政府に許可を求めます。許可が下りない事もあるそうです。

ノルウェーの首都オスロ近郊です。
傾斜や谷のあるところに森。平たいところに畑。
分かりやすい構図です。

 人がいないから森が残っています。
 当たり前ですが
 ミャンマーのチークの天然林
 Reserved Forestといって一種の囲い込みをしていて、住民を入れさせないんです。これはイギリス植民地時代の名残。

 森が戻るわけは、人がいなくなるから。
 中国は山西省の黄土高原より

 手前は天然林。奥は農地(段々畑)
 なぜ森が残っているか。理由は、人がここまで耕さなかったから。そして奥地での農業は辛い。放棄したところには、木々が戻ってきます。



 背を180度向けると、こんな天然林があるんです。
油松(アブラマツ:Pinus tabulaeformis)、側柏(コノテガシワ:Platycladus orientalis)で構成された天然林。

 ここまで、入植されなかったから残っているんです。山西省なのに、山東省の人が農業をしています。理由は強制移住させられたから。でも、強制移住も、ここまでは及ばなかったので、森が残っているんです。

 畑には、ジャガイモ、トウモロコシ、冬小麦、ひまわりなどを栽培しています。ただ降雨量が少なく不安定なため、リスクを分散するため、一般の農家より多くの農地を耕すんです。

 これは、農地を放棄した場所。理由は排水がうまく行われなかったので、畑がなくなったのです。排水路から崩れだし、気付けば深いガリが誕生。


 大地の上ではまだ農業していますが、農業の出来ない傾斜地には緑が残っています。
 人の生産活動の場として利用していない=利用できない=森林なのです。

 放棄された住居。ヤオトンと呼ばれる中国黄土高原に特有の家。農業も放棄されていますので、潅木が生え、やがて森に帰っていくでしょう。家畜の放牧さえなければですが。

 同じ黄土高原。でもここは基岩の上。農業するにも不適切地。岩を砕いて土をどこかから持ってこないとダメ。だから森があるんです。農業が出来ないから。

奥に見えるのは、段々畑。
東南アジアの場合
きこりのホームページ http://www.kikori.org