一番の理由(人口問題)

燃料のために、食料のために
(人口爆発という爆弾) 

食事のため、暖をとるため人は火を利用します。石油、石炭、原子力等々ありますが、世界を見ると一番多くの人が使っているのが薪なんです。世界の木材利用の80%が燃料に使われているとか。(1説には56%というのもあります)
ジワジワと身体、地球を蝕んでいると言っていいかも知れません。癌のように

農場、牧場開発は目に見える形の破壊。
経済情勢が変われば、森に変わるのも早いです。でも、貧困地帯にある森は、人がいなくならない限り、減る一方です。植えるという、資源管理という意識がないからです。もし、あっても、飢えてしまってもう気力がない。財力がないという状態です。

日常の生活のために、木を切っています。
植えるということを知らないので、伐りっぱなしで、だんだん木が無くなって、遠くまで取りに行く。

人口が少なかったときには、需要と供給が成り立っていたのでしょうが・・・・・・・・・・・
医療の発達だけで、資源の保全という意識の変革を怠ったのが、今の姿ではないでしょうか。

そして、社会変化についてこれない宗教の価値観が足を引っ張っているといえます。子だくさんは、良いことだという、もう、資源は有限というのに・・・・・・・・


都市に集中した人口
発展途上国でも、首都に大都市に人が集まります。仕事を求めて集まります。そして、そこでの生活には燃料が必要。電気やガスはまだまだ未整備。だから、薪に頼るんです。郊外の森が無くなっていきます。











生きた木を薪にすることは許されない暗黙のルールがあっても、生きた木に傷を付けて枯らしてしまえば、薪に利用できるんです。

写真のようにあまり木のない環境下では、わざと木に傷を付けて、枯らしてしまうことがよくあります。
明日より今日のために



生きるためには暖を取ったり、煮炊きに燃料が必要。みんなプロパンガスや電気に変われば、問題解決。薪のために木を伐られることもなく、そのために森が痩せて行くともなくなります、薪集めといった重労働からも解放される。でも現実は厳しいのです
連想してみてください。
西アフリカのセネガルの半乾燥地帯の森林の様子です。森の中には象にライオンもいるとか

国立公園内の人手が入っていない状態
草や灌木が茂っているのが分かります。
法でもって規制しているため人が入らないともいえます。観光客がお金を落とすので守られているともいえます。半乾燥地帯(サヘル地方)では、これでも立派な森林なのです
   
国立公園(保護地域)をちょこっと出ると灌木が無くなるのです。灌木を切り払って、家畜の餌場に利用。露骨な農業は土地争いを生むので、餌場として大勢で利用

近くの様子
畑に利用され、収穫後に残滓(茎など)を牛の餌場に農地、放牧地と一つの土地を交互に利用。地力回復という循環システムができあがっています。

部落
家の周囲は畑(収穫後の様子)。森の姿はありません。森林のある位置から車で20分ほどのところです。多分、40年前は森であったと思われます。


いま、問題なのは、左の絵のように、中間にあるべき木がないことなのです。私自身そんなに見てきたわけではありませんが、高木、巨木と、小木、灌木しか見ないんです。それ以外の木を見つけることが出来ません。
高木や巨木が無くなった時、その次を担う、次世代の木がないのです。
農業をしていないちょっとした藪(ブッシュ)でも、薪取りで伐りやすいので伐られるのでしょうか、家畜が食べてしまうのか、アフリカ象が遊びで木を倒すのか分かりませんが、中間の木がないのです。


人の活動が森を無くしているんです。
誤解があってはいけませんが、森を無くすことがダメというのではありません。
ただ分かってほしいのは、人が生きるということは、食料を得るため、お金を得るために未墾の地を開拓しなければ、増える人口を養うことが出来ないのです。
そして、未墾の地は森林なんです。


宗教という大きな壁
もし、バチカンなり、イスラムの指導者が、産児制限を声を大にして言えば、人口爆発が収まるのではと思うのですが、宗教とて、一つの商売という見方をすれば、職員(指導者から寺院の門番まで)は飯を食べなければなりません。

宗教はモノを生産することはないサービス業ですから、外部からお金が入ってこないとダメなんです。一種のカウンセリングですから、サービス業なんです。サービスの料金が寄付金ということでお金は入ります。

法外なお金がかかります。時給に直すと信じられないくらいお金がかかります。ぼったくり禁止条例を適応してもらいたいものです。神や仏の前では平等といいつつ寄付金によって扱いに差別が存在します。人員削減とかコスト削減とかは言えない世界なんでしょうね。そんなことをすれば、人が離れるでしょうか

だから金蔓は多い方がよいということで産児制限なんて言わないんだろうなと思います。信者が多ければ多いほど、寄付金(上納金)が集まりますから信者と言うより患者というのが良い表現なんでしょうね。いや、カモです。

日本でもそうですが宗教関係の建物は立派ですよね。××会館とか、お寺とか、集会所。海外でも、人々の身なりは超貧しいのに、教会やモスクはものすごく立派なんですよね。信仰は心なんだから、そんなところに建設費をかけないで、別の利用、所得の向上につながる資金の供給とかはしないんでしょうかね。(特に貧しいところでは)
立派な方が、あの世を表現しているというか、現世のつらさを忘れさせるというか、まやかしなのに詐欺行為とも思えるのですが・・・・・・憲法で守られていて合法なんですよね(変な話です)。まあ、金持ちになると信仰から離れるといいますし貧しい方が、宗教家と呼ばれる人々の話を聞きますから(他に接する機会もないというのもありますが)

資源は有限であるというのは、頭のいい人なら理解できるハズと思うのですが、神の摂理に反するというのか、自然の摂理に反して生きているのは人間と思います。だから、科学や技術が発達したんですけど。2000年以上前の産めよ増やせよという時代とは違うというのに、何故、気付かないのでしょうか。東南アジアのカトリックの国では、産児制限を叫ぶ家族計画を推進する人に対してこう呼ぶそうです。「テロリスト」「人殺し」と
でも、金蔓ほしさに産めよ増やせよと推進することは未来の、いやすぐ生まれてくる人たちに責任義務を果たしているんでしょうか。テロリストと叫ぶ人は、現時点での自分の存在意義に対し、よりよい社会を作っていると胸を張っていえるんでしょうか。

ほかの地域では、子沢山は素晴らしいことといいます。でも、痩せた土地、雇用の場のないところで自慢できることなんでしょうか。多産多死の時代の生きる力の知恵を伝統という言葉に置き換え、医療が発達し、多産少死の時代の今、実情にあわせようとしない大人は次の世代に胸を張っていえるんでしょうか。農業は機械化が進み、人手が余るようになっても子供が多いことはいいと思っているんでしょうか

エイズやエボラはもしかして、人類の救世主ではと思ったります。非常に不謹慎ですが。もし、熱帯林で発生した病気であれば、人口爆発で生じた農地開発による森林伐採が招いた結果ではないでしょうか。
 
エイズ対策に多額のお金が投入されていますが、同じように、これ以上多くの犠牲者を出さないように育児制限を、家族計画を大々的に行うべきではないでしょうか
 

皆さんは、どうすれば人口爆発が止まり、人口が減少すると思いますか 


なぜ西アフリカで人口が増えるのか
それについて、詳細に書いているサイトを探すのは難しいです。

答えは、妻を複数持つことが出来るから。
理由は、労働力の確保
労働力とは、子供のこと

1人の男に4人の妻
避妊をしないため、1人あたり出産できる能力は、10人とか。4人の妻だと、40人という計算が成り立ちます。現実には、20人ぐらいになるとか。こうやって子供が増えるのです。

このため、女性は歯がぼろぼろになるんです。早く死んでしまうんです。

もちろん財力が無くてはダメですが、農村で、それなりに土地を持って農業をしたり、家畜をたくさん飼っていれば大丈夫

労働力が多ければ、多いほどいいという発想がまだまだ残っています。

多産多死なら良かったのにというか成り立つ世界

西アフリカは、世界でも貧しい地域
貧困対策に援助機関が何とかしようとがんばっています。でも、子供が増えれば意味がありません
社会システムを変えなければダメな話かもしれません。

本来、イスラムの世界では、夫に先立たれると、残された妻は生きる手段が無く、乞食(物貰い)になるしかなかったんだそうです。女性の活動を制限しているからです。で、路頭に迷うことを防ぐために、再婚するという形で、兄弟が支えていたんです。いつしか、本来の相互扶助が(^ ^;



イスラム国家はなぜ貧しいのか。好き勝手なことを書いていますが、キーワードは法学者と聖職者。こいつらが貧しくしている元凶なんだと思います。今私たちが享受している科学技術はヨーロッパから。でもそのヨーロッパもアラブからの輸入だったんです。そしてアラブの科学はギリシャから。元々フレキシブルで自由度が高かったといわれるイスラム教。でなければ科学技術の発達は望めなかったはずです。精神構造が柔軟でないといけないから。今科学技術でぱっと思い浮かべられる国はパキスタンぐらいです。ここでは核兵器を作っていますから。でも元は中国製。あとは本当に貧しい国ばかり。
ギリシャから科学技術が直接ヨーロッパに行かなかったのは、キリスト教の支配、暗黒の支配があったからです。そこからの解放がルネッサンスの誕生なんです。宗教が足を引っ張っていたんです。
勤勉性がないというのは間違いで、セネガルあたりでは働くことが喜びと一生懸命にがんばっているところもあります。ではなぜ法学者や聖職者がダメなのか。基本的にこの分野の人は文系の人間たちです。だから科学について理解できない頭。科学の発展で富をもたらすことは、自分たちの理解を超えた世界なんです。わかりやすくいえば、科学知識を持って遺伝子組み換え反対とか原子力発電反対ではなく、漠然とした不安で反対運動を行うような事。
コーランに書いていないという一点で科学技術を追いやったんだと思えるんです。でなければさらなる発展に続いたはずですから。ヨーロッパ以上に栄えているはずです。
 家族計画を認めない、家族が多い方が良いというのは計算が出来ない証拠なんです。あと投資はダメとか。コーランの教えに無いという理由。これでは、未来をよりよくすることは出来ません。どうせぇというんですかね。
もちろん、キリスト教の国でも同じなんですが、イスラム教の国と決定的に違うのは、フランス革命以降、距離を置いているからです。イスラムは生活に密着しすぎというか干渉しすぎなんです。可哀想なくらいに。(T T)

ちなみに、この人口問題

北欧の国ノルウェーでは人口爆発によって森林が危機に。でも100万人もの人間が新大陸アメリカへ移住。ノルェーにおける開墾のための森林破壊は、担い手がいなくなったため止まりました。しかし一方でアメリカでは先住民の悲劇が・・

中世ヨーロッパも人口増加で森林減少で崩壊の危機に。でも、黒死病の登場で人口が急減。そして森が増えたんだそうです。古今東西、人口爆発、農地拡大によって森が無くなっていきました。
人口問題
人類の大きな課題です。

人口が増える要因を排除しないと明日がありません。

貧困問題は、切っても切り離せない話です。貧しい人達が豊かな生活を求め、田舎から都市に行きます。そこには仕事があると思って。しかし、都市で許容できる仕事の量は、決まっています。初めのうちは良かったでしょうが、後から来る人達の仕事はありません。するとスラム街が出来上がるのです。あぶれた人達は、そこで生活したり、見切りをつけて新天地を森に求めます。焼畑なら見よう見まねで生きていけると思うからです。
熱帯なら、バナナがあればそこそこ生きてゆけます。現金収入はなくても、食べ物がありますから。しかし、都市にいる人達は、犯罪の巣窟と呼ばれるスラムでギリギリの生活です。都市の治安をおかしくしているというのは、違う意味で問題です。

一番の理由(人口問題)
きこりのホームページ http://www.kikori.org