ヨーロッパの場合
ヨーロッパでも森が無くなりました。
その痕跡は、オオカミと人との関係です。

ヨーロッパの童話で良いオオカミは?です。皆無と言っていいでしょう。3匹の子豚・赤ずきんちゃん・7匹の子ヤギ等、悪役はすべてオオカミ。良いオオカミは聞きません。ということで、オオカミは悪い存在。でも、これはオオカミの生息域を破壊したから、オオカミが生きていける空間を破壊したんです。だから誕生した話なんです。

農地の拡大=森林の減少。オオカミの生息圏が、生存圏が縮小されたんです。食事をするために、羊を襲うことになるんです。腹が減っては生きてゆけませんからね。
羊を襲う=人間の敵
しかも、羊は偉大なキリストの子供の頃の象徴

人口が増え、農地が増え、森が縮小したから、悪さをするオオカミに関する物語が生まれたのです。ルーマニアでは、逃げ足の早い羊を持つことが、自慢になる祭りがあるとか。

また、いかに、森がなかったか。急激に森林が破壊されたかです。それは絵画を見れば分かります。ぜひ、美術館で鑑賞してみてください。
山のてっぺんまで草原
木もまばらに点在

特徴的なのは広場の周りの木。薪をとるためにボウガ更新をしているため、途中から枝がいっぱい広がっています。





農業に適さない丘陵地に森が残っています。
何故、森が無くなったのか
それは、森を象徴していた大木が切られたから

伐ったのはキリスト教の伝道師達

ローマを根城にしたキリストの伝道師達は、森のあるガリアに進出。今のフランス、ドイツあたりにです。でも、そこには、オークの木や松の木等、樹木を信仰する人々がいたんです。いわゆる異端児。異教徒。

これを退治するには、虐殺という手もあったんでしょうが、野蛮な人達を改善しようとしたんです。神の名の下に。

9世紀にフランスのナント近郊の話では、キリスト教を普及するために、樹木が切られたんです。どんなに、キリスト教へ改宗させても、樹木や泉、川、湖、動物に対する崇拝は、なかなか根絶やしにすることが出来なかったんです。生きるためには自然への感謝、自然への感謝はその化身である万物に神が宿り、豊作への願いの対象になっていたんです。
バカな、愚かな農民(←すべての自然に感謝する認識が欠如しているキリスト教の伝道師から見て)に、せっせと説いても見向きもされない。迷信を信じていると言うことで、悪魔に支配されているということ。
そこで、樹木を大木を信仰木を切ったんです。

もちろん、伐ったからといってたたりは無し。
で、おまえらの神は無し。
だから、キリスト教をまじめに信じろと

これは単に、1本の木が伐られると言うことではないんです。これまで、様々な経験から得た知識が消されたんです。放棄されたんです。一気に森が無くなったんです。象徴の木が無くなったため、心の壁が崩れ、ためらいという意識がなくなったんです。

南北アメリカ大陸の森が無くなったのは、この精神構造が引き起こしているとしか考えられません。

森というのはいらないのかもしれません。
この絵は、シスレーの「サン=マメスのロワン運河」です。左に描かれている木は、ぼうが更新をしているんです。一つは、薪のため。燃材として。あとは、家畜の飼料に使われていたんです。生活最低の木材さえあれば、広大な森は必要ないんです。



トラファルガーの会戦
大径木が次から次に軍艦になり、海に沈んでいきました。

戦争もまた多くの森を消滅に追いやりました。特にイギリスは、大陸との戦争のために、軍船が必要。そのための木材を北欧のノルェーに求め、たくさん切り出したとか。

スペインやフランスも同じように軍船のために、木を伐り森を破壊したと思われますが、正確な資料がないため憶測です。
人口の増大は、農地の増加だけではありませんでした。人が増えることで保存食も誕生します。食糧不足に対する保険です。

ヨーロッパの保存食といえば、塩漬けの肉に、魚、チーズ。内陸部での製塩も、岩塩を砕くだけではなく、塩水を煮詰めてとる製塩方法もありました。

ドイツのハレでは、先史時代に盛んに製塩が行われたけれど、燃料となる木が不足=森林の減少によって、製塩が1000年近く止まっていたとか。森林の回復で製塩の再開という事になるのですが、どれだけ森林を切り尽くしたのか想像できません。

自然の遷移で回復させるというのは、どうかと思うのですが、燃料の木を植えようというのは、10世紀のドイツではまだ無かったということです。

製塩が再開されると、森林が伐られ燃料不足に陥りました。そのまま森林を壊滅するのではなく、ボヘミア地方から薪を輸入したそうです。

   
     
国土における森林面積を見た場合、ヨーロッパは次の通りといわれています。森と湖の国のフィンランドは69.2%、お隣スェーデン58.9%、アイスランド(火山国)1.2%、オランダとイギリスは8.3%、イタリア20.9%、フランス26.9%、スペイン29.6%、スイス26.0%、ドイツ(西ドイツ29.0%、東ドイツ29.3%)、ポーランド29.5%、オーストリア39.0%(ちなみに日本は67.3%)

年代記で有名なP.C.タキトゥスのゲルマニカによれば、中部ヨーロッパは森林に覆われた薄気味悪いところと表現していて、ほとんど森(ヨーロッパブナ)だったそうです。
それが民族大移動で1/3に激減したんです。
で、30%以下の森林被覆率になってしまいました。
肥沃な平地の広葉樹林帯が開墾されたんです。

また、豚を飼うためのオークの森も、ヨーロッパの新大陸進出によるジャガイモの導入で消えました。豚の餌が、ドングリからイモに。森(白い森=餌場としての森)の意義が薄れたこともあるんです。養豚のスタイルが変わったんです。それまで、秋になると森に豚を放し飼いにしたんです。ドングリをいっぱい食べさせて太らせ、冬に備えていたんです。

森が残っていると言われる東ヨーロッパの植生がヨーロッパ全域を覆っていたとか。オークとブナ類(シデ等)の混交林です。
これらの森林は、豚の餌場としての意義を失うと共に、生長が遅いため、戦争向けの軍艦を作る上では時間がかかりすぎることで、生長の早い欧州アカマツに樹種転換されたんです。

ちなみに、ドイツでは、白い森(オークなど)が姿を消し、針葉樹に変わったため黒い森(シュワルツバルトSchwarzwald)。モミとドイツトウヒが代表的な森になったんです。

また、木が無くなったので、森が無くなったのでインドにアメリカへと木を奪いに行ったイギリス。

なぜ、森が無くなったか。森が無くなったお陰で産業革命の道へまっしぐら?石炭を使い始めたから。

1306年には、ロンドンで石炭を使うことは、全面禁止。もしばれると、初犯は多額の罰金と保釈金。再犯は暖炉の破壊というもの。しかし、いつしか薪を使いたくても薪が使えない状況に。そして当たり前のように石炭が使われることになったんです。

8世紀の終わりまでは、イギリスの王室の森は誰でも自由に薪を採ることが許されていたそうです。もちろん、狩りは当たり前ですが、建築用に木を伐ることもダメでした。
しかし、9世紀にはいると制限が設けられ、そのうち薪が使えなくなるんです。その代わりに登場したのが、石炭、そして質の悪い泥炭が使われるようになったんです。

エリザベス女王(1534年生まれ)は、急速に減少する木材供給能力を維持しようと、海、もしくは船が行き交う河川の幅22q以内に育つ直径30cm以上のトネリコ、ブナノキ、そしてオークについて薪としての使用を禁止。

以上のような状況は森林減少が深刻だったと思われる話です。農地、放牧地の拡大が招いた結果なんです。結果的には、植民地の拡大へとなります。

その以前には、鉄を取り出すために燃材として木が使われていました。しかし、木質資源の枯渇=森林の減少で、1713年にコークスを使うことになります。16世紀までのイギリスの製鉄は、英国産の木炭だったのですが、スェーデン、ロシア産の木炭に変わりました。

銑鉄1トンに対し、2トンの木炭が必要といわれており、2トンの木炭を作るのに10トンの生木が必要となります。銑鉄より高品質な鋼は、可鍛鉄と呼ばれ、1トンに対し、木炭4トンが必要です。

それは、萌芽更新能力を上回る利用で、森林が亡くなりました。その跡地を牧場として、農地として利用されることになります。生産量が増えるにつれ、木炭だけでは、生産が追いつかない事態になり、石炭を蒸し焼きしたコークスが活用されることになります。身近な資源が、木材から石炭に移行したんです。
コークスが使われるようになった1720年が2.7万トンの銑鉄が、1770年で4万トン、1800年で18万トン、1840年には、140万トン、1853年には290万トンと約130年で100倍以上の急成長になったのです。これが、産業革命の基礎となったんです。森林が亡くなる→身近な資源の活用→石炭の高度な利用→蒸気機関の活用→産業革命という順序です。

場所にも寄りますが、日本のたたら製鉄の場合、10トンの炭を作るのに、1haの森林面積が必要だったそうです。
4万トンの銑鉄には、8万トンの木炭が必要とのこと。8万トンの木炭作りには、8000haの森林が消失することを意味します。伐った木が再生されるまでに、20年とか30年はかかります。その土地の気候や土の肥沃土とか関係しますので。

毎年、8キロ×10キロの森林が鉄作りのために木炭となって無くなっていったということです。1分間に10m×10mの森が更地になるのです。さっきあった木が、消えてしまうのです。2分間でテニスコート1つが消えていたのです。1770年の時点です。ベートーベンが生まれた頃の話です。

    フランスの製鉄事情も同様でした。16世紀初頭は、国土の35%が森林だったそうです。16世紀の終わりに470カ所の製鉄所が稼働し、17世紀の中頃には、25%まで森林面積が減少。ルイ14世が慌てて伐採制限令を出すのですが、対象外であったアルプスやピレネー山脈の針葉樹は伐採の対象となり、森林減少・劣化を食い止めることは出来なかったのです。

国土面積の1/3しか森が残っていないリッチな国ルクセンブルグ。一人あたりのGNPは、日本を抜いて堂々の1位で4万ドルを超える国なんです。

でもその発展の陰で森が無くなりました。19世紀後半に鉄鉱床の発見から一大製鉄の生産国に。その傍らで、石炭や製鉄の開発の陰で森が消えていったんです。こちらは、木炭のために森が無くなったのではなく、露天掘りしたので、森が伐られたんです。


ロシアのカマ地方は、鉄ではなく製塩業で森林が消失したんです。燃料としてです。結果的に、300キロ離れた場所から燃料である薪を調達することになります。何だかんだと森を燃料として破壊していくのでした。この製塩業で一大大金持ちになったのが、ビーフストロガノフで有名なストロガノフ家だそうです。


こうみると、ヨーロッパの森林破壊も、結構えぐい物があります。 あまり、途上国の森林破壊をあーだこーだいうのは、自らの歴史を判っているのとといいたいものです。もしかしなくても、熱帯林の破壊より速いスピードで森林を無くしていったような気がします。足りない分は、植民地から持ってくれば良いわけですから。今と違ってね。


地域の細分 陸地面積 2000年の森林面積 1990-2000年間の
森林面積の変化
森林蓄積と地上の
バイオマスの量
天然林 植林地 森林計
千ha 千ha 千ha 千ha % ha/人口 千ha/年 m3/ha トン/ha
北欧 129,019 63,332 1,613 64,945 50.34 2.5 70 0.1 105 60
中欧 196,358 47,766 4,114 51,880 26.42 0.2 152 0.3 222 117
南欧 163,750 47,397 4,327 51,724 31.59 0.3 233 0.5 112 60
ベラルーシ・ロシア
モルドバ・ウクライナ
1,770,830 848,742 21,961 870,703 49.17 4.1 423 0.0 106 56
欧州計 2,259,957 1,007,237 32,015 1,039,252 45.99 1.4 881 0.1 112 59
世界計 13,063,900 3,682,722 186,733 3,869,455 29.62 0.6 -9,391 -0.2 100 109
ヨーロッパの場合
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