東南アジアの場合
ギルガメッシュ
小麦栽培といえば、メソポタミア文明の基礎。この栽培があったからこそ、文明が登場したのです。
狩猟採集から栽培化の成功で、余剰作物の発生。これが余分な人口も養えることに。これが都市化への始まり。都市と都市が連携しあって国家へと導かれていくんです。その国家を支えるのは農業。食がなければ人は生きてゆけませんから。

その食はパンの原料でもある小麦。アジアの水稲ではなく、大量の水を必要としないんです。冬小麦は冬に降雨さえあればよい小麦。天水で出来るのです。だから、後背にある森が必要ではないのです。日本では水稲を行うには大量の水が必要。梅雨だけではダメなので、山を緑にしました。その一つが鎮守の杜。神様、水神様、龍神様がいるといって伐らなかった、いえ伐れなかったのです。でも、メソポタミアでは、天水に頼るから、森があってもなくても農業には関係なし。肥料は家畜の糞で十分。だから、ちょっとした傾斜でも森を切り開いて農地にしたんです。
切り開いて農業に適さなければ、牧草地として牛や羊を飼えばいいわけですから。農地の拡大で森が消えていったのです。また、金属の発見が、森を無くしました。燃材として。

そして不幸だったのが、冬に雨が降るということ。都市化によって、国家が誕生。王宮、神殿といった権威を示すモノが作られるようになりました。扉はもちろん木だったそうです。巨木が次々と切られていきました。ただ伐られるだけなら問題はなかったんですが、気候がダメだったのです。暑い夏には水がない、植物の旺盛な生長時期に水がたりない。天然更新がままならなかったんです。伐られるとその後の更新はなし、引き継ぐ木が無くなっていったんです。徐々に木が無くなり荒廃した大地に。

この一連の話がギルガメッシュ伝説。レバノンスギが無くなっていく様子が、都市国家の拡大と共に書かれています。




チョガー・ザンビール(イラン)の遺跡
紀元前13世紀の神殿ですが、周囲は豊かな緑でした。

周囲は荒涼とした大地。
足下の油より
サウジアラビアでは、山にある灌木が薪のために消えているとか。それは、移動する民ベドウィン。
かれらの燃料は、足下に豊富にある石油ではなく生えている木からの薪。
移動しながら、油田を掘るわけにはいかないですから。


革命が森林を奪う
イラン国王モハンマド・レザーは、イランの近代化のため、西洋的ナショナリズムを導入。1963年のイランの白色革命です。その一つに土地改革がありました。それまで、土地は、地方の有力者の所有物。それを、近代化ということで、国が買い上げ、農民に解放する一種の農地改革とも言えます。

しかし、当時のイラン国民の95%が文盲だったこと。資金力のある篤農家クラスがいなかったこと等、国王の意図を理解できる人材がいなかったことが、失敗(?)し、王制制度が崩壊していくのです。
急激な革命は、教育から人材を養成しなかったことで、躓くきっかけになり、ホメイニによるイスラム革命に発展していくんです。

権力を掌握していたい宗教家にとって、女性の政治への参加は既得権益の侵害や、無知な住民が知恵を付けることを恐れるなど宗教家にとって見ればろくでもない革命だったのですが、急であったために自己崩壊してしまうんです。

もともと、イランでは、大地主(有力者=大名みたいな物)が土地を所有していたんです。地主は、マネージャーをおいて、その土地の持つ家畜の飼育力にあわせて頭数を管理していたんです。あっちの森林や天然の草地が家畜による食害にあっているので、しばらく休みとか、もう少し増やして良いとか、管理していたんです。

しかし、この白色革命で、土地は農民に渡ると、一気に森林が劣化したんです。理由は、管理する人がいなくなったので、10頭しか飼えない土地に15頭、20頭、30頭と飼い出したんです。自然の回復力を上回る家畜の食べっぷりが、おかしくしていったんです。

豊かではない地域=土地生産性が低い=農業が適さない=放牧や遊牧が生計の糧という地域では、過放牧は、森林や草地の自己回復を阻害するんです。花が咲き、実が出来、種となって地中に戻っても、出てきた芽を片っ端から家畜が食べるのです。しかも過放牧状態なので、食べれるものは何でも食べてしまうんです。

ということで、次世代を担う木が育たない事態になってしますのです。今ある木が無くなれば、森もなくなってしまう事態になってしまっているのです。


ザクロス山脈の中には、樫の木の森がありますが、稚樹の無い、後継者のいない森です。みんな山羊や羊にゴックンです。






森林管理人がいた時代

後継樹のあった森から



農民に解放された時代

後継樹のない森へ



過放牧の状態





今の状態(森林が戻らず)

何かの機会(薪に使ったり、家の柱や家具などに使えば)で枯れると木は減る一方          
森林が劣化していくのです。




遊牧生活の放棄
 イランのザクロス山脈の遊牧民は、夏の暑い時期を、涼しい山で過ごします。寒くなる冬には暖かい平地に移動。草の生長もあり、一定の場所に留まるわけにはいけません。草の生長に家畜の食欲が勝るからです。だから、草を求めて移動する遊牧なのです。自然資源を枯渇させないために、移牧するのです。移牧とは、スイスの山間部に見られる垂直方向の移動のことです。夏の間、高原の草を食べさせるために、移動する方法なのです。
イランのザクロス山脈の遊牧も、一種の移牧といえます。距離は長いですが。
遊牧生活は、統治者側から見ると色々と面倒なのです。住所は一定では無いので、公的な書類を渡すのも大変、子供の学校もです。
 そこで、定住化を図ります。政府の目が届くようにという意味もありますが、行政サービスの提供という意味でも不可欠なのです。

 ザクロス産地は、カシの木の森が占有していますが、遊牧が盛んな時期は、冬に人はいません。家畜も寒いのがいやですし、暖かい場所で人も過ごしたいからです。でも、山に定住すると冬を過ごさなくてはいけません。平地に定住すると暑い夏を過ごす必要がありますが。

 寒い冬には、暖房が不可欠。ということで、燃材として伐られていきます。森林の使い方をちゃんと理解すること無く、いっぱいあるからこれくらい大丈夫という感覚で切り倒していくのです。萌芽更新技術があれば、良かったんですが。


美味しいケバブ
焼き肉料理であるケバブ。ガスの火で焼くか、炭火で焼くか。どちらが美味しいかは、誰もが認める炭火焼き。

美味しいケバブは炭焼きに限ると言うことで、ケバブ食べたさに炭を密造。そのために、違法伐採。ザクロス山地のカシの森は、美味しいケバブを食べるために、劣化しているのです。

薪炭林を作って炭を作るという歴史があれば良かったのですが、粗放だった場所での生活だったので、資源を増やすという発想が生まれないまま、今に至っています。この40年間ほどの定住化政策、人口増加等々、社会経済環境の変化に、人の意識がついてきていないのです。




地域の細分 陸地面積 2000年の森林面積 1990-2000年間の
森林面積の変化
森林蓄積と地上の
バイオマスの量
天然林 植林地 森林計
千ha 千ha 千ha 千ha % ha/人口 千ha/年 m3/ha トン/ha
中央アジア 545,407 29,536 384 29,920 5.49 0.5 208 0.7 62 40
東アジア 992,309 146,254 557,665 703,919 70.94 0.1 1,805 0.9 62 62
南アジア 412,917 42,013 34,652 76,665 18.57 0.1 -98 -0.1 49 77
東南アジア 436,022 191,942 19,972 211,914 48.60 0.4 -2,329 -1.0 64 109
西アジア 698,091 22,202 5,073 27,275 3.91 0.1 48 0.2 101 87
アジア計 3,084,746 431,947 617,746 1,049,693 34.03 0.2 -364 -0.1 63 82
世界計 13,063,900 3,682,722 186,733 3,869,455 29.62 0.6 -9,391 -0.2 100 109
東南アジアの場合
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