お花見の意味とは

 日本人は、花見を何故するのか。
 古代、中国では梅を観賞していました。奈良時代や平安時代の貴族は、梅を楽しんだそうです。ただ、寒い時期に咲く花ですから、外での宴会は難しかったと思います。
 その一方で、庶民をはじめ多くの日本人は、桜の花見を楽しんでいました。歴史を振り返ると。弘仁3年(812年)に、蘇我天皇が、花見の宴をしたという記録が残っています。

 3月中旬から、何時桜が開花するのだろうかとテレビなどで放送されます。そして、東京では靖国神社の境内にあるソメイヨシノが開花すると、開花宣言がなされます。お花見の始まりです。

 さて、花見とは桜の木の下で、バーベキューや、カラオケをすることなのでしょうか。茣蓙(ブルーシート)を広げて、花見弁当を食べ、お酒を飲むことなのでしょうか。

 今、世界中から日本の花見に関心が集まっています。花見が出来る環境があるのは、争いのない平和である証です。何の心配も無く、日々の生活を楽しむことが出来るからです。最近では、わざわざ、花見の時期に日本に来る旅行者もいます。

 でも、今の花見は本当に正しい姿なのでしょうか。本来の趣旨を忘れているような気がしてなりません。時代とともに変化することはあると思うのですが、本質を忘れることは本当に良いことなのだろうかと。

 桜の語源は、「さ」が田の神様、「くら」が、神様の座る椅子=御座(みくら)とか、「さ」が穀物の神様ということで、神の依り代=神が宿る木という話です。その他にも、木花開耶姫の話や、「さ」がより多くもしくはより大きく、「く」が組み合わさった、「ら」が沢山ということで、大きな花が沢山集まったものとか、「さく」=咲く、「ら」がいっぱいの、沢山の咲いている集合体=八重桜の様子だそうです。

 ただ、農耕民族であった日本人にとって、季節の変わり目を知ると言うことは、農業の開始時期や、作業工程の見直しには不可欠な情報です。その情報を取り入れることで、安心できる農業をしてきました。だから、稲作を始める時期に咲く桜(ソメイヨシノではなく、八重桜)を見ることで、今年も農業の時期が来た、さぁ、農作業を始めるぞと言う気分転換の場ではなかったのではないでしょうか。

 稲作は、労働集約型の産業です。多くの人が一丸となって頑張ることで、より多くの収益が望めます。村社会でもあるので、団結することが大事です。そういったことを確認する場だったのかと思います。
 ある意味、新入職員の最初の仕事が場所取りというのは、本来の花見の姿なのかもしれません。職場が団結することですから。

 さて、桜の根元で宴会をしている姿が見られます。これは、桜を傷つけているだけです。桜の根が傷つけば、桜も衰弱します。せっかく植えられた桜を失うことになります。だから、桜の樹冠内には立ち入らない様にしていくことが大事なのではと思います。桜の気持ちになって、考えることが必要なのかもしれません。一歩離れて鑑賞することをしなければならないと思います。

 そして、当たり前ですが、「花より団子」が楽しめるよう、五穀豊穣を祈念しながら、山から神様が来たということを思い出すようにするのが、重要なんだと思います。

たかが、花見、されど花見です。

追伸:この時期、秋に紅葉する紅葉の花も咲いています。桜だけが花ではないんですといいたいです。



森と神様