イタリア紀行から

貧しさと豊かさの違い
よく聞く言葉で、「北イタリアは南イタリア抜きの独立を画策している」

実際、南イタリアのナポリの駅に着くと、そこは犯罪の臭いがプンプンしています。駅には、どうみてもかっぱらい、スリと思える格好の怪しすぎる人物が行ったり来たりしているんですから。

ローマからミラノに向かう車窓から見える風景は、そこは岩だらけの山。木なんて生えていない山が続いているんです。使っているのかどうか分からない放棄地も見られます。

従って土地生産力が弱いというか、表土がない状態では、農業はダメなんでしょうね。農業といっても、穀類の生産です。例えば、小麦やお米、トウモロコシ等、主食になるための農業です。

逆にどうでもいいとはいえませんが、オリーブ畑やブドウ畑など、直接おなかを満腹にしてくれるものではなく、料理を美味しくしてくれるものの栽培が盛んです。

とはいっても、むき出しの土壌では、肥沃とはいえず、地力を高める努力が必要だとは思うのだが、肥料木は見えず、手をかけない粗放な農業を行っている始末。

農業がダメなら、漁業という方法もあるけれど、豊かな森がないため、海にはプランクトンの栄養になるようなミネラル分が補給されないため、貧栄養な海になっているんです。お陰で、碧海なんですけど。

一方、北上するに従い、森に緑が戻ってきます。森が見えるに従い、家の塀も低くなっていくのが印象的です。森林の増加=塀の高さの低下=犯罪の低下ということなんでしょうかね。

ボローネでは、防風林まである農場が広がり、地力維持に力を入れている。

収益>消費であれば、貯蓄も出来て問題ないが、収益<消費であれば、借金を増やし、その穴埋めとして犯罪による略奪行為で埋め合わせを行うわけだから、収益=消費とバランスの良い状態に持って行かせるには、消費量を減らすか、収益を高める必要があるということ。

収益を高めるには、肥料などを加えなければならないけれど、お金がかかる。お金がないから貧しいのに、借金してまで投入は無理だから、肥料木を植えることで、徐々に土壌条件を改善していく方向でなければならないんだろうね。

耕作放棄地が増えている日本は大丈夫なんだろうか。


イタリアの車窓から考えてみたことをまとめてみました。

森と神様