森という最期の拠り所(食料庫)
森というところ
日本では森イコール山

東北に遊びに行ったときに本屋で見た本にショックを受けました。226事件といえば、軍国主義の最たるモノで、いけないと教えられたが、本当のところはどうだったんですかね。必要悪だったのではないのかと。

大正から昭和初期は、東北地方を飢饉が襲ったというのは教科書では1行ほどしか書かれていなかったと覚えていますが、悲惨を通り越してなんていったらよいのやら言葉が浮かびません。

226事件が起きても仕方がないような時代だったのではと思います。授業では、その辺のことは習いませんでした。軍国主義がどうのこうのと(軍国主義=悪というわけではなく、腐敗が蔓延ると軍事政権が誕生します)。しかし、気象災害で多くの人が困っているなか、豊かなグループや何もしない政治家に対する行動だったようなそんなことを考えさせられるような悲惨な状況だったのです。

今でもワラビの採れないところは、飢饉の時にすべて採ったからということで、そこまでしないと助からなかったということを思うと、改めて森(山)の利用方法を考えてみました。

森は最期に逃げるところ。
ユーゴの内戦の際、多くの人が命を守るために森に逃げたとか。木々で見えないということで身を守る以上に、食べ物があるということで森に入ったそうです。第二次大戦の時も同じだったとか。悲しいことに、森に入ったまま戻って来ない人がいたのも事実ですが。

江戸時代の東北の諸藩、明治、大正時代の林野庁(御料林)は、飢饉の際、山を解放したんですね。それまでは使わしてくれないとかで、村民が入るのもダメだったのですが、最期には救済を目的に利用させたんです。

多分、飢饉はこれからも来ると思います。細川内閣の時に米の自由化を招いた冷害。再来しない保証はないですから

やっぱり森には食べられる木を植えるべきなんでしょうね。今、ブナを植える話が日本あちこちで流行っていますが、本当によいことなんでしょうかね。

ブナではなく、食べられる木(美味しい実のなる木)を植えるべきではないでしょうか。例えば、クリやスダジイ、トチ、グミ、カキ等々、一つは、動物や鳥のため。もう一つは、飢饉に備えてです。

ある植樹祭で植えられた8種類のうち食べることが可能な木は1種類だけ。食べられる木以外にも、生活に役に立つ木、ウルシやハゼ、ミツマタ、コウゾ等々あります。

植樹祭や、今後木を植える人、樹種を選ぶときは、未来を考えて選んでほしいものです。

ちなみに、今話題の補助金
最初の林業の補助金は、山にクリの木を植えるモノだったそうです。飢饉対策のためということです。


森と神様