中南米の森林破壊とヨーロッパとオオカミ
この説は、自信がありませんが・・・・気になっています。
前提条件にスペインにオオカミがいる、もしくはかつていたことが話のはじめになります。

何度も中南米の出張で熱帯林を破壊し土壌をダメにしているのは環境団体が言うような森林伐採の林業ではなく、牧畜ではないかと何故、牧畜を非難しないのか、非難できない何かがあるのか(同和問題が日本にはありますが)そこが気になります。

温暖化の原因の一つが牛のげっぷによるメタンガスの放出。平日半額セール(休日倍額セール)なんかやっている場合ではないと思うのですが。売れれば売れるほど牛が増えるわけですし、そのための牧場が必要になります。げっぷの量も増えますから。さらに、温暖化に拍車をかけると思いますが


牛肉なしの西洋文明は成り立たないのでしょうか?
確かに、チーズやバター、ステーキなしの生活なんぞ想像できません。思想の根底は、食文化でしょうから

ヨーロッパの思想の根底にあることについては触れられないのか。牛と共に牧場といえばヒツジやヤギ。イギリスの森林が無くなったのは、ヒツジ(羊毛)のための囲い込みで次々と木を切って草地に替えていきました。そうすることが、お金儲けにつながったからともいわれています。

スペインも、新大陸に800万頭ものヒツジを連れて行ったとか。文明に対する影響力は、牛と同様にヒツジも大きかったと思っています。その後が、草地になり木が生えにくい状況を残しています。

前置きが長くなりましたが、ここでは、オオカミとヒツジとの関係があるのではと、ちょっと疑ってみました。

ヨーロッパでは、オオカミは悪さをする代名詞
3匹の子豚、赤ずきんちゃん、7匹の子ヤギ、それ以外に沢山あるのではないでしょうか。ヒツジや山羊をオオカミから守るため、森を出来るだけ切り開いて、見晴らしよくすることでよって、ヨーロッパの人々の暮らしを守った知恵ではないのかと。長いヨーロッパの歴史で人とオオカミとの戦いの中で、刷り込まれたモノなのでしょうか

特にスペイン人やバスク人、ポルトガル人には、その知恵・経験が遺伝子に刷り込まれ、移住先の中南米でもオオカミがいないのに森を切り開いて、綺麗にしないと落ち着いて生活が出来ないとか。森という対象が、悪魔の使いとか、生活を脅かす得体の知れない生き物の住みか。そんなふうに考えたのでは・・・ 
まだ、スペインに行ったことはありませんが、上空を飛んでいて見えたイベリア半島の山は灌木だらけで、テレビから見る風景は木が点在しているように見えます。

必ずしもヨーロッパ人が同じというわけではありません。例えば、ドイツ人は森を確保することで、豚を飼育してきた歴史があります。ドングリが豚の重要な食料になったということで、多くの森を持つことでたくさんの豚を飼うことが出来、森が裕福度を測る指標になりました。もっとも、中世ヨーロッパでは、豚は悪魔の使いとして宗教裁判で、数多く神のもとへ送られたのにも関わらず

ドイツ人は、ソーセージが大好きですから。ドイツ人は、移住先のブラジルでも日系人と同じようにちょっとした森を作っていたみたいですし

ちなみに、日本ではオオカミは山の神の使いです。三峯山のご神体が確かオオカミだったようなオオカミは、農作物を食い荒らすシカやイノシシを食べてくれるから益獣でもあったんです。

カモシカや、シカを捕ってくれた捕食者のトップとして森の生態系を守っていたんですけど。絶滅後、シカやカモシカの大繁殖で日本の林業も困っています。植えた木を食べるので
神(オオカミ)がいなくなった神罰なんでしょうかね

今年こそスペインに行ってみたいと思いつつ、スペインに行ったことのある人はどう思いますか。また、みなさんの意見を聞かせてください。

森と神様