森と神様(日本と中東)
どうしても、森林認証制度という考え方がしっくりこないんですが
そこには、次のような発想の違いがあるのでは、なんて事を感じています。
ただ、漠然としていて、素人の発想ですが・・・・・
認証制度は受け入れても、その思想は果たして日本は受け入れられるのか。ちょっと違った切り口で見てみたいです。

日本の神様のヒーローは素戔嗚尊
かたや、中東の神様のヒーローは、ギルガメッシュ
この違いが、これからの森林の扱いに大きな影響があるのでは。あまり、このことにふれている人はいないと思うけど

旧約聖書の影響は、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教に続いています。でも、その根元は、メソポタミアでないかと思います。(いつか行ってみたい)
ユダヤ教が出来た話(本当かどうか分からないけど)は、捕虜として、奴隷としてつれてこられたある民族が、メソポタミアの豊かな社会(彼らには堕落した)を見て、自分たちのアイデンティティーを残そうと文字で残したものが、教本になったと聞いています。
なんか、田舎もののねたみ・やっかみのような気がしますが・・・・・・
そして、その教本が旧約聖書につながっていたとのことです。

その、メソポタミアでは、文明の発達と共に、森が切り開かれ、農地が拡大していきました。農地が拡大すると言うことは、レバノン杉を代表に鬱蒼とした森林を切り開いていったことを意味します。その、経緯が「ギルガメッシュ叙事詩」なのです。これについては、たくさんの本がでていますが、この物語は森を破壊してはならない。森を破壊することで、自らの命も終わってしまう。フンババを殺すことで、痛い代償を受ける。その教訓だったのではないでしょうか。

しかし、メソポタミアは、地図を見れば分かりますが、非常に広いので山が荒れても、中流域や下流域の人には何が起こっているか分からなかったのでは、洪水伝説として、人間のおごりを描いているのがあるにもかかわらず、森林減少と、洪水の発生が連想しにくかったと思います。

ノアの箱船も農地拡大に伴う森林減少・保水力の低下の結果起きた事実が神話となって残ったのだと思います。そこには教訓は見いだせにくいですけど。その点、日本は、地形が急峻なので、子供ですら因果関係がはっきり認識できたのでは。

多分、度重なる洪水の時、メソポタミアの人々は、自然は、克服しなければならない。自然に勝とう、そんな思いがあったのではないでしょうか。「こんちくしょう」なんて思ったんでしょうね

旧約聖書の「地を従わせ」というのは、そんな思いが深層にあると思います。
わがままなガキを従わせようとしたする大人の心境なんでしょうかね(まるで幼児虐待)

日本は、逆に、自然を恐れ、奉ることによって災害を起きないように、山に木を植えたり、大事にすることが、素戔嗚尊のようなヒーローを生みだしたのでは。そんな気がしますが

森を壊していったヒーロー「ギルガメッシュ」と、荒廃した山の象徴である八岐大蛇を退治した「素戔嗚尊」。この辺に、思想の違いがあるのではないでしょうか。

みなさんはどう思いますか

森と神様