和歌山県    
  県木:ウバメガシ
Quercus phillyraeoides
県花:ウメ
Prunus mume
 
杜(森)の話    
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アグロフォレストリー
紀ノ川流域の中世の話
田んぼのまわりに木があるのですが、そこの樹種が、ヤシャブシやハンノキで構成されていたそうです。ヤシャブシ(Alnus firma)は、窒素固定をする植物。ハンノキ(Alnus japonica)も同様の窒素固定植物。

田んぼの一角にヤシャブシを植えて、その落ち葉を肥料に利用したり、農作業を休むための日陰として利用したそうです。

如何に、植物の特性を見る目を昔の人は持っていたか。すごいの一言です。


 
山の神の足 ハンノキ
花園村の話
お正月の初山入りで、山に入って木を切って持ち帰る風習があるのですが、このとき、ハンノキを切ってはいけないんだそうです。

「ハンノキは山の神さんの足だから、絶対に切るな」

その意図は、根に根粒菌があり、窒素固定をして地力を高めてくれるから。科学的な裏付けを昔の人は知っていたんですね。


超科学的な忌み木
忌み木
伐ってはいけない、伐ると祟りがそんな木のことを言います。山の人ですら枝さえ折らないそんな木があります。

普通は、異様な形の木。伐ろうとしたら怪我したとか、病気になった家族に不幸が等の話のある木なんですけど。理由をつけて変な木を切らないんです。

三つ又の木や東に最初の枝が出ている木。南北に幹が割れている木(通称ヒマタ、ヒドウシ)、枝が下がった木等々を忌み木として触ることすらしないんです。
なぜ触れないのかは、理解できないけれど、逆に理解できない物もあるというのを教えるという意味では、意義があるのかもしれません。異質だから、存在を否定してはいけませんからね。

所変わって、場所は吉野林業地帯。ここでは、生育が良く、真っ直ぐな木が忌み木。シメキとも呼ばれ、皆伐した跡にひっそり残っているんです。

でも、これは良い木を次の世代に伝えるという精英樹思想と一緒。最初に言い出したというか考えた人はすごいです。



谷岡漆芸店
http://village.infoweb.ne.jp/%7Etanioka/index.html
漆工房橋爪
http://www2.ocn.ne.jp/%7Eurushiyh/

http://www.ne.jp/asahi/fyn/urushi/
ウルシin和歌山
紀州漆器

黒江塗は、室町時代を起源に、鉄砲で有名な根来寺の僧が寺の什器に使用したのが根来塗で、13世紀後半に生まれたそうです。

主な産地は、海南市、和歌山市、美里町

江戸時代に入り、紀州藩の保護と豊富なヒノキを背景に日用品漆器の大産地として発展していきます。


ジゲ山・ムラヤマ
里に近いところの雑木や草場。普通は、入会山とか入会地と呼ばれるところ。熊野ではジゲ山とかムラヤマ呼んだそうです。

燃料になる薪や、田畑に入れる緑肥になるカシキやシダキ、牛の飼料、家の屋根をふくカヤなどを供給する場です。

カシキ(草木の若葉・新芽)を山で刈ることをカシキ刈りといい、春、山焼きをした後に生える若葉を利用。カシキ刈りの前日は村全部がお休み、そして、当日は早朝いっせいに刈りに行きます。生命力ある若葉のパワーを農地に鋤き込んでエネルギー注入。

また、室内の灯りに利用したのは樹脂のある松。コエマツ(肥松or脂松:アカマツの古木で樹脂を多く含んでいる部分)と呼ぶそうで、桃の節句の翌日から10日間、家族総出で1年分を切ってきます。このときのお弁当は桃の節句の時に作った餅だったとか。

コエマツを細かく咲いて割いて夜なべの時に燃やしたそうです。


熊野の焼畑
紀南地方の焼畑の話
大塔村の三川、富里地区で明治時代まで行われていたそうです。灌木の雑木林や造林地の伐採後の草木を焼きます。防火線をキリワリと呼ぶそうです。
6月の土用か、春に焼くそうで、焼いた後に大根(Raphanus sativus)やソバ(Fagopyrum esculentum)を蒔いて、さらにアワ(Setaria italica)、ヒエ(Echinochloa esculenta)、陸稲(Oryza sativa)、サトイモ(Colocasia esculenta)等を作ります。2年で栽培をやめ、3年目からはスギ(Cryptomeria japonica)やヒノキ(Chamaecyparis obtusa)を植栽。

シシヤライ小屋というのは、イノシシから畑を守るために見張りをする小屋のこと。「ホーイホイ、ホーイホイ」と一晩中叫ぶこともあったとか。
イノシシとの戦いは想像を絶する戦いだったようでシシガキと呼ばれる石垣、無数の落とし穴。シシオドシを畑のまわりに作っていました。今でも、廃村になった山奥の村にもその跡が見られるそうです。


熊野の山仕事
木の国とも言える熊野
その熊野での山仕事をちょっとまとめてみました。

クロキというのはモミ(Abies firma)、ツガ(Tsuga sieboldii)、トガサワラ(Pseudotsuga japonica)の大木をさします。木を伐ることをキリといい、伐採した木を角材にすることをハツリといいます。ちなみに、ハツリは熟練を要する仕事だったそうです。

ヨキ(斧みたい)という4キロもする道具で角材を作ります。
シュラ出しという一種のそうめん流し。伐採した木は、シュラと呼ばれる木の道が造られます。

トイのように細い木を集めて凹状にします。そこに切った大木を置けば、そうめん流しのように下に流れていく方法、ちょっとした滑り台です。もちろん、木用です。修羅、シュラ落としとも呼ばれていたんだそうです。

キウマひきと呼ばれる木馬(キウマと呼びます)。キウマ、キンマ、ウマと呼ぶ搬出方法で長さ3m、幅70pのはしご型。ウバメガシ(Quercus phillyraeoides)かオオガシ(アカガシ・オオバガシ:Quercus acuta)の木で出来ています。

木馬道は、数センチ間隔で横木を置きます。横木をバンギと呼んで、線路の枕木のように敷くのです。

ヒキカタと呼ばれる人が、バンギに油を差しながらキウマを綱でひきます。結構体力がいる仕事で、ブレーキもアクセルも体力のみ。時には牛にひかせたこともあったそうですが、人力がすべて、若い人の仕事だったそうで危険が伴い、時には命を落とすということもあったそうです。


墨工房「紀州松煙」
http://www.kishu-shoen.com/

ようこそ大熊小学校
http://www.aikis.or.jp/~ryu-sho/ookuma/
 あるたき子どんの話
 http://www.aikis.or.jp/~ryu-sho/ookuma/ryujin/takiko.htm



松煙たき
墨といえば、奈良県の産物として有名。でも、その材料は熊野から。

大塔村、中辺路町、本宮町などの山の中で行われたんです。龍神村の人たちが主な仕事人でしたが。

山の中に小屋を造り、松の樹枝を焚いて松煙をとって、墨の原料をせっせと作っていたんです。松の立木の幹を斧で傷つけて、樹脂を採ります。樹脂のことをハラマツと呼びます。それを細かく割って、窯で絶えず焚いて、和紙で出来た障子にススが付くようにします。そのススを集めて、踏み固めてたて紙に詰めるのです。500キロの薪から10キロの煤が取れるのだそうです。

基本的に男の仕事で、3人1組で山には入り、2人がハラマツを集め残りの一人が、焚き子をする仕事分担。結構、根気の要る仕事だそうです。

詳しいことは、隣のホームページをチェックしてください。


土地はやるけど木の実はやらない
昔の話
本宮と伏拝との間で土地問題が発生したときの話。伏拝側は、土地争いでは負けると判断。土地を本宮に譲るが、トチノキ(Aesculus turbinata)の実を採る権利だけは確保したとか。

飢饉に備えて、食糧を確保するのがいかに大変だったか。土地よりも木の実が大事という話でした。

熊野でのトチノミの処理方法は、山から拾ったトチノミを3日間ほど水につける。その後、むしろに広げて乾燥させます。そして保存

モチにする20日前から準備します。2日ほどぬるま湯につけ、柔らかくします。カシの木で作ったトチオシという道具で、皮を剥ぎます。木の実1升に灰1升(同一樹種の灰が良いとか)熱湯を注いで灰汁抜きに1週間ほど置きます。1日1回かき混ぜます。そして、きれいに洗って、1週間川の流れにつけます。

そして、蒸して搗いてモチにします。