栃木県  
  県木:トチノキ
Aesculus turbinata
県花:ヤシオツツジ
Rhododendron pentaphyllum
var. nikoense 
杜(森)の話    
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  雪が森を守る    市町村花見  
  ウルシin栃木      
  足尾銅山といえば その1      
         
         
         
         
         
         
雪が森を守る
日光の話
オオカミがいなくなったため、シカを補食する生き物が今いない世の中、シカの頭数をコントロールするのは雪。

大雪が降ると、シカが死んでしまうのです。足がつかえ移動しにくい、餌を探しに歩き回れないということで。悲しいけど、自然の摂理なんです。

シカが死んでくれないと、新芽が食べられて、次の木々が出てこないんです。

ある大雪の年に、環境保護団体の人がシカを助けたんです。可哀想ということで。
シカの頭数が増えたまま、山に帰したので、たくさんの稚樹が食べられたんです。林業にも大きな被害が出て、植林したところが全滅したケースもあります。

自然のことは、自然に任せる必要があると思います。
絶滅する種は別として、心を鬼にしないと・・・・・・
情緒も必要なのでしょうが大局を見ないと取り返しのつかないことに。鹿を守った人たちが林業家を救った話は聞いていません。本当に大切なのは、なんなんでしょうかね


 
ウルシin栃木
日光彫り&日光堆朱
日光東照宮の参拝者向けの土産品として発祥。

日光彫は、宮大工の和平が彫刻の修理の時、取りはずしのできない場所のために考案した「ひっかき刃」から名付けられたといわれています。

刃物を叩いて曲げて前に挽いて彫る「ひっかき刃」は日光独特の技法として有名。

木彫の上に朱漆を塗り、透き漆を塗ってから研ぎ出し、立体感があるのが特徴
足尾銅山といえば その1 
足尾銅山といえば、日本有数の銅山
1610年(慶長15年)に地元の農民、治部と内蔵によって発見され、翌年には幕府の直轄に。上野寛永寺、芝増上寺、江戸城に用いられ、1683年を境に、1821年(文政4年)まで生産され尽くされました。

時代が変わり、明治にはいると、ヨーロッパの技術で新鉱脈の発見と共に産出量を増やしていくとともに精錬用燃材、鉱山用材に森林が無くなっていきました。

1884年(明治17年)には山林が禿げ山に
1887年(明治20年)に祭りの際の失火から山火事に
1890年(明治23年)の以上洪水の結果
田中正造による「足尾銅山鉱毒加害の義に付質問書」が国会に提出され、詳細は小学校で習ったとおり。

1893年(明治26年)に会社が採用したベッセマー精錬法が亜硫酸ガスを大量に放出し、近辺の植生を壊滅。

あまりのひどさに、1897年(明治30年)に当時の東京大林区署が2380ヘクタールにヒノキを植栽。砂防工事を10カ所以上行って、復旧事業が始まるがほとんど成果のないまま、1947年(昭和22年)に前橋営林署に管轄がかわると、煙害の少ないところから荒廃地復旧を始めていきました。

土を背をって、岩肌に土留めをしながら木を植えるという気の長くなるような事業を延々続けていき、ヘリコプターによる空中播種が行われるまで。田中正造の功績のみが紹介されている教科書の影で林野庁を初め、栃木県の林業部門、建設省(国土交通省)の渡良瀬川工事事務所が、手を取り合って洪水防止に取り組んでします。
思川桜
小山市原産の桜
花弁は10片ほどの半八重咲き