島根県  
  県木:クロマツ
Pinus thunbergii
県花:ボタン
Paeonia saffruticosa
 
杜(森)の話    
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  築地松(ついじまつ)とは    漁師の恨み歌   
  漁場の発見は、山を見て      
  いくさが運んだ柿      
  松江城の松騒動      
  隠岐島の焼き畑      
  鉄山は炭焼きの場所      
  山仕事のお茶は      
  出雲大社と素戔嗚尊と進木じゃなくて杉      
  3本の矢だけではない松江城の柱      
  1月20日

     
築地松(ついじまつ)とは、
 山陰一の米所出雲平野の農家の防風林。クロマツ(Pinus thunbergii)で構成されています。一気に駆け抜けるシベリアからの風を避けるための郷土の知恵。そのため、県の木にも指定されています。

 これを維持するために、家によっては借金して、維持費を捻出するそうです。

 築地松を守って、家傾く。
 そんな家がないわけでもないそうで、機能より、景観というか見栄に傾いていますね。

 築地松の築地とは、文字通り、土を盛る土塁のことだったそうです。

 元々湿地帯だったために土を盛ってから松を植えたとか。 それで、築地の松=築地松。斐伊川の洪水で家が流されないように、土台を強化したという話。大きな目的は、風よけ、中ぐらいな目的が洪水対策。そして、平野ということで薪の供給源。そんな目的があったそうです。
 ただ、松を植えたのは、平地の方で、江戸末期から明治時代の頃からだそうです。背戸時代の初めの方では、山麓付近で、湿地の方には、タブノキを植え、スダジイを山手に植えていたそうです。東北部に竹を植え、洪水対策をしていました。モチノキやヤブニッケイも植栽されていました。

 この後、人の進出ともに、平野部では、クロマツが追加されるのです。さらに、クロマツだけが残り、今に至っています。

 








 
漁場の発見は、山を見て
 山アテ法という伝統的な漁場発見手段の話です。島根県の軽尾漁民の持っていた唯一の漁場発見方法です。
 沖から山を見て、場所を特定する方法で、漁師は海上から 陸地の風景を見て前後に重なる山から南北方向を定めるのです。そして沖に出ます。東西方向も同様にして、山を見ながら漁場に進んで漁をするんです。

 山アテの書かれている地図を山立図と呼んで、魚礁と山の方角が書き込まれていたんです。魚群探知機がなかった頃の話ですけど。

 山のほかにも海岸の松林や神社の鎮守の森を目印にしていたそうで、老練な漁師は一度に5方向の山立図を記憶していたそうです。


いくさが運んだ柿
 西条柿(Diospyros kaki)
 島根県を代表する農産物の一つ。渋柿なのにドライアイスを用いて渋を抜くという手法で糖化の高い柿として有名。この柿、500年生の柿の木からも収穫が行われているのです。

 元々、広島の西条が出身といわれるこの柿。毛利対尼子の戦いで島根に移ったそうです。

 柿は干し柿
 そして、戦争の常備食。腰につるして、食べては種をポイ、ポイ捨てたんですね。その種が、今の柿の古木になったそうで、軍事拠点に今も柿の木が残っています。

 干し柿は、柿小屋で作製します。干し柿専用の工場というよりは、干し場を持っています。





このカキノキは、幹まわり3.2m
樹冠面積300m
1本あたりの収穫量450キロ







松江城のマツ騒動
 松江城であった擦った揉んだのマツ話
 木が長い年月生きます。当たり前です。木が大きくなると根も大きくなります。すると、石垣のソバにあるマツは石垣の間に根が浸透して、根が大きくなり、石垣を壊してしまうのです。

 すると、石垣の下を歩いている人にガツンと・・・

 こんな事態は避けるべき松江市のとった行動は・・・・・

 石垣の修繕の時にマツを取り除いたのですが、このマツを残せという運動があったそうです。風景がいいからかどうか分からないけど、観光のためには、マツを残すより、石垣が崩壊する可能性の高いマツを切ることが、よっぽど理にかなっているといえるのに。

 城はマツのためにあるのではなく、石垣あっての城という前提を知らなかったのでしょうか。平和馬鹿は周りを見ることが出来ないので扱いが大変です。

 木が生長すると元々の風景と異なるんですよね。だから、時には伐ったり、植え替えたり、更新しないとね。

隠岐島の焼き畑
 隠岐の焼き畑とは、山を焼くのではなく、牛や馬を放してその糞尿で土地を肥やすというちょっと変わった土地利用の方法。土地を4つ分けて利用するという形態。

 放牧、ムギ、大豆&アズキ、アワという順や、また、粟山(アワ、ヒエ)→空無山(大豆、アズキ)→秋山(放牧、麦)→麦山(麦)というサイクルもありました。毎年土地を移動しながら循環した利用をずっと行ってきたんです。

 今はもうないそうですが、ヨーロッパの3圃作と似ていますね。ちなみに、沖の島では畑をヤマと呼んでいたそうです。


鉄山は炭焼きの場所
 鉄を掘り出す山を普通、鉄山と呼びますが、出雲では、タタラで使う炭材を産出する山を鉄山と呼びます。

 炭の材料は、アカマツで火力が強いので、タタラ製鉄には不可欠、1サイクル30年という時間をかけて炭を生産しました。


山仕事のお茶は
 山仕事の時のお茶しようは、谷川の水を汲んで笹の葉を煮出した飲み物。
 これ以外には、フジの葉、アケビの葉、グミの葉、アサイドリの葉を飲んでいたとか

 ちなみに、漁村(海岸)ではカワラケツメイ(Chamaecrista nomame)の葉を煎じて飲むんだそうです。カアカ茶、コネモリ茶、ハマ茶とも呼ばれていたそうです。


出雲大社と素戔嗚尊と進木じゃなくて杉
 植林の神さまでもある素戔嗚尊の体から生まれたもの。ヒゲが杉、この他にも、胸毛がヒノキ、眉毛がクス、尻毛がマキです。

 その中の一つ真っ直ぐ、脇目もふらず成長するので、進木(ススキ)と呼ばれたスギ(Cryptomeria japonica)。

 最初、出雲大社は、低地にあったので、海水が来ても腐らない木ということでスギの木が利用されたのだそうです。そして、真っ直ぐというもの、神殿に利用された理由の一つだそうです。

 素戔嗚尊の毛から木が出来たと言うことで、木のないところを不毛の地と呼ぶんだそうです。


3本の矢だけではない松江城の柱
 毛利家の家訓が3本の矢
 3人で力を合わせれば・・・・・・・

 でも松江城には、もっとたくさん集まって松江城を支えているんです。矢ではないけど、柱なんですが

 慶長16年(1611年)に、出雲の領主であった堀尾茂助吉晴が5年をかけて築城します。このときの天守閣の柱が、寄木柱と呼ばれるマツの板を寄せ合わせて、その周囲を金具で締め付けて一本の柱に。力学的にも強いのです。構造材と呼べれるものです。

ちなみに、この松江城の階段は桐の木で出来ています。燃えにくい性質と腐らない性質を利用してです。木の特性を活かして城が造られているんですね

あなたの家はどうですか?






松江城
http://www.matsue-tourism.or.jp/m_castle/


1月20日
 ここでは、焼き畑にまつわる風習を紹介します。
 麦と結びつきがあるのが特徴です。

@マツくぶし
 沖の島で行われている風習。
 1月20日を山の神さまの日としており、この日には山からマツを採ってきて燻ります。山から福の神が来るからだそうです。これをマツくぶしといい、島後で行われています。島前は、山頂にある焼火神社に詣でて、麦酒(ビールじゃない)を神仏に供えて、その後酔っぱらうそうです。

 まあ、畑を肥やす落ち葉や水は山から来ますからね。山の神に感謝するのは当たり前のことなんでしょうね

A島根町
 この町では山には入らないんです。
 理由は、山の神が木を数えているから。そんなときに神さまに遭遇すると、数え直さないといけなくなるからか、災いがあるとのこと。
 山盛りの麦飯を歳神に供えるそうです。ツギハギして出来た綿入れ「ドンザ」を着て、麦畑で「ヤレ腹太や背ご割れや」と唱えて転がるんだそうです。