埼玉県  
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Zelkova serrata
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Primula sieboldii
 
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森の南限と北限
秩父周辺の森林は、北限と南限に位置しているため、暖帯の植生から亜寒帯の植生まで見ることが出来ます。

標高350mまでは、暖温帯。占有種は、シラカシやアラカシ等の照葉樹です。

標高650mまでは、尾根には、モミや、ツガが、斜面は、ケヤキ、シデ等の混交林です。

標高1600mまでは、ブナ、イヌブナ、水なら、カエデなどの落葉広葉樹です。

1600mを超えると、亜高山帯となり、コメツガ林、シラビソ林になります。


(1987:永野)


東京大学の演習林の西側に位置する国有林(秩父市大滝地区)での植生結果では、

ソハヤキ地区の植生は、チチブホラゴケ、ナンゴクミネカエデ、イトマキイタヤ、ギンバイソウ、テバコモミジガサ、チチブドウダンがあります。
フォッサマグナ地区の植生は、オオヤマコウモリ、ミヤマヒゴタイ、カイタカラコウ、ヤハズヒゴタイ、サクライウズ、シナノキイチゴ、ヒメスミレサイシン、ウラハグサがあります。
日本海地区の植生は、オサバグサ、タヌキラン、チシマネコノメがあります。
北海道地区の植生として、ミヤマスミレ、ウスバスミレ、ホソヅルリンドウ、ヒラギシスゲがあります。

また、本州の山地に住んでいる固有のほ乳類の大部分が生息しています。15科28種とのこと。鳥類は、29科84種、両生類は3科5種、は虫類は、2科3種、魚類はサケ科のイワナの1種だそうです。

甲武信岳の周辺で調査結果であり、荒川、千曲川、笛吹川の源流に当たるとこです。




秩父山地荒川上流の北斜面の植生パターン(高杉1971)

S:低木林
AV:山頂シラビソ林
A-B:亜高山帯シラビソ林
AM:渓畔オオシラビソ林
T:A-BとTDの移行帯
Th-Pn:ネズコ・キタゴヨウ・コメツガ林
TD:コメツガ林
EM:亜高山帯と山地帯の雑移混交林
PcB・AH:イラモミ・ウラジロモミの分布
LL:河谷カラマツ林
CP:サワラ林
PR:サワグルミ林
CO:ヒノキ林
TS:ツガ林
FJ-FC:ブナ林
FS:シオジ林
AF:モミ林
 
朝はお茶
朝にお茶を飲むと、魔除けになります。その理由は、昔々、多峯主山(とおのすやま)の樵が、大蛇から身を守ったことでした。

樵が木を伐るときに、美しい娘がいつもやってきたそうです。実は、その美しい娘は、大蛇の化身。隙を見ては、その樵を食べようとしていたそうです。しかし、いつもより遅く仕事を始めた樵に、美しい娘は、「今日はどうして遅れたの?」と、問うたそうです。
樵曰く、「朝茶を飲んできたので」。しかし、美しい娘には、「朝、じゃを飲んできたので」と聞こえたそうです。樵の返事が終わるやいなや、その場から消えたとのこと。

朝に、一杯のお茶は、心を落ち着かせる効果があるので、事故に遭わないための昔の知恵かもしれません。

樵がお茶を飲むというのは、贅沢では無かったと言うことなんでしょうかね。

5大桜の一つ石戸蒲ザクラ
樹齢800年ということで、大正11年(1922)10月12日に国の指定を受けた天然紀念物。

昭和40年代に、樹勢が落ち、花も咲かなくなるのですが、木の周りの板石塔婆を移し、土壌改良などを行った結果、再び花を咲かすまでに回復しています。

石戸蒲ザクラの由来は、蒲冠者(かばのかじゃ)、蒲殿(かばどの)と呼ばれていた源頼朝の異母弟であった源範頼(みなもとののりより)が、石戸宿に逃げ隠れて生き延びたという伝説にちなんでいるとのこと。義経とは、異母兄になります。
蒲は、遠江国蒲御厨で生まれ育ったからということ。

平家討伐、鎌倉幕府の設立に尽力するのですが、人格的に駄目人間(猫疑心)の源頼朝のせいで、静岡県伊豆市修善寺の修禅寺(しゅぜんじ)で建久4年(1193年)8月17日に、殺されたこと(自刃したとも)になっているのですが、越前へ落ち延びたとか、武蔵国横見郡吉見(埼玉県比企郡吉見町)の安楽寺吉見観音に逃れたとかの説があります。

言い伝えでは、吉見に逃げてきたときに、植えた桜、突いた杖から生えた桜?となっています。正治2年(1200年)に石戸で没したとのこと。根元にあるお墓が、源範頼のものともいわれています。

なお、石戸蒲ザクラは、エドヒガンとヤマザクラの自然交配による品種とのこと。学名をPrunus “Kabazakura”となります。この木しかなかったのですが、クローンが北本市内に植栽されています。


ちなみに、五大桜とは、
石戸蒲ザクラ(埼玉県北本市)
三春滝桜(福島県田村郡三春町)
山高神代桜(山梨県北杜市)
狩宿の下馬ザクラor駒止めの桜(静岡県富士宮市)
根尾谷の淡墨桜(岐阜県本巣市)
です。




【行き方】
JR北本駅西口
西口バス停で、「北里大学メディカルセンター・石戸蒲ザクラ入り口」に乗車。
時刻表は、川越観光自動車で確認。
終点の「石戸蒲ザクラ入り口」で下車。
東光寺にて「石戸蒲ザクラ」鑑賞。
その後、後ろの緑道に行き、「一夜堤」を通って、「桜土手」にて、「ソメイヨシノ」の観賞。
その後、「北本自然観察公園」の「埼玉県自然学習センター」で、お勉強。
帰りは、ここからバスが出ているので、「自然観察公園前」から、北本駅行きに乗ります。

石戸蒲ザクラ入り口→北本駅(1時間に1本程度)
北里大学メディカルセンター→北本駅(1時間に4〜5本)


埼玉県自然学習センター


筏師と飯能銘菓
飯能銘菓に、「四里餅」「味噌付け饅頭」等があります。これは、西川材を江戸(東京)に運ぶための筏師の食べ物として、生まれたとのこと。

尻餅をつかなかったから、四里餅ではなく、名栗川の急流部分の4里を尻餅付かずに乗り切っていた筏師に対し、4里も運んだことを意味して四里餅になったそうです。
味噌付け饅頭は、さらに、江戸間で木材を運ぶ際の食糧として、塩分のある味噌を付けて、熱中症対策&防腐効果を兼ねた食べ物だったとのこと。味噌の効用を最大限活用した食べ物だったのです。

入間川上流から飯能までは、1人で、丸太1〜2本
名栗から飯能までは、山川(やまっかわ)といったそうです。
飯能から荒川の合流付近までは、1人で4〜12本
荒川から木場まで、1人の場合8〜12本、
            2人の場合、24本
5日で運んだそうです。

江戸の町に煙が上がれば、木材を売る絶好の好機。西川林業が栄えた背景には、大市場の江戸と、運搬する筏師、そして、それを食で支える団子屋の存在がありました。

大正4年(1915年)に武蔵野鉄道が出来ると、筏流しからトラック輸送と鉄道輸送となり、筏流しに幕を下ろします。ただし、食べ物だけは、筏師が食べる量とは生きませんが、普通の人が食べられる大きさになって、今も生き続けています。

なお、埼玉を代表する銘菓、十万石饅頭は、忍藩十万石の饅頭であって、西川10万石の木材とは、関係ありません。