佐賀県    
  県木:クス
Cinnamomum camphora
県花:クスの花
Cinnamomum camphora
 
森を作った人・守った人    
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  寺沢志摩守広高
成富兵庫茂安
奥東江
     
               
寺沢志摩守広高 
初代唐津藩の藩主、「虹ノ松原」(二里の松原)、別名「二里の松原」。(長さが8キロということから)を作った人

関ヶ原の合戦では徳川側につき、将来を約束された外様大名になるはずだったのに、所領であった天草で島原の乱が起こり、その影響で2代目寺沢堅高が減封や度重なる出費のため、心労によって自殺し、家名が途絶えるのですが、偉大な業績はずっと残っています。

今から約400年前、唐津湾の海岸の砂丘に防風・防潮のため、クロ松の植林を行いました。クロ松の特性に注目し、やせた土地に植林し、海岸を緑化したため、唐津藩の収入に大きく貢献してきた。

彼は、松を守るというより防風・防潮林を守るために、気に入った松7本を切ると死罪にするというおふれを出し燃料にするには非常に火力の強い松を住民から守ったのです。
 
今日の煮炊きのための燃料か、長い目で見た農作物の安定した収量の確保か 厳しい達しを出さないと守れなかったとはいえ今日まで残っているのは、すばらしいことです。

筑肥線で唐津に行く途中で見られます。


 
成富兵庫茂安
筑後川の洪水を防ぐために作られた堤防「千栗堤防」を作った人。完成までに12年費やしたといわれ、寛永年間に築造。佐賀藩の人です。この堤防には、川に面しているところ(水当たりの強い東側)にタケを、土居(堤防)の裏側(水当たりの弱い西側)にスギを植えています。
タケは、水の勢いをゆるめ、タケの根が堤防を強くし、スギは、万が一のための水防用材として利用するために植林しています。

ちなみに洪水であふれ出た土砂。流木や岩などは水防林で食い止められます。ふるいの役目をしたんです。

そして田圃には、豊かな土が客土になったんだそうです。福岡県大和町の嘉瀬川の尼寺林も彼の業績


土木のイメージアップ連絡協議会
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奥東江
もともとは、滋賀県生まれの医者だったのですが、土井利益が、唐津藩主になったときに、藩医兼儒官として、唐津に来ます。本名は、奥清兵衛ですが、奥東江が有名です。

土井利益は、3万石の鳥羽藩主だったのですが、近江国に飛び地を持っていて、その時に召し抱えたとのこと。
藩内を巡回しているときに、小口村に素晴らしい人がいると聞きつけ、自ら出向き、頭を下げて、藩の運営に力を貸してくれと頼んだとのこと。

そして、机上の学問では無く、実学の学問として、郡奉行に任命します。このため、郡奉行として領民のための政治を行うのです。一例として、

・元禄10年の大飢饉の時に、藩米を供出し飢えから領民を救う
・赤子の間引きを禁じ、困窮者に赤子手当米を支給
・放火犯は、一族死罪が一般的な中、死罪にするのでは無く、諭して放免した。

等数え切れない事をしました。

その中の一つに、貧しく薪や炭が購入できない者に対し、藩有林を解放します。好きなだけ採っていいぞと。しかし、その代わりに植林をさせます。Give and Takeです。排除するだけでは無いのです。貧しいから罪を犯さないと生きていけない。そんな人々を救ったのです。

その後、江戸に転勤になるのですが、わずか7年間の唐津での働きとはいえ、領民は、涙を流して別れを惜しんだそうです。宝永元年(1704年)に永眠します。その時、恩のある唐津城に向いて、頭を下げて息を引き取ったそうです。
一説には、江戸に向いて頭を下げたもあるのですが。