熊本県  
  県木:クスノキ
Cinnamomum camphora
県花:リンドウ
Gentiana triflora
 
森を作った人・守った人   
杜(森)の話
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  光永平蔵・直治
橋本武次郎・北里栄喜
     
          
針葉樹の林は保水力がない。広葉樹でないとダメと言うことを言う人は無知であることを晒しているんです。 いかに、エセ環境保護団体や評論家が多いというか
吉無田水源の森を作った人々
光永平蔵・直治

水不足に悩んでいた肥後細川藩の御船町は、このままでは、干涸らびてしまうと言うことで文化12年(1815年)から弘化4年(1847年)にかけて約250万本ものスギを800ヘクタールの一面の草原に植林しました。その後、慶応3年(1867年)まで、植林が続いたそうです。
 
このときの旗振り役が、木倉郷の庄屋の光永平蔵(木倉手永惣庄屋)。後半の慶応3年までのが息子の直治の事業。
地元の基本財産の造成と、水源の確保ということで藩に許可を取り、生産した際の木材を売ったときの利益の1/3が、地元に落ちるような分収造林2官1民とシステムで植栽を行ったのです。
このときは、スギの挿し穂だったそうで、クローン植林。村の人総出で、管理運営していました。今は林野庁が管理しています。

藩政時代の植林ということで旧藩木と呼ばれ、学術的価値も持っています。九州内でも希少なものとして

その
おかげで、御船町まで引かれていた用水路が枯れることなく農業が出来るようになったそうです。この水は、八勢川に注ぎ、人々の生活を支えたとのことで平成6年に起きた渇水の時でさえ、ここは枯れなかったそうです。どのくらい木があれば、保水力を持つのか知りたいけれど上流に木があると無いとでは、生活の安心度は違うのでしょうね


今、針葉樹バッシング(特にスギ)が国内で起きています。スギの人工林は、保水力がないということを平気で書いてある本があります。果たして、スギは保水力がないのでしょうか。この話は、そんなことは無いという証ではないでしょうか

 
橋本武次郎・北里栄喜・北里惟倫
橋本武次郎は、北里大学を本当の意味で作った人です。よく知られているのは、小国林業を作った人。明治2年(1869年)7月19日に、小国町で生まれ、昭和16年(1941年)10月20日没。

明治23年(1890年)に、似た気候である和歌山県の吉野杉の造林地を訪問します。その時、見聞した結果、九州で最初に実生によるスギの造林を九州では一番最初に実施しました。一般には、「吉野式実生苗密植造林方法」と呼ばれています。

日清戦争後、事業が失敗した北里柴三郎の両親を支えたとのこと。