兵庫県    
  県木:クスノキ
Cinnamomum camphora
県花:ノジギク
Chrysanthemum japonense 
杜(森)の話    
杜(森)の話
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  慶野松原    松の葉で製塩   
  地震に強い屋敷林      
  六甲山に木を植えた歴史      
  柳行李と杉森神社      
  泥棒の前に松の木で      
  お殿様の松茸狩り      
  松はダメ      
  日本一古いオリーブの木      
  300年のアロエ
一晩で丸裸、その後アカマツ林に

 
     
慶野松原
淡路島にある立派なマツ林
日本3大松林の一つ


 
地震に強い屋敷林
屋敷林といえば、暴風、防火を連想します。
実際その役目をするのですが、それ以外にも

阪神淡路大震災
このとき、屋敷林の果たしたことの一つに家を守るというのがありました。もし屋敷林がなければ、倒壊し、ペッシャンコ。しかし、屋敷林のお陰で、引っ掛かった状態で倒壊せずに、家族を守ったとか

また、火事から家をというより、家財を守ったそんな報告もあります。

屋敷林のない家が沢山あります
ちょっと、屋敷林を見直してみませんか

六甲山に木を植えた歴史
六甲山といえば、神戸市の背後にそびえる山
この山は明治の頃までは、荒れた禿げ山だったとか

1938年(昭和13年)に起きた豪雨で死者1400人も出す大惨事があったんです。
この遠い原因が豊臣秀吉
大阪城築城の際、六甲山から石材を採ったんです。
このために、森が切られ、禿げ山になったとのこと
1904年(明治37年)には、再度山で植林が始まり、山を階段状に削って、ヒメヤシャブシ、マツ、ハンノキを1本1本植えていきました。
そして、至る所に治山ダムを造っているんです。

ハイキングに行くと、よくイノシシの親子に会いますが、この植林の効果が現れるのは、1970年代になってから
実に60年はかかってんですね。

小学校の時、そんな話は習わなかったですね。
戦後日本を襲った、ジェーン台風やキャサリン台風。六甲山で、沢山の犠牲を出したということの話ばかりで天井川についての説明があったぐらいですか。今はどうなんですかね


















国土交通省近畿地方整備局六甲砂防工事事務所
http://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/




柳行李と杉森神社
豊岡の名産の一つが柳行李。
但馬の国を開いたといわれる新羅の王子 天日槍命(あまのひびこのみこと)が伝えたともいわれる柳行李(やなぎごおり)、昔は骨柳とかいわれ、奈良時代から作られていたとか。大々的になったのは戦国時代から宮部継潤の地域活性からこの地域に非常に貢献しているコリヤナギを感謝の意味を込めて奉っているのが杉森神社。

ここに柳の宮があって8月のはじめに柳祭りといってヤナギに感謝する祭りがあるそうです。


泥棒の前に松の木で
神戸市須磨地区にあった本当の話?
盗みも立派な行為?
須磨の海岸にあった松の木の根っこにある空洞を触れずにくぐれたら、OK。そして今夜は盗み決行
ちょっとでも触れると、NG
盗みは次の機会に

盗みの成功を松の根っこで判断するとは

ハンガリーネタにも泥棒ネタがありますけど
悪さする前に
木の力?、気の持ちよう?
何なんでしょうかね


お殿様の松茸狩り
たけがり
まったけのことをタケと呼んでいたとか

松茸の産地として有名なのが丹波篠山

江戸時代の篠山藩ではお殿様の秋の大切な行事。御山手代という役人が山を見回って松茸の育ち具合をチェック
盗掘者は死罪?
平安時代は松茸狩りそのものが秋の山遊びという貴族のレジャーだったんです。それが武士の世にも広まって殿様の遊びになったんです。


松はダメ
神戸を代表する神社の一つ、三宮にある生田神社
ここでは、松の木は御法度。嫌われ者。
その理由は、布引の滝付近の砂山(いさごやま)にあった頃の話。砂山の松林は、海上交通にとって重要な標識であった目印山。そんな重要な森だったので、神社にしたのか、神社だったから杜として残って、交通案内に利用されたのかは不明ですが。
なんと、延暦18年(799年)4月9日に大洪水が発生。前日までの長雨で地盤がぐらぐら。そのせいか、松の木が倒れて社殿をつぶしてしまったとか。一説には、松の木が社殿を守らなかったので役に立たぬ木というレッテルを貼られたからとか。
それ以来、松の木は嫌われ、能や狂言の奉納の舞台には、普通ならあるはずの松の絵は無し。
松がダメということで、杉の木が代理をつとめています。だからお正月といえば門松なのですが、門杉ではなく杉盛りをたてます。

砂山というところにあった生田神社が今の場所に移ったのは、長雨でご神体を心配した刀根七太夫という者が安全な場所に移すために背負って、砂山から逃げ出 したんだそうです。危機一髪で、ご神体のいなくなった社殿は倒れてきた松の木でグシャ。社殿が無くなって、どこに置こうかとうろうろしているうちに、ご神 体が急に重たくなったそうです。そこが今の生田神社の場所です。

ちなみに境内にはクスノキで溢れています。







生田神社
http://www.ikutajinja.or.jp/





楠木公様、日本初ではありません。お許しください。
ちょっと看板に偽りありなんですけど(^^;

湊川神社
http://www.minatogawajinja.or.jp/




日本一古いオリーブの木
オリーブといえば、小豆島ではなく神戸。
明治11年(1878年)パリ万国博覧会の時に、日本館の館長(事務局次長?)であった前田正名(まさな)が持ち帰ったものというもの。フランス農業を研 究するために留学(明治2年から明治9年まで)し、そこで実践的技術を身につけ、三田育種場の創設に貢献したんです。佐野常民(日本赤十字を作った人)、 松方正義(総理大臣)等の後押しもあったそうです。

今まで使われてこなかった荒れ地で農業するには、従来の作物ではダメ。山村の振興を考えると新しい作物が必要。ということでブドウを導入することになるん です。そのための留学という側面が強いかも。洋なしやプラム、リンゴ等、様々な果樹もこの時に入ってきて、試験場で研究するとともに、農家の力(ボラン ティア)を借りて品種改良に努めたんです。「農務顛末」という書物に色々書いてあります。

フランス行って持ち帰ったので、フランス産、それとも隣の国のイタリア産かは不明ですが、2000本ほど持ち帰って神戸の三宮に植えたんです。神戸阿利襪園こと、神戸オリーブ園です。元々は三田育種場の付属植物園だったんですが、農務省直轄になるんです。
日本の温暖地方(四国や九州)に適した有用作物として、レモン、ユー力リ、ゴム、オリーブなどが日本にあるかどうかを調べるためだったんです。

ここ神戸駅前の湊川神社と、加古川市の宝蔵寺にその痕跡を見ることができます。きっと奉納と言うことだったんでしょう。

ちなみに小豆島のオリーブはアメリカから導入です。そして、1860年にフランスから来た苗木にオリーブがあって横須賀に林洞海(医者)が植えたのが、日本初だそうです。オランダ医学でオリーブオイルを使っていたからでしょうかね。
300年のアロエ
兵庫県立淡路夢舞台温室奇跡の星の植物館で見られる様々な植物の一つ。多分、他では見られない?
植物園としてみるには、ちょっとガックリですが、それでも物珍しい植物が見られる施設です。

ここにあるアロエ・ディコトマ(Aloe dichotoma)と呼ばれるアロエは、一見の価値有りです。原産地はナミビア、南アフリカのナマカランドと呼ばれる地域に自生しており、日本に運んできたときのデータでは、茎幹の直径が1m、重量1.5トンで、樹齢が300年以上らしい。看板には、若い蕾は食用で味はアスパラガス。茎は矢筒に利用。枯れてしまった幹は、繊維質が豊富にあるので、外温との差を遮断する機能があるようで、食料や水の貯蔵庫として、天然の冷蔵庫という紹介がありました。


12月にレモン色の花が咲きます。




見る価値はあります。

兵庫県立淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館
〒 656-2306
兵庫県淡路市夢舞台4番地
電話:0799-74-1200
Fax:0799-74-1201
■開館時間 10:00〜18:00 (最終入館:17:30分)
■休館日 7月・11月の第2木曜日
http://www.kisekinohoshi.jp/



一晩で丸裸、その後アカマツ林に
盗伐の恐ろしさは、山から木がなくなることです。
姫路にある圓教寺で有名な書写山は、明治初年に、盗伐に合いました。それまで、シイ、ツバキ、ヒノキなどで構成された混交林だったのですが、一晩で丸裸に。
その後、赤松の森林になるのです。

本多静六の唱えた「赤松亡国論」は、赤松が悪いイメージがつくのですが、はげ山だった場所が、明治維新後、色々な規制をかける中で、アカマツが進入し、日に日にではなく、年々、アカマツが増えてきたことに驚いたためだったのかもしれません。

しかし、何をもって、盗伐したんでしょうかね。寺憎さなのか、嫌がらせ、ねたみ???。でも、一山丸裸とは、大胆ですね。