岐阜県    
  県木:イチイ
Taxus cuspidata
県花:レンゲソウ
Astragalus sinicus
 
杜(森)の話    
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悲しすぎる松林
千本松原
多分、日本一悲しい松林ではないでしょうか。岐阜県と鹿児島県は姉妹県だそうで、そのきっかけは長良川と揖斐川の洪水

薩摩藩が、江戸幕府の命令で、行った宝暦治水工事。当初予算の4倍を費やし、51名の割腹自殺、33名の病死と人材を失いながら、総奉行の平田勒負正輔の切腹で幕がおりた一連の治水工事

多くの薩摩藩士の血を吸った堤に、帰国する薩摩藩士によって植えられた松林。長良川と揖斐川の背割堤に植えられている松林です。水防林の機能があるとはいえ、あまりにも悲しい話です。



さらに詳しいことはこちらへ

薩摩義士
http://www.mirai.ne.jp/~tuyoshi/

薩摩義士顕彰館
http://www.mirai.ne.jp/~wakita/

木曽三川
http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/


 
飛騨地方のワラビ取り
食用及び糊の原料として利用されるワラビ粉の一大産地であったんだそうです。ワラビ(Pteridium aquilinum)を採取するため、集落からかなり離れた山の斜面に火入れをして常に草地にしていました。
採取方法は
(1)鎌を用いてシダを刈る
(2)ワラビ根採取用の唐鍬「トングワ」を用いて上層の芝を取り除く。
(3)斜面の直角に縦70p、横5mの採取域を設けて、その周りに細い溝を掘り地下20p位のところの地下茎を切る。
(4)三本歯の鍬(マングワ)を使って、芝をはぐように掘り起こす。
(5)選別し、土を払い落とす。
これを繰り返し行い、1日(6時間)で40平方メートルで60キロほど収穫したそうです。

蕨のための斜面を蕨野とよぶ。

高山市朝日村では、雪解けの春と、雪が降る前の寒い時期の女性の重労働で、このときに取るデンプンは、「花」と呼ばれて、上物は「白花」、不純物の混じる物は「黒花」といったそうです。黴びない、腐らないということと、米が取れない山村では貴重な食料だったんです。そして、この地では、弘法大師が、ワラで野を焼いて出てきた植物の根を掘って粉を食べると良いといったそうです。

加納傘(美濃傘)の糊もワラビ粉から作ったそうです。


トイレットツリー
飛騨高山の話
トイレットペーパー代わりに木を使っていたんです。主な木は、サワラ(Chamaecyparis pisifera)、モミ(Abies firma)、ネズ(Thuja standishii)、スギ(Cryptomeria japonica)を幅1.5cm、長さ9〜18cmの薄く切った板を利用したそうで す。便坪に落とすと腐りにくいので怒られたそうで、シャギステバという家の藪や、桑畑、川に捨てたそうです。

川に捨てられたシャギは、下流の平野の人々の燃料になったそうです。材を割るのは年寄りの仕事でした。

木以外でも麻殻、スクベ、ウツギ、クズ、フキ、トチ、ヤマソ、カクマ等の葉っぱも利用したそうで・・・・

上流から流れてくる薄い木の板に注意しましょう!


スエキドチ
神通川上流の話
嫁ぐ娘に、山の中の1本のトチノキ(Aesculus turbinata)の権利を与えたそうです。木の権利、栃の実を採る権利です。

ちなみに、1本のトチノキは少なくとも、200年は栃の実を提供するそうです。

広葉樹の植林は難しいということなのか、伐ることを防ぐだけで積極的な植林はしていないのは、豊富にあったんですかね


イヌサンショウで灯り
サンショウ(Zanthoxylum piperitum)と違って葉の香りがよくないから犬という名のイヌザンショ(Zanthoxylum schinifolium or Fagara schinifolium)。棘が並んでいるのがサンショ、バラバラがイヌザンショ

木曽の山村では、この種を絞った油を神仏の灯火用として利用したそうです。


飛騨桐
焼畑しながら桐を育てた大野郡丹生村の話
焼畑した後にキリ(Paulownia tomentosa)とハンノキ(Alnus japonica)を植栽するんです。最初の年に、ヒエ、次にダイズか、小豆、3年目にソバかアワを植えて放棄します。2年目に桐の苗をha当たり400から500本植えて、間に山から持ってきた天然のハンノキを植えます。
ハンノキが足りないときはミズキ(Swida controversa)を代用したそうです。
16〜20年後に伐採し、その後火を入れまた農作業
桐は切り株から芽が出るので、ぼう芽をうまく選別して桐を育てます。

ハンノキは地力回復に必要な根粒菌を持っていて、自然植生による地力回復より早く地力を肥やします。そして、桐の収穫の時には一緒に伐られ、農家のマキになってしますのです。


ウルシin岐阜
飛騨春慶
高山市を中心に17世紀の初めに起こったといわれています。長野の木曽漆器と同様ヒノキの産地ということで原木には、ヒノキ、サワラ、トチノキを用います。

特にヒノキやサワラは樹齢200年以上のものだそうです。木目の美しさを活かすための塗り方が特徴で素朴な感じのある日用漆器といわれています。





さらに詳しくはこちらへ


飛騨地域地場産業振興センター
http://www.hidanet.ne.jp/~jibasan/

元田漆器
http://www.genda.co.jp/

ヤナギin岐阜
ヤナギにまつわる迷信(?)
◎ヤナギの木で馬のお尻を叩いて、畦道に立たせると稲が大きく育つ(吉城郡)
◎児島神社の子安のヤナギの葉は安産のお守り
◎ヤナギの葉を加えて泳ぐと、唇がうるまない(高山市)
◎ヤナギの葉が散ると雪が降る(高山市)


木曽四木?いえ五木です。
木曽五木といえば伐採禁止木

尾張藩の収入源ということで関ヶ原の合戦後、徳川幕府の登場とともにジャンジャン切りまくったんです。

豊臣秀吉の時代まではほとんど手つかずだった鬱蒼とした森。都(京都)から遠く急峻な地形。開発の波が入らなかったんです。

1708年(宝永5年)に住民の伐採禁止令
ヒノキ、サワラ、ヒバ、コウヤマキの4木を停止木に指定
1728年(享保13年)にネズコを追加。木曽五木停止木制度を定めて資源の回復を図ったんです。

と同時に留木制度も

そして、66年で木曽の山を一回りする伐採計画を立てるんです。1823年(文政6年)の事です。1年間の伐採量を25万本。持続的森林経営が行われたんです。

水舟(水槽)の使い方
郡上八幡の街中にある「水舟」
水舟とは、水の使い分けシステムのある貯水槽。
2槽、ないしは3槽となっていて、最初は飲み水、次は、野菜など食べ物の洗い場、最後は、食器洗いの場となっていて、食器に付いていた米粒は、そのまま流れて魚の餌に。

一般的には、木を刳りぬいて使う山間部の知恵