福島県    
  県木:ケヤキ
Zelkova serrata
県花:ネモトシャクナゲ
Rhododendron brachycarpum
var.nemotoanum 
杜(森)の話    
杜(森)の話
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  屋敷林in福島      
  伐るブナは200年以上       
  
福島の農業のカレンダーはサクラ
種まきサクラ
サクラのサは、田の神さまの仲間のサの神。クラは、神の座を意味していると言われ、サクラは、稲作と切っても切れぬ仲なんです。

福島県では、種をまく時期をサクラに頼っていました。特に、岩代町では、稲代作りの目安になるサクラを「コエアゲサクラ」といい、白河市では、「稲代しめ桜」というそうです。

山の神様が、里に下りて来たのを教えてくれるのが、桜の花なんです。ソメイヨシノではありません。里桜です。これから、稲作が始まる。その準備というのが、多くが農民であった日本人のDNAにすり込まれているんでしょう。花見という文化、日本人の血が騒ぐのだと思います。

 
姥捨て山
福島の姥捨てに関する話では、年寄りを大事にする話と、年寄りを大事にしない話があります。

殿様からの無理難題を年寄りの知恵で、切り抜けた話では、その後、年寄りを大事にしたという話があります。でも、それまではあちこちで捨てられていたという事実があったんでしょう。大事にしようとした背景には。

いわき市の話では、60を過ぎた人を「地獄沢」に、長沼町では、「死人窪」と呼ぶ山に捨てにいったんです。凶作の時に捨てたそうです。

今はどうなんですかね?でも、これも子孫が生き残るための知恵だったんですよね。年よりも、捨てられないようにしないといけないのかもしれません。我が儘は身を滅ぼすでしょうしね。

千匹万匹千匹万匹
山都町では、熊の毛皮を逆さにして、「千匹万匹 千匹万匹」と唱え、山の神に感謝します。

熊の肝を串に刺して焼いたのを「また生まれてくるように」と祈りながら山の神に感謝するそうです。
これは只見町の話

オオカミ信仰
会津から県南に向けては、オオカミのことをオイヌ様と呼び、山の神の化身としてあがめていました。

オイヌ様の岩にモチをまつったり、アズキ飯を供えたそうです。田植えの頃に山の神が田の神になるのと同じ時期にオイヌ祭りは稲代の種まき後に行われたそうで

シダミ餅(会津の話)
ドングリのことをシダミというそうです。
そのドングリの実をまず水から煮て、乾燥。この工程で、発芽を押さえ、皮と渋が剥がれやすくなります。
ドングリの実を砕いて、、水に晒して灰汁を抜きます。
何度も、水に晒して、灰汁を取ったモノをもち米に混ぜて(全体の1割ほど)搗きます。
通常は皮と渋を抜いた状態で保存するそうです。


木幡山の儀式
11月に行われる儀式
木幡山の中にあるくぐり岩をくぐると一人前の大人になります。穴をくぐることによって、新たなる出産を意味し成人式になります。

こぶしの木(Magnolia kobus)を切って、太刀(形は、おチンチン)を作ります。太刀(1m直径20センチほど)をもって、参道とは違う裏道を通って、くぐり岩に行き、太刀を奉納し、穴をくぐります。胎内くぐりと呼ばれるそうです。
くぐり岩のまわりには、こぶしの木で出来た太刀がたくさん置いているとのこと。ちなみに、格好は、母親の長襦袢を着るんだそうです。

ウルシin福島
会津塗り&喜多方漆器
16世紀後半に会津藩による産業振興の目玉として発展
ホオノキ、トチノキ、ケヤキを原木に日用漆器を生産

消粉、色粉などの蒔絵と沈金に特徴があり、海外に輸出しているというのでも有名です。

会津藩では、ウルシの密造を防ぐため、密造というより密売に近いかもしれませんが、漆掻鎌は、1484本と制限しました。この本数を、漆を採る組に分けて、管理します。また、新規に鎌を製造させることは、禁止していました。

「いかしとり」「ころしとり」と呼ばれる傷の付け方があり、木を枯らすことを承知で傷を多くつけるのが、殺し採りです。根の方から2ミリ幅の長さ3センチぐらいの傷を1.5センチ間隔で、1日に1本漆掻きつけます。傷口から出る樹液をヘラで掬って、竹の桶に集めました。

会津絵蝋燭は、会津の特産品の一つで、その原料は、漆の実から作ります。会津藩主蒲生氏郷が、近江から技術者を招いて産業化しました。文化4年(1807年)には、風俗帳に会津絵蝋燭として、有名な特産品に数えられていました。



境界の松林


屋敷林in福島

構成はマツの屋敷林


車窓から家ごとに森が点在




ブナという字です
伐るブナは200年以上
福島県檜枝岐の話

ブナ(Fagus crenata )を伐ってはいけない。
檜枝岐に伝わる資源管理の話。伐っていいのは200年以上のブナ。200年以下だと、若いというか扱いづらいから、だから伐らなかったのです。乾燥すると割れたり、反ったりと狂いが大きいのです。

200年たったブナは何に使うか?

200年という時間の割には、木杓にしか使いません。
ヘラや杓子だけ

ブナの伐採は、1人1年間に20本程度
1グループ(5から6人)で100本ほど

杓子素材として利用しただけ。それを里に持って降りて、米や味噌、醤油、野菜に魚、お茶に油と日常生活の必需品と交換して暮らしをたてていました。

適当に老齢木を間引きしながら幼齢木を伐ることなく資源の循環を行ってきました。


ブナネタということで、ここで、またブナの悪口を豊かなブナの森を守ろうという運動が全国各地で起きています。
でも、豊かなブナの森というのは・・・・・

ブナは利用価値の低い樹木なのです。だから残っているのです。木偏に無、昔の人はよく言ったものだと思います。
昔の人が相手にもしなかった木を、すばらしい木と持ち上げる現代人に自然を読みとる観察力を持っていた昔の人と自然を感じ取ることの出来ない現代人
(感じ取っている気分で分かったつもり)が正しいことをしているんでしょうか

何が何でも伐採反対は、本当に森にとって、自然にとって、いいことなんでしょうか?ブナ林を守ることは、いいことをしているんだという自己欲求の満足の場として利用しているだけではないのでしょうか。
動植物にとっていいことなんでしょうか
もし、ブナ林に全く手を入れなかったら、どうなるでしょうか。結果は、ブナ林はなくなります。それ以上に森そのものがなくなります。
(反対論者は分かっているのか不思議です)

巨大なブナは、水を吸い上げます。
だから、緑のダムという人もいます。

でも、稚樹(赤ちゃん)は育ちません。赤ちゃんを親が殺すのです。赤ちゃんの必要な水まで吸い上げるから。また、日光を遮って成長させません。

何もしないと、ブナの純林。年寄りばかりの森になります。そして風に吹かれて1本、また1本と倒れてしまうのです。しかし、後継者(木)がいない。

日光が地上に当たるため、今まで待っていたいろんな植物が芽を出します。でも、勝者はササなんです。

ササ一面の草原になると森林の復活は気の遠くなる時間を必要とします。ササに病気でも発生してみんな枯れてしまえばですが。ブナについては一度冷静になっ てほしいものです。だからこそ、200年で引退してもらうために、山を守るためにブナを伐ったのかも知れません。
伐ったわりには、使い道は、良いとは言えないような日常品ですから、敬意もへったくれもありません。

伐った以上は無駄にせず、とりあえず使おうという意図を感じますが

250〜300年の樹齢のブナを切るのを反対。実は、そんな昔の知恵を知らないから、250年も長生きした木を殺すのは不憫ときっと、情緒的な感覚で反対運動しているのではそんな気がしていますが