秋田県  
  県木:秋田スギ
Cryptomeria japonica
県花:フキノトウ
Petasites japonicus
 
杜(森)の話    
杜(森)の話
森を作った人・守った人 杜(森)のリンク どうでもいい話 戻る
             
  市町村花見   マタギの落とし物捜し  秋田犬は、大館犬でまたぎ犬   
      秋田炭 山仕事の食事  
      なまはげのルーツは ヤナギin秋田  
      ウルシin秋田   ケヤキの防火帯  
      命の食べ物、松皮餅   マタギの雪崩対策  
      砂丘の植林      
      松明がクニマス(国鱒)      
      夏の鍋       
      秋田藩の盗伐対策      
      秋田杉の宿    
 
マタギの落とし物捜し
マタギとは、熊やイノシシ、シカ、ウサギなどを捕るハンター。日本のハンターが捕る獲物というのは基本的に、畑を荒らす獣を捕ること
 
山でモノが無くなったとき、どこに落としたか。探すときの儀式。山の神は、女性ということで、おちんちんを振り回すと山の神が喜んで、落とし物を届けてくれるとか







 
秋田炭
江戸時代の主要な炭の山地
天正18年以降に生産開始

元々は、冬の暖房用に藩士のために、確保するため、また、秋田藩内にある鉱山のため、民間から買うと高くついたということで藩直営で生産していたそうです。

生産量が予定に達しなかったとき、民間からも買っていたそうです。

意外と、このシステムは、途上国で使えそうな気がします。薪炭材の少ない国で、公務員への配給として給与から天引きするという方法で

 
なまはげのルーツは
秋田の風習で有名な「なまはげ」
あの異様な格好は、一説によると山の人の姿だとか

木地師、杓子師、金掘師、サンカ、ポン等、山の流民
彼らが、里に下りたときの異相がイメージを産んだとか

日本の山の慣習で、8合目以上は、誰のモノでもないと、利用権がなかったそうで、木地師などはそこの木を利用し椀を作ったり、木杓を作ったりして、里の人と食料と交換してしていたんです。

「ブナ」といえば、自然保護のシンボル?
ブナを守ろうという動きがあり、白神産地など有名ですが漢字で書くと木編に無
乾燥させると狂いが多く、材として利用できなかったから

価値の無い木ということで、あえて切らなかったんです。巨木が残っていることは、木地師が使わなかったから
だから巨木が残っているんですけど

ちなみに、なまはげが落としたワラを、頭痛や神経痛の箇所にまくと体調が良くなるとか









 
ウルシin秋田
川連漆器(かわづらしっき)
稲川町を中心に鎌倉初期から続く産地。
栗駒山のホウノキ、トチノキ、ケヤキを原木に、藩内で産出するウルシを使って椀ものが中心に普段使う実用漆器を作っているんです。

渋下地、蒔地下地による堅牢で実用的な漆器としても有名

能代春慶塗(のしろしゅんけいぬり) 
佐竹藩のもと、石岡家に代々伝わる漆塗りで一子相伝で門外不出の技法なんです。木目を美しく見せる黄春慶が特徴です。ヒパの木地を沢庵の黄色の着色であるウコンで染めて、透明性の高い漆を用いて木目を生かした明るい塗が特徴です。

まげわっぱ
げわっぱは、秋田杉の薄板を茹でて曲げてつくる曲物の器で、弁当箱やおひつなどが有名。
塗りは渋下地に内側は朱漆、外側は木肌をいかし、透漆で塗る場合が多いとのこと。



 
命の食べ物、松皮餅
松皮餅とは、名の通り松皮の餅。
生保内地方の郷土料理(東北地方全体or日本各地にあった?)なんです。
松は赤松(Pinus densiflora)、この松の粗皮の下にある柔らかい甘皮。この甘皮をちぎって粉にして、灰汁に入れて煮るんです。それをうるち米と一緒にまぜて搗いて餅に。
これは昔飢饉で飢えた時に食べたのがきっかけだとか。結構日持ちがする食べ物だそうです。松皮餅と藁団子で命をつなぎ止めていたそうです。

ヘビユリ(ナルコユリ:Polygonatum falcatum)の根茎から取った餡をかけて食べたりしたそうです。

フランス海岸松を飲むよりこっちの方が繊維も入っているので体に良さそう。冷え性にも効くそうです。





川内小学校
http://www.chokai.ne.jp/kawasho/
 ふるさと川内 松皮餅
 http://www.chokai.ne.jp/kawasho/hurusato/hurusato1.htm
由利高原鉄道
http://www2.ocn.ne.jp/~yutetu/
 特産品のコーナーに情報があります。


 
砂丘の植林
佐藤藤蔵の行った砂丘植林(山形県版)は砂よけの垣根 高さ2m。ネムノキ(Albizia julibrissin)を最初に植林。
ネムノキは窒素固定の出来る根粒菌を持っているので痩せた砂地を改良。
そのネムノキの根の張った範囲にクロマツ(Pinus thunbergii)を植林

栗田定之丞の行った砂丘植林(秋田県版)は、ワラやカヤを束にして砂に埋める。風よけを作ってヤナギを植栽
ヤナギの植栽後にグミを植栽。根付いたグミの後にネムノキを植栽(風下)した後、クロマツを植栽して完成。



 
松明がクニマス(国鱒)に
日本一深い湖(深度423.4m)で有名な田沢湖。
この田沢湖の有名な伝説が「辰子伝説」。このため、「たつこ潟」とも呼ばれるんです。

美しい娘であった辰子があまりの美しさを永久に保ちたいと百日願掛けをしたんですが、その願いが神様に届いたのに、なぜか龍になってしまうんです。神様からみれば、美しさの最高傑作が龍だったのかもしれません。

人の姿ではない辰子なので、村人は人間の姿をした辰子を探すのですが、見つからない。日が暮れても松明を持って探し回ったのです。母親がやっとの思いで辰子と再会ですのですが、すでに龍の姿に。人の姿ではない辰子をみた母親は、嘆き悲しんで、手に持っていた松明を湖に投げ捨てたんです。

その松明が魚に変身。これが、木の尻鱒と呼ばれたんです。松明の持ち手が、木の尻と言うことなんでしょうかね。松明のことを木の尻と呼ぶという説もありますが。

ちなみに、木の尻鱒は、佐竹藩主が、お国の鱒ということで、クニマス(Oncorhynchus nerka kawamurae)と命名したそうです。








どっちも辰子像


 




夏の鍋
鍋といえば、冬の食べ物のイメージがある中、夏の鍋という「蓴菜鍋」。この、じゅんさい鍋の具は、新鮮なじゅんさい(5月から9月)に、鶏ガラスープに、つくね団子と鶏肉、ゴボウ、だまこもちで構成されています。
じゅんさいを鍋に入れて色が変わったら食べ時。

http://shoko.skr-akita.or.jp/yamamoto/junsai/

蓴菜(Brasenia schreberi)は漢字が難しいので、純菜や順才と書くそうです。昔は、「沼縄(ぬなわ)」と呼ばれ、美しく光るけど掴みづらいというので、女心に例えられるハゴロモモ科の植物.。三種町が一番の生産地。

京都の人に、ジュンサイみたいな人といわれると、とらえどころのない人ということらしい。
 
秋田藩の盗伐対策
 秋田藩は、元和年代(1615〜1623年)に札山を設置し、基本伐採禁止として管理していく方法で森林を管理してきました。ただし、肥料を採るための下草刈りや薪程度は、大丈夫でした。札山は、別名、野山とか、明野山とも呼ばれています。森林管理の目的は、水源涵養機能「水野目林」と、鉱山用材の確保のためでした。その後、藩直営で森林管理がなされ、伐採は麓の村が順番で行うものでした。伐採後には、植栽、管理と、色々お金がかかるのですが、木本米が支給されていたのです。その木本米も、色々な税金を集めた物からの支給です。しかし、伐採現場が段々奥地に移るにつれ、木本米では足が出るようになります。農繁期と重なれば、自分ら自ら農作業を放棄して山には行けず、人を雇うことにも繋がります。村の負担が増える一方になりました。この結果、貧窮する村が出てきます。貧窮する村が植えれば、盗伐してでも食べ物を手に入れようとすることになります。
秋田藩は、寛延3年(1750年)に直営から、請負制度に管理方法を変えます。直山から触山です。入札によって山の管理を委託するのです。

 植林を奨励した秋田藩は、承徳3年(1733年)の時点では、成木になったときの5割を分け合うというのでしたが、文化年代(1804〜1817年)には、7:3の割合にまでにして、植林を推奨しました。これには、庄屋クラスの裕福な百姓が参加します。山で働く従業員の山子を束ねる御山守になっていきます。その一方で、その恩恵にあやかれない貧困な農民は、盗伐で凌ぐしか無かったようです。当時は、盗伐のことを徒伐と呼んでいたそうです。

 盗伐対策として秋田藩が行ったのが、トレーサビリティーの導入です。文化5年(1809年)に、木材と木製品の専売制にするんです。山担当の林役員の証明が無ければ、販売することすら出来なくなったそうです。何処で作った製品か、原料はどこかと産地証明の導入でした。この結果、盗伐は劇的に減り、木材価格は上昇。盗伐で成り立っていた、桶や樽等も値が上がり庶民の生活を直撃。しかし、森は守られました。

 
秋田杉の宿
 秋田杉は、日本3大美林の一つで有名。そして天然物が秋田杉として林学的に有名です。その秋田杉を贅沢に使ったホテルが、「十和田ホテル」です。
 幻になった昭和15年(1940年)の東京オリンピックが決まり、外国人が来ても対応可能なホテルが次々と建設されることになりました。その一環として、十和田湖にも外国人向けのホテルとして、十和田ホテルが作られました。時は、昭和13年(1938年)10月です。木造三階建てで、延べ床面積は、2208m2、客室数21部屋のホテルとして誕生しんです。建築費は、16万円、今の貨幣価値で20億円です。

 国を挙げてのホテルということで、秋田営林局協力の下、秋田杉をふんだんに使ったホテルなんです。そして、釘を使わない工法で、秋田県のみならず、青森県、岩手県の宮大工が参集。戦争前の不穏な中、仕事の場として、ありったけの技術を注ぎます。数寄屋風の天井や、精緻な欄間、杉柾と杉皮を使った網代織り等々、当時の宮大工の意気込みが注がれているんです。

 国際情勢の変化により、オリンピックの中止となり、経営が難しくなるのですが、昭和15年(1940年)には、鉄道省の保養所、戦後は進駐軍に接収、返還、平成の大改修で解体の危機を乗り切り、今に至っています。

 設計者は、日本大学工学部の長倉謙介教授で、わざわざヨーロッパまで視察旅行して設計したとか。

 オール秋田杉のホテルなのです。

-----------------
十和田ホテル
〒018-5511
秋田県鹿角郡
小坂町十和田湖西湖畔
TEL.0176-75-1122
FAX.0176-75-1313
http://towada-hotel.com/