水害防備林 酒匂川(鮎沢川)
 酒匂川は、富士山麓に水源を持つ鮎沢川が、静岡県の御殿場市を経て小田原市に流れ込む流域面積は582平方キロで、流路延長が42キロの2級河川です。このため、静岡県の時は、鮎沢川、神奈川県になると酒匂川になります。
 富士山や箱根がある場所のため、火山岩や火山砕屑物が多く、上流地域で大雨が降れば、崩壊しやすい地質であるため、幾度も土砂混じりの濁流で災害をもたらしてきた歴史があります。ちなみに、上流域では、年平均降水量が2800ミリ(全国平均1500ミリ)とのこと。

 加えて、上流部の河床勾配は1/60、河口付近でも、1/230と、全国でも急勾配で有名な川です。川音川の合流点には、江戸時代に構築された霞堤が機能している。

 宝永4年(1707年)の宝永大噴火で火山灰が60センチも堆積し、翌年には、下流の村を襲います。昭和47年(1972年)、昭和57年(1982年)、平成22年(2010年)にも洪水被害を出している暴れ川です。

 何もしなかったのではなく、酒匂川沿いには松並木が植えられました。地元民が小田原藩に願い出て、8000本を植えたとの記録もあります。あふれ出た水の勢いを弱める役割を果たしてきたとのこと。今は、クロマツとサクラしか残っていませんが、正徳元年(1711年)の洪水後に作られた堤防には、果樹を植栽しました。記録には、桃、梨、杏、栗、柿を植栽したことのこと。樹木が根を張ることで堤防を強化すること、春の花見で堤防を多くの人が歩くことで踏み固めの効果もあります。さらに、果樹を伐る馬鹿はいないので、地域住民による違法伐採を防ぐ意味もあったようです。

 また、坪石制度というのがあり、水勢を弱める石積み工の為に、地元住民は、年に1回は堤防に石を積む義務(一家一坪)が合ったそうです。

 この酒匂川の水害防備林に欠かせない「酒匂川流域住民と二宮尊徳」と「田中休愚(丘隅)」については、「神奈川県 森を作った人・守った人」を参照してください。

松田山ハーブガーデン より下流の小田原市に連続する松林

 防災資材の機能のあるため、後継樹を植えています。
 実際、二宮尊徳が植えた松は、洪水時に伐採され、木流しとして堤防へのダメージを弱める方法として利用されたとのこと。毎年被害があるわけではないので、20年とか30年に一度の割合に備えておくには、木を植えてほっとくのも一つのアイデアです。

二宮尊徳は、子守で貰った200文で200本の松の苗を購入
その後、植林したとの話があります。

開成町の現役の霞堤を補強する松



開成町のふれあい館(土日のみ開館 10:00から15:00まで) 
ここに、聖牛があります。

資料館横に展示している聖牛

違う方向から
テトラポットが今の姿なんでしょうね



木工沈床です。

洗掘防止用です。今では、コンクリに替わっています。
水害防備林とは、この様な対策を素早くするために、堤防の強化という意味もありますが、資材の確保という意味でも、理にかなった対策だったのです。だから、伐ってもOK。



漏水対策としての釜段工

資料館に展示されいた霞堤の位置図。現役は、3堤ぐらい?




慶応3年(1867)の浮世絵にも描かれた松林
二代広重の作


安政元年(1854年)の浮世絵
歌川広重 の作

天保後期(1837〜43年)頃の浮世絵
これも、広重の作


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