水害防備林 最上川
最上川は、山形県を流れる一級河川最上川水系の本川です。流路延長229kmは、一つの都府県のみを流域とする河川としては、国内最長。流域面積は7,040km²で、山形県の面積の約75%にあたります。
山形県米沢市と福島県との境にある吾妻山付近に源を発し、山形県の中央部を北に流れ、新庄市付近で西に向きを変え、酒田市で日本海に注いでいます。

かつては舟運の道として利用され、内陸部の紅花や米が、酒田を経て主に関西地方に運ばれたため、河川改修には、河村瑞軒も参加させられています。

松尾芭蕉の「五月雨を集めて早し最上川」と詠まれているとおり、日本三大急流の一つです。川全体では、穏やかな流れがあるのですが、村上市の三難所(碁点、三ヶ瀬、隼)が、急流のいわれです。

この流域に、月山から流れ出る立谷沢川と合流する地点が清川になります。もともと、立谷沢川も氾濫する川で有名で、その合流値に位置する清川を守るために、作られた災害防備林が、上河原水害防備兼防風林です。

この水害防備林は、防風林の機能もあります。理由は、清川だしの存在。日本最大局地風の一つである清川だしは、新庄盆地を経て最上川の上を抜けながら庄内平野に突入する風のことです。

庄内藩と新庄藩の交通の要所でもあった清川は、最上川の洪水と清川だしから村を守るため、村の東側に森林を造成していました。いつ造成されたかは、不明ですが、最初は栗の木が大部分であったそうです。その後、枯損木が出たこと、落葉樹なので防風効果が弱いことなどから、村の代表が藩主にお願いして、杉を植えることにしたそうです。

歴史的には、享保4年8月(1719年)に、郡方の管轄(家老の直轄)となったとの記録があります。享保20年3月(1735年)にも、文書が提出されており、藩が林守笹山某に命じて植林させたとのこと。その後は、村内での軽微な犯罪者を使って補植していき、防備林の維持を行っていました。

今では、戊申戦争時の御殿林(ごてんばやし)として名前が有名です。清河神社の後ろに位置する格好です。享保年間に藩主が、植えたことと、宿泊所にもしたことから、御殿林という名になったそうです。

保安林に指定されたのは、明治33年3月30日(1900年)で、昭和4年11月29日(1929年)に、清川村字名花崎にすむ住民228名に、管理を委託したとのことです。


最上川と水害防備林&防風林。手前は立谷沢川

集落から見た防風林。緑の壁です。

砂防資料館(庄内町狩川字堅田20-23)で見つけた航空写真です。
鉄道が水害防備林を横切って走っている。

中は、散策路になっています。

集落を囲む緑の壁

最上川と堤防(国道47号線)の後ろに杉林です。


立谷沢川より望む

林内の様子です。


これは、清川神社

清川だしを活用した風力発電

最上川には、高屋地区、古口・角川橋、船方町毒沢にも、先人が守っている水害防備林が見ることが出来ます。

立谷沢川沿いにも、水害防備林が残っています。

清川より少し上流の場所です。
杉ではなく、流れに逆らわない赤松がありました。





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