村に木がありません(大地の上に数本見えますが)。木がないため、ここの人は土の中で生活しています。木で家を建てるのにも、木がないからです。この地域は中国国内でも貧しいため、21世紀になってから、外国人も入ることが出来るようになりました。
でも、ここから黄河文明が誕生しています。豊富な森があり、かつては象の仲間がいたそうです。
王が無くなった時、直径4mの大きさの木の棺桶に入ったとかという話もあります。 殷の前の時代であった夏王朝では森林官がいたんですよ。森を守らないといけないということは、4000年も前から分かっていました。でも森はありません。森林破壊は今に始まったことではありません。熱帯林の破壊を叫ぶことは大切ですが、温帯の森林は既に破棄された跡なんです。そこをまず認識しないと、温帯の自分たちがやって、何故熱帯の国人達に木を伐るなといえるんでしょうか。よく言われていたのは、「先進国のしたこと(森林を切り開き農地や住居)と同じ事を何故途上国がしてはいけないのか。俺たちだって豊かになりたい」と 先進国では森を破壊した跡で生活していることを、認識しなければなりません。
緑色は、小麦畑。天水頼み。でも、これが黄河文明を誕生させました。 |
文明の栄えた場所は森が残っていない場合がほとんどです。なぜなら、農耕地の拡大が多くの人を食べさせ、巨大な都市・巨大な国家が誕生しました。
そして、建築用材、日々の生活の煮炊き用の薪。レンガを焼くために使われました。
その結果、都市の跡=古代遺跡の周りには森がありません。エジプト、メソポタミア、黄河、インダス、地中海と木が残っていません。
例外的にはマヤ文明。 都市を放棄(理由は不明)後に森林が戻ってきていますが、遺跡のあるところ、緑がほとんどありません。焼畑を繰り返すうちに次第に地力が落ち、土壌の回復を待つため、移動したのかもしれません。
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砂漠のど真ん中にあるメソポタミアの遺跡
周りに緑はありません。でも、昔は文明があったのです。 |
写真は黄河文明の発祥地、山西省の風景です。 アメリカのグランドキャニオンは自然の力、しかし、黄土高原は農地を切り開いた人の力、大地を切り開き、森を壊し、挙げ句の果てに木の家ではなく、土の中に住むことに。
そして増えた人口は、豊かな長江に南下。 そこにいた長江文明は、北から南下した人々に追い出され、ベトナムやラオス、ミャンマーに移動する羽目に。また、東に逃げた人々は、日本へと
長江文明は楓(ふう)の木を崇めていたとか。森の民だったという説があります。今の、苗族や倭族など、貴州省や雲南省に残っていますが畑作というか、家畜を飼う放牧形の人々(自然環境が厳しいところの人々)に武力で追い出されたといえると思います。
森のあるところは食べ物が豊富。食べ物が豊富なところは争う必要がないからしかし、家畜を飼うところは草地。食べ物が簡単に調達できない。気候次第では全滅する羽目に会うほどギリギリの生活
食べ物がないと奪うしかありません。 強くなくてはいけません。食べ物を奪うためにも自然に感謝するのではなく人の力がすべてだから、自然の神に感謝することはなくなったのかもしれません。
その結果がどうかは分かりませんが、老子、孔子、墨子、楊朱、田駢、鄒衍等の諸子百家の誕生は、自然に頼れないから、どう生きるか国家の成立とともに発現したのかもしれません。
これは、中東でも同じ 大地の神に感謝できなくなった環境が自然に頼って生きていけなくなったことが自然を敵とする宗教が生まれたのです。乾燥化が始まり、森を伐っても再生しにくくなったとかその結果、ギルガメッシュ伝説の誕生。そして、ユダヤ教を筆頭に、派生して生まれたキリスト教、そしてイスラム教。キリスト教の一説「「地を満たし、地を従える」」独力で切り開くという意志。自然をコントロールしようという思想が生まれたんです。
古代に偉大な(?)な思想家が誕生したのはそれまでの暮らしが維持できず、環境の変動があまりにも急に発生したから今から、2000年ほど前にいったい何が起きたんでしょうか
日本に思想家が生まれないのは、逆に自然が豊かにあったからかも。江戸時代になって、自然破壊が進み、やっと各地に名君が生まれたのかもしれません。
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これが黄河文明のなれの果て
4千年前は森林率が50%だったとか
夏王朝では山の木を守る管理人がいたそうです。
(すべての人の手作りの結果の風景)
排水がうまくしていないため、畑の外輪が崩れて浸食されてます。
ちょっと北には万里の長城。遊牧民から奪った土地を守るため、城壁を作ったんです。そのレンガ造りのために森が燃料として消えていきました。
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ケルト文化?の発達したイギリス ストーンヘッジの周辺は畑になっていました。 もともと、石ではなく巨木の柱だったそうです。 巨木は何処に???
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かつてオオカミがいたというローマ。ロムルス、メルスはオオカミの乳で育てられたとか。そのオオカミがいた森はありません。
乾燥化に伴う森林の減少(人為も含む)は、森への感謝、自然の恵みが減少したのかもしれません。 その結果、ローマ帝国は、コンスタンティヌス帝のキリスト教公認、392年のテオドシウス帝による国教化ということにつながったのかもしれません。
よろずの神様が、一神教に駆逐される。 恵みの森が無くなったからかもしれません。 多様な自然が単純になったからかもしれません。
キリスト教徒を駆除しようとした皇帝ネロの頃は 一神教が理解できない時期だったのかもしれません。 西暦64年は多神教が信仰できる環境が残っていたと言うことでしょうか(森があったということ?)
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ミャンマーの仏教遺跡のあるバガン 寺院を造るため、レンガ造りで乾燥した大地に
宗教活動も森が無くなります。 レンガを焼くために薪を必要とし、宗教活動は食べ物を供するために燃材として木が伐られ再植林されることなく、時間が過ぎてゆき森が無くなり、乾燥し今に至っています。
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森が無くなって滅んだ古代の王国クシェ 紀元前2000年頃の今のエチオピアにあった黒人の王国。ピラミッド等で有名なエジプトが何度も遠征した相手だった国。理由は象牙、金、黒檀、香木、奴隷を目的とした略奪だったとか。そんなクシェがエジプトを逆に占領することになったんです。紀元前750年頃のことの話です。
ピアンキ王による第25王朝(ヌビア王朝、エチオピア王朝)がエジプトを支配していたんですが、紀元前667年にアッシリアの襲撃に撤収。最大の理由は鉄器。 クシェの人達はそれまで鉄の存在を知らなかったからとか。しかし、逃げ戻った地メロエには何故か豊富な鉄鉱石が。一挙に鉄の一大生産地になったんです。 鉄の生産地だけではなく、インドや中国とも交易?をしていたようで豊かな国際都市でったんです。その富の財源は鉄製品の輸出だったとか。
鉄鉱石から鉄を産出させるためには、燃料が必要。当時は木に燃材としての利用先を求めていたそうです。で、結果的には、都市部周辺の森林はなくなる羽目に。いつしか、禿げ山が増え、水土維持力が落ち、農業が不安定へ。燃料不足から鉄の生産量が落ち、国富の減少。セム系の王国アクムスに紀元前4世紀頃に滅ぼされる羽目になりました。森が無くならない程度に植林でもしていれば良かったのかもしれませんが。結果は滅亡へ。 ちなみに、クシェの人々はその後南下してナイジェリアのノク文化の祖として活躍したとかしないとか。
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グレートジンバブエと呼ばれた王国。ここも、森林破壊が原因で滅んだ王国の一つ。交易の中心地として栄えてきた都市国家だったのだが、人口が増えすぎて、薪不足に。しかも半乾燥地で、雨量も限られており、木が生長する早さより、消費する早さが早かったため、森林の質の劣化、その後に、森林の量の減少=土壌が痩せて土地生産性が落ちていったのです。
15世紀後半には、石の遺跡を残して、人が居なくなったのです。650年頃に誕生したと言われていますが、800年近くは栄えたんですけどね。
遺跡を発見したヨーロッパ人は、アフリカ原住民(黒人)に文明などあるはずがないとして、認めなかったという歴史がある場所です。
産業が発展し、都市が発展するというのは、人口増加という結果になります。増加した人口を維持するには、食料としての農業の展開、燃料・建築用材の確保=森林の開発となります。使われていない地が森林であるためです。一定のバランスを崩した地点で、回復させるかさせないかは、人の意思ではコントロールできないんです。人の欲望は尽きることがないからです。雨さえ降ってくれれば、木も大きくなってくれます。しかし、雨がたくさん降らないような地域では、一定の発展はしても持続的ではありません。
今、経済発展している地域がありますが、降水量は十分あるでしょうか。今は、薪の代わりに石油やガスなどがありますが、水だけは外から持ってくることは、コスト的に難しいです。ましては、水が汚染されれば、それ以上の発展は、望めません。
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